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2022年12月31日土曜日

Capmany

サバテの本には「カッマーニイ (211)」という興味深い表記が見える。ポイントは小さい「ッ」と大きい「イ (僕の目には大きく見える)」だ。前者は音節末子音の同化の問題と、後者は語末の硬口蓋音の表記の問題と関わる。ちなみに立石ほか (2013: 32) には「カッマーニィ」が出てるくが、こちらの「ィ」は小さい。

Alcover & Moll (DCVB) で Capmany をひくと Campmany に行けと言われる。Campmany の項には語源の説明がある:
del llatí campu magnu, ‘camp gran’. En un document de l'any 1246 es parla de la parròquia per Campo Magno («España Sagrada», xlv, 335). Com que la p seguida de m s'assimila a aquesta nasal, resulta que Campmany es pronuncia de la mateixa manera que es pronunciaria cap many; per això hi ha vacil·lació en la grafia, posant-se a vegades Campmany i altres Capmany. Ja existia aquesta confusió en el segle XIV, com ho demostra la llatinització Capite magno (en lloc de Campo magno) que apareix en un document de 1362 (ap. Alsius Nomencl. 121)
つまり、もとは camp + many なのだが、発音上 cap + many と同じになるので、中世から綴り上の混同が起きて Campmany と Capmany が併存していたということだ。

さて Campmany / Capmany の発音は «kammáɲ» となっている。最初の音節の a が弱化していない点にも注意が必要だが、[p] は現れず、長い [mm] になっているところが重要。普通に考えれば「ッ」ではなく「ン」が適当な文脈だ (setmana [sǝm'manǝ] と平行した現象)。

語末の硬口蓋音の表記問題は、以下の子音に関わる (今は後部歯茎音と言われるようになったものを含む)。印刷物やネット上で拾った表記を添えておこう:
  • [ʃ]: Baix バッシュ, Foix フォシュ
  • [tʃ]: Puig プッチ/プーチ
  • [ɲ]: Capmany カッマニ/カプマニ/カプマニィ/カプマニー, Fortuny フォルトゥーニ/フォルトゥーニー/フォルチュニィ
  • [ʎ]: Llull リュイ/リュル/リュリ, Güell グエル/グエイ

実際どんな表記が行われているかを見てみると、[ʃ] は「(「ッ」)シュ」、[tʃ] は「チ」が一般的のようだ。[ʃ] 「シュ」のウ段と [tʃ] 「チ」のイ段の違いは興味深いが、英語の cash 「キャッシュ」 vs. catch 「キャッチ」との平行性もあるので、それが日本語話者の聞こえ方に沿った表記なのだろう。[ʃ] の前に小さい「ッ」が聞こえるのも想像しやすい。「シュ、チュ」か「シ、チ」に統一すれば体系上はすっきりするが、そこまでする必要もないだろう。

[ʎ] については、側面音性と硬口蓋性から考えれば「リ」か「リュ」が候補になるが、近年「イ」が一般的になっている。この「イ」の出どころは良く分らないが、聴覚印象的には「リ」や「リュ」よりも「イ」が近いとは言える。僕は日本語話者にとっての聞こえを重視する表記に対して距離を置くので、体系性の点から反対するのが筋なのだが、まあこれでも良いかなと思っている。もともと環境によって [ʎ] ではなく [j] になる変種がある (ieisme històric) こととか、近年都市部で起きている非側面音化の ([j] になる) 動き (ただし「正しい発音」とは見做されていない) があるというのとは一応独立した話だが、この変化を見越した未来志向のカナ表記かもしれないというのはもちろん冗談だ。なお、「リュル」や「グエル」はカスティリャ語的発音がベースになっているのだろう。これを採用する理由は見つからない。

で [ɲ] だが、体系性の観点からは「ニ」か「ニュ」が考えられる。ざっと見渡したところ「ニュ」は見当たらないので、「ニ」で良いだろう。ただ、「ニ (ー)」は多いのだが、たとえば Fortuny は有名な画家なので、カスティリャ語風の発音がもとになっているのだと考えた方が良い。カタルニャ語の語末の -ny の表記で近年多いのは小さい「ィ」を足した「ニィ」の方だ。僕は、この「ィ」は余計だと思うので採らない (大きい「イ」を加えた「ニイ」は言わずもがな)。

カナ表記での子音表記は、他の言語の場合も含めて眺めてみると、基本的にはウ段の文字が使われている (外来語として入った時期によってはイ段のものもある)。そうでないのは t, d の「ト、ド」と、硬口蓋系の子音に当てられるイ段の文字だ。上に挙げた英語からの「キャッチ」やカタルニャ語からの「プッチ」、スラブ系の軟子音 (最近よく見る「ベラルーシ」「マリウポリ」とか) がその例だ。今問題にしているカタルニャ語の [ɲ] と [ʎ] も大体イ段で表現されている。つまり「プッチ」が「プッチィ」でなく「プッチ」で充分なように、「カンマニ」は「カンマニ」で過不足なく硬口蓋子音を表現できているのだ。「カンマニィ」はむしろ「カンマニー」と読まれかねない。この表記を考えた人はもしかしたら「ニュ」にヒントを得たのかもしれないが、「ニュ」はウ段の音を表すための表記なのであって、既にイ段の表記として問題のない「ニ」に何かを付け加える意味はないのだ。

そう言うと、いや [ni] とは別の [ɲi] を表わすためだ、と言う人がいるかもしれない。しかし、イ段には直音と拗音の区別がないのだから、そこを無理に書き分ける必要はない。「ニィ」は硬口蓋性を示唆するどころか「ニー」や「ニイ」を引き起こす可能性のある、どう見てもメリットの無い表記なのだ。

ちなみに、イ段の口蓋性/非口蓋性を書き分ける試みとして口蓋音の「チ、ジ」に対する非口蓋音の「ティ、ディ」があって、これは音韻的にも区別している人が多いだろう。これはもう日本語の音韻体系の中に組み込まれていると言ってよいが、重要なのは、2文字で表わされているのは非口蓋音の方だということだ。また、「シ」に対する非口蓋音の「スィ」があって、表記としてはある程度定着しているが、僕は「スィ」を見ると「スイ」と発音したくなる。いずれにせよ、ここでも2文字で表現されているのは非口蓋音だ。なぜかと言うと、日本語イ段音の子音は口蓋性を持つ。「ニ」も音声的には [ni] よりも [ɲi] に近い。だから、仮に [ni] と [ɲi] を書き分けるのであれば、口蓋音の [ɲi] には「ニ」を、非口蓋音の [ni] には「ヌィ」とかを当てるのが日本語の音韻的・表記的体系性を重んじたやり方だ。

というわけで、Capmany は「カンマニ」が良い。

さて、今まで語末子音の話をしてきたが、[ɲ] が厳密には語末でない面白い例がある。Companys だ。
新しく誕生した共和国議会で、カタルーニャ選出議員団のリーダーとして、カタルーニャ自治憲章の成立に尽力したのがリュイス・クンパンチ (1882~1940年。リュイス・クンパニィスと表記されることが多いが、実際の発音に近い表記ではクンパンチとなる) である (立石ほか 2013: 298)

単純に考えれば Companys の発音は [kum'paɲs] になるはずだ (https://ca.wiktionary.org/wiki/companys)。それをそのままこのブログのシステムで転写すると「コンパニス」になる。引用にある「クンパニィス」も、そういうシステムにおける単純な転写だ。しかし、立石ほかによれば、実際の発音は「ンチ」に近いのだという。どういうことか。

ここには同化という現象が関わっている。Prieto (2014: 169) によれば、カタルニャ語では後ろの子音が前の子音に影響を与える逆行同化の例は多いのだが、順行同化は少ない。その少ない順行同化の例が、クンパンチと関係する。
En canvi, en català hi ha pocs casos d’assimilació pregressiva: un exemple n’és la palatalització total o parcial de -s quan va darrere segments palatals: la -s final de fills i banys es pot realitzar fonèticament com a palatoalveolar [ʃ] o com a postalveolar [s] (Prieto 2014: 169)

この説明によれば Companys は [kum'paɲʃ] や [kum'paɲs] という発音になり得る。[ɲʃ] だと「ンシ (ュ)」ぐらいじゃないかと思う人も多いだろうが、多分 [ɲ] から [ʃ] に移行するときに渡り音が発生して [ɲtʃ] に近く実現されることがあり、それが「ンチ」に聞こえるのだろう。僕は Companys で確認したことはないが、anys, menys で「アンチュ」「メンチュ」みたいなのを聞いたことがある。「クンパンチ」を支える言語現象は確かに実在するわけだ。

しかし、ご想像どおり、僕は「コンパニス」の方が良いと思う。ひとつには、「聞こえるように表記する」ことの問題がある。たとえば英語の Charles を「チャーウズ」と表記したい人が出てきたらどうするのか。フランス語の France を「フゴーンス」と書く人がいたらどうするのか。この問題を解決するのは体系性だ。英語の母音が続かない l を「ウ」で、フランス語の r をガ行で、[ɑ̃] を「オ (ー) ン」で書くのであれば、表記法として検討の対象になるだろう。同様に、カタルニャ語の順行同化による s の口蓋化を「チ」で表すシステムを考えることは可能だ。それに従えば、例えば Arenys は「アレンチ」、Cabrenys は「カブレンチ」、Domenys は「ドメンチ」、Morunys は「モルンチ」、Tivenys は「ティベンチ」になるだろう。この口蓋化は [ʎ] の後でも起るから、サバテの本で「バイス (76)」と書かれている Valls は「バイチ」とか「バルチ」とかになるだろうか。しかし、体系全体の問題として、-nys, -lls の s を別扱いにするメリットがあるのかどうか考える必要はある。

一方、Prieto によればこの現象は必ず起こるわけではない («es pot realitzar»)。つまり「チ」に聞こえることもあるが、そうでないこともある。「シ (ュ)」かも知れないし「ス」に聞こえるかもしれない。ならば、「チ」を採用する意味はない。ただ、体系的には s の前の ny をどう表記するかという問題は残る。「ンチ」の「ン」は、母音がないことを示す効果のある表記なので、口蓋性は諦めて「コンパンス」にするという手もあるわけだ。とは言え、ここでも何故 -nys だけ別扱いするのかという話になる。いっそのこと Capmany も口蓋性の表示を諦めて「カンマン」にするか?

今回もだらだらと書いてきたが、カナ表記に関する僕の立場についてまとめ的なことを言えば、こんな感じだろうか:
  • 体系性、簡便性を重視する
  • カナ表記の体系に無理をさせない
  • カナ表記を日本語として読んだときにオリジナルの音に似ている必要はない (オリジナルが再現できるという幻想を捨てる)

あ、あと、ネット上で「リュイス・コンパニュス」を見つけた。ついでに Manuel Valls i Gorina を「マヌエル・ヴァリュス・イ・グリナ」と書いている例も。硬口蓋子音をウ段で表記する選択肢が消えたわけではない。

  • Alcover, A. M. & Moll, F. de B, Diccionari català-valencià-balear, https://dcvb.iec.cat/
  • Prieto, Pilar, 2014, Fonètica i fonologia. Els sons del català, Editorial UOC, primera edició en format digital (edició Google Play).
  • フロセル・サバテ (著), 阿部俊大 (監訳), 2022, 『アラゴン連合王国の歴史』, 明石書店. (Sabaté, Flocel)
  • 立石博高 & 奥野良知 (編著), 2013, 『カタルーニャを知るための50章』, 明石書店.

2022年12月27日火曜日

Xixona

前回ちょっと触れた地域差の話。

カタルニャ語の正書法で語頭の x は大雑把に言って東では [ʃ] に対応し、西では [tʃ] に対応する、という記述を紹介した。それを意識したのか、『アラゴン連合王国の歴史』には「チチョーナ (32)」と「チャティバ (353)」という表記が見える。それぞれ Xixona と Xàtiva に当る。どちらもバレンシアの地名だ。

しかし、バレンシア出身の知り合いに聞いたら Xixona は [ʃi'ʃona] (o は狭い) という答えだった。そして、IEC (2018: §2.2.2) には小さい字で次のように書いてある。
Tot i que en aquests parlars la fricativa sorda [ʃ] no s’usa en general en posició inicial de mot, sí que apareix en alguns casos, especialment en mots d’origen aràbic, com ara xaloc, xarop, Xàbia, Xàtiva o Xixona i, en alternança amb l’africada, en algun mot més, com xeringa.

音も聞けるので、是非確かめて欲しい。また、Alcover & Moll の DCVB には発音表記があり、Xàtiva は «ʃátiva, ʃátiβa, ajʃátiβa (val.)»、Xixona は «ʃiʃóna (val.)» となっている。カナにしたら「シャティバ」「シショナ」だろう。

まあ、ちゃんと調べましょうということだが、それはそれとして、地域差を (どこまで) カナ表記に反映させるかという問題はかなり面倒だ。地域差を考慮せずに「標準語」の発音で通すという選択肢を一旦忘れることにすると、地名ならその土地の発音を採用するという方針を立てることが可能だが、ちゃんと調べられるのか。Xixona や Xàtiva は複数の文献から [ʃ] が確認できた。Xerta というカタルニャの町については DCVB が «tʃɛ́ɾta (occ.)» としていて、さらには Xerta の役所のホームページに行くと実際の発音を聞くことができる (https://www.xertatour.com/: ひろい e がひろくて僕の耳には「チャルタ」に聞こえる)。だが、こんな例ばかりではないだろう。

人名はどうか。たとえば Xavier の最初の音は IEC (2018, §2.2.2) の記述によれば東では [ʃ]、 西では [tʃ] になる。つまり「シャビエ」と「チャビエ」になるだろう。一方 Acadèmia Valenciana de la Llengua (2006: 42) には Xavier が [ʃ] だと読める記述がある。バレンシアでは語末の r を発音するようだから、「シャビエル」になるだろうか。Viccionari (https://ca.wiktionary.org/wiki/Xavier) には [ʃ] の発音だけが載っている。記述が一致していない上に、どの Xavier が「シャビエ」で誰が「チャビエ」でどの人が「シャビエル」だと判断するのか (「チャビエル」がいないと断言できるのか)。本人の出身地が分れば確定するのか。本人の発音が優先されるのか、一般的な呼ばれ方を採るのか。

もちろん問題は [ʃ] と [tʃ] の違いだけではない。語末の子音に関しては、バレンシアでは他の地域では発音しない音が発音されるということが多い。Xavier の r はその例だが、Alacant の t もそうで、これはバレンシアの地名だから「アラカント」とすべきだろうか (https://ca.wiktionary.org/wiki/Alacant)。サバテの本で「アジェー (151)」になっている Àger はウィキペディア (https://ca.wikipedia.org/wiki/Àger) によれば ['ajʒe] なので「アイジェ」だろうか。だが「アイジェ」と書いて読者は Àger に辿り着けるのだろうか (辿り着ける必要があるとして)。

だらだらと書いてきたが、今回は特に結論があるわけではない。面倒だな、ということを確認して終えることにしたい。

  • Acadèmia Valenciana de la Llengua, 2006, Gramàtica normativa valenciana, Acadèmia Valenciana de la Llengua.
  • Alcover, A. M. & Moll, F. de B, Diccionari català-valencià-balear, https://dcvb.iec.cat/
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/
  • フロセル・サバテ (著), 阿部俊大 (監訳), 2022, 『アラゴン連合王国の歴史』, 明石書店 (Sabaté, Flocel)

Bernat Metge

フロセル・サバテ (Flocel Sabaté) 『アラゴン連合王国の歴史』。いただき物で、特に興味があって読んだわけではないのだが、予想以上に面白かった。今まで持っていたカタルニャに対する何となくのイメージと異なる記述が随所にあって、勉強になった。読みにくい学術翻訳調の日本語も、途中から慣れてくるし、すみずみまで理解しようと頑張らなければ、たとえば「諸身分が表象されるのは、その言葉の意味でも、またその進展を考えても、諸権力同士が関係しあう場においてである (215)」とかも読み飛ばせば良い。

さて、本の内容から当然予想されるように、カタルニャ語固有名詞のカナ表記が頻発する。そこで、ご無沙汰していた表記問題に戻ることにしたい。

Batlló (https://vocesenredadas.blogspot.com/2019/10/batllo.html) の記事では「カタルニャ語の固有名詞をカナ表記するのに「ー」は無くても困らないが、「ッ」はあった方が良いと思う。使える場面はだいたい次の3つだろうか」と書いた。以下がその3つ:
  1. 長子音
  2. 母音間の破擦音
  3. 語末の閉鎖音・破擦音

一応、第1点については当時論じたので、今回は2と3を取り上げる。

タイトルの人物は、本では「バルナット・メッジャ (194)」と表記されている。Bruguera (1990) の情報から、音声的には [bǝr'nat 'medʒǝ] で、このブログは5段式を採用しているので「ベルナット・メッジェ」になるが、最初の「ッ」は3、後のやつは2の例だ。

まずカタルニャ語における破擦音について確認しておこう。Institut d’Estudis Catalans (2018: §2.2) の表には /tʃ/ と /dʒ/ が見えるが、注には [ts] と [dz] は音素としては認めないので表に含めないとある (IEC は [t͡ʃ] のように結合記号を使っているが、入力が面倒なので省く)。一方 Recasens (1991: 173) の表に破擦音は含まれないが、[tʃ, dʒ, ts, dz] にはそれぞれ /t + ʃ/, /d + ʒ/, /t + s/, /d + z/ と解釈される場合 (tots) と1音素と解釈される場合 (バレンシアの x-) があると言う (174)。いずれにせよ、音声的にはこれらの破擦音が存在する。というわけで、これ以降は [] で囲って示すことにする。

綴りとの対応は、西と東で異なる。IEC (2018: §2.2.2) の例を参考にまとめてみよう。カッコで (西: ) とした例は、東では摩擦音になる。
  • [tʃ]: txec, cotxe, despatxar, boig (西: xafardejar, panxa)
  • [dʒ]: fetge, mitja (西: ginebra, jardí, menjar, (val: rajar))
  • [ts]: tsar, potser, tots
  • [dz]: tzatziki, dotze, atzar

この地域差はカナ表記にとって面倒な問題を引き起こすが、それについては稿を改めて論じたい。今は、東西共通して破擦音が現れる環境に注目しよう。

さて、母音間の [ts, dz] について Recasens (1991: 212) は次のように述べている。

En català central (Arteaga, 1908), ross., mall., men. i cat. n.-occ., el primer element d’una africada intervocàlica és emès amb oclusió de durada llarga; la realització amb oclusió curta deu ser relativament recent i s’explica probablement per factors extralingüístics (influència del castellà). Per altre banda, valencià i eiv. solen emetre l’africada amb element oclusiu curt (Lamuela, 1984; també, Sanchis Guarner (1949) a Aiguaviva); sembla, però, que hi ha africada amb oclusió llarga en alacantí i alguerès.

やはり地域差があるわけだが、大雑把に言って東ではもともと閉鎖が長く、短い発音はカスティリャ語の影響が考えられるという。また、[tʃ, dʒ] についても似たような記述をしている (214)。長いということは、「ッ」が聞こえるような音だということだ (コッチェ、デスパッチャ、フェッジェ、ミッジャ、ポッツェ、ドッゼ、アッザ)。したがって Metge は「メッジェ」でちょうど良い。映画祭で知られる Sitges は日本では「シッチェス」で通っているが、「シッジェス」になる。このシリーズのきっかけになった Montsalvatge の「モンサルバッジェ」もこれで説明できた。ついでにこれで摩擦音との区別もつく (Bages ['baʒǝs] バジェス)。

サバテの本には「ウジェー Otger (264)」が出てくるが、これも「オッジェ」ということになる。ただし、破擦音が強勢の直後でない場合は「ッ」を入れないという選択も有り得るだろう (デスパチャ、ポツェ、アザ、オジェ)。この場合、「ザ」が [za] なのか [dza] なのか、「ジェ」が [ʒe] なのか [dʒe] なのか判別ができなくなるが (ロジェ Roger vs. オッジェ/オジェ Otger)、たいした問題ではない (バレンシアのように Roger の ge も破擦音になる変種もある)。破擦音が短い西の発音を考慮に入れて「ッ」を全く使わないという選択だって有り得る (コチェ、フェジェ、ミジャ、ドゼ)。

3番の語末の閉鎖音・破擦音はより単純な話だ。閉鎖音だと Llop 「リョップ」、Montserrat 「モンセラット」、Vic 「ビック」、破擦音は Busquets 「ブスケッツ」、Puig 「プッチ」という具合。語末・音節末の子音字に関してはまだ述べるべき点があるけれど、「ッ」との関連では大体こんなところだろうか。

最後に、破擦音ではないけれども母音間の子音で「ッ」が聞こえる場合について補足しておこう。サバテの本には Vilagrassa に対して「ビラグラッサ (76)」と「ビラグラーサ (184)」の二様の表記が見えるのだが、確かに母音間の [s] は長く聞こえることがある。特に massa とか、強勢のある [a] の後に [sǝ] が続く場合にそうなるような気がする。「ビラグラサ」で十分だが、まあ、「ッ」を入れたい人は入れても良いんじゃなかろうか。

  • Bruguera i Talleda, Jordi, 1990, Diccionari ortogràfic i de pronúncia, Enciclopèdia Catalana.
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/
  • Recasens i Vives, Daniel, 1991, Fonètica descriptiva del català, Institut d’Estudis Catalans.
  • フロセル・サバテ (著), 阿部俊大 (監訳), 2022, 『アラゴン連合王国の歴史』, 明石書店 (Sabaté, Flocel)

2019年10月6日日曜日

Poblet

前回、poblet に見られるような -bl- [bbl] について「ッ」を使わなくて良いだろうと書いた。書いた後に、不正確な記述があることに気づいたので、訂正しながら補足したい。

Batlló [bǝʎ'ʎo] と allò [ǝ'ʎɔ] に見られる -tll- [ʎʎ] と -ll- [ʎ] の違いは綴りだけのものではなく、発音の違いを反映している。この発音の違いは、個人的なものとか周りの音によるものではない。音韻的な違いだ。カナ表記で原語の音韻的差異を全て表現しようというのは非現実的 (例えば l と r) だが、この場合は「ッ」の使用で簡単に実現できる。

一方、poblet [pub'blɛt] の [bbl] は、この音環境で自動的に現れる発音で、[bl] との音韻的対立がないので、音声あるいは聴覚印象に合わせて「ポッブレット」と書く必要はなく、「ポブレット」で十分だろう、というのが前回書いたことなのだが、事態はそれほど単純でないということが分かった。

Institut d’Estudis Catalans (2018: §2.3.4) によれば:
En la major part dels parlars orientals i nord-occidentals, la consonant oclusiva dels grups /bl/ i /ɡl/ pot presentar geminació de la consonant oclusiva quan es troben darrere de vocal accentuada en posició final del radical, tant si van seguits d’una marca flexiva (cobla, reblar [bbl]; arreglen, regla [ɡɡl]) com d’una vocal de suport (doble, poble [bbl]; regle, segle [ɡɡl]). Els derivats d’aquests mots i les seves formes flexionades es comporten de la mateixa manera, encara que aquest grup no es trobi immediatament després de l’accent: coblaire, publicar, poblet, doblarem [bbl]; arreglessin, reglament [ɡɡl].
ということで、説明と例が合っていないやつがあるけれども、基本的には /bl/ や /gl/ が語根末にあってアクセントのある母音の後だと長子音化が起き (poble ['pɔbblǝ])、そういう語の変化形や派生語でアクセントが移動しても起こる (poblet [pub'blɛt]) というわけだ。逆に言えば、同じ母音間の -bl-, -gl- であっても、長子音にならない例がある:
No hi ha, en general, geminació ni ensordiment de la consonant oclusiva en altres contextos, això és, en posició pretònica, quan no es tracta de formes derivades dels mots que fan geminació i quan el grup no es troba en el límit del morfema: oblidar, ablació; negligir, aglà. (ibid)

結局、[bbl] や [ggl] の出現は純粋に音環境 (母音間) によって起こるのではなく、形態論的あるいは語彙的な条件が関わっているということだ。この点が前回不正解だったところ。自動的な音声現象ではないので、publicar [pubbli'ka] vs. sublimar [suβli'ma] のような音韻対立ありげなペアを見つけることもできる (ただし、今の音韻論がここに対立を見るかどうか、/pubbl/ vs. /subl/ という音素連続を措定するかどうかは分からない)。

なので「ポッブレット」には音韻的支えがある程度あることになる。さらに、「ポッブレット」は pobulet とか pobret という綴りではないことを示すことができるというメリットもある。

とは言え、この [bbl] と [bl] の違いは綴りに反映されないから、bl を見たら「ッ」を入れろ、というわけにはいかない。入れるかどうかを知るには、どの語が長子音でどの語が短子音かを見極める必要がある。また、長子音化はカタルニャ語圏全体で起こる現象ではない。
Aquests processos no es donen en la part més meridional de l’oriental i del nord-occidental ni en valencià, en què la /b/ i la /ɡ/ es pronuncien com a aproximants ([β] i [ɣ], respectivament). (ibid)

だとすると、ルールとしては -bl-, -gl- には「ッ」を入れないとする方が無難だろう。個人的には、「ポッブレット」という字面はカタルニャ語っぽい気がして好きだけれども。


  • Bruguera i Talleda, Jordi, 1990, Diccionari ortogràfic i de pronúncia, Enciclopèdia Catalana.
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/

2019年10月5日土曜日

Batlló

カタルニャ語の固有名詞をカナ表記するのに「ー」は無くても困らないが、「ッ」はあった方が良いと思う。使える場面はだいたい次の3つだろうか。

  1. 長子音
  2. 母音間の破擦音
  3. 語末の閉鎖音・破擦音

今回は長子音 (重子音) を見てみたい。固有名詞で例が思いつかない場合が多いので、そういうときは普通名詞その他を使って説明することにする。なお、発音表記は、特に断らない限り Bruguera 1990 に従う (ただし、強勢の表記の仕方は変えてある。Bruguera は母音の上にアクセントを書いているが、この記事では音節初頭に ' を置いている。従って、音節境界の解釈が Bruguera と異なっている可能性がある)。ということで、音声表記は東部式、カナは5段式ということになる。

カタルニャ語の長子音は、同じ文字が並んでいて一目瞭然なものと、文字の組み合わせと発音についての知識が必要なものに分かれる。それから、「ッ」で表すのが適当なものとそうでないものという分類もできる。例えば Emma ['ɛmmǝ] の mm は一目瞭然、setmana [sǝm'manǝ] の tm は知識が必要だが、どちらも「ッ」ではなくて「ン」を使うのが無難だ (「エンマ」「センマナ」)。

一目瞭然で「ッ」の出番がありそうなのは vil·la ['billǝ] とかに出てくる l·l [ll] だ。厳密には同じ文字が並んでいるわけではないが ll が [ʎ] を表すので、区別のために点が間に入っている。これは「ビッラ」で良いんじゃなかろうか。

さて、一目瞭然じゃない方は、例えばタイトルに挙げた Batlló がそうだ。Bruguera 1990 に Batlló は項目として拾われていないが、bitllet [biʎ'ʎɛt] に見られるように、tll が [tʎ] ではなくて [ʎʎ] と発音されるということは広く知られている。Institut d’Estudis Catalans (2018: §2.3.7) によれば «El procés [d’assimilació] explica que en posició interior de mot resultin forçades les seqüències d’oclusiva seguida de nasal o lateral amb un lloc d’articulació diferent: atles, atlàntic [ll], ètnic, vietnamita [nn], ritme, setmana [mm], bitllet, butlletí [ʎʎ]» で、必ずそうなるとは言っていないのだが、なるのが自然だと読める。

その知識を使えば Casa Batlló が ['kazǝ βǝʎ'ʎo] になることは見当がつく。なので「カサ・バトリョ」と書かれることもあるあれは「カザ・バッリョ」になる。ちなみに Wikipedia では「カサ・バトリョとはスペイン語 (カスティーリャ語) 発音による[要出典]」となっていて、僕もぜひ出典が知りたいと思う。無理やり t と ll を発音しようとするカスティリャ語話者がいてもおかしくないが、上手くできるかどうか。ちなみに山田ほか (2015) には Batlle y Ordóñez という項目があり、発音は ['baʎe] という短子音表記になっている (カナ書きでは「バッジェ」)。

さて、setmana の [mm] も Batlló の [ʎʎ] も、同化によって長子音が生じる (そして t を発音しない) ことが綴りから分かる。Batlló [bǝʎ'ʎo] 「バッリョ」の長子音と allò [ǝ'ʎɔ] 「アリョ」の短子音の違いも見て分かる。

それに対して -bl-, -gl- が [bbl], [ɡɡl] と発音される現象もよく知られているが、同化による長子音ではない。例えば poblet [pub'blɛt] に見られる [bb] は、短子音との対立がない。なので、これは律儀に「ポッブレット」にしなくても良いのではないか。Monestir de Poblet に対してウェブ上で「ポブレー修道院」という表記が見られて、最後の -t は表記すべきだが、「ポブレット修道院」で十分な気がする。

  • Bruguera i Talleda, Jordi, 1990, Diccionari ortogràfic i de pronúncia, Enciclopèdia Catalana.
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社, iOs版 ver. 1.0.2.

2019年9月21日土曜日

Vocal àtona

前回までカスティリャ語のカナ表記について書いてきたが、もとはと言えばカタルニャ語の固有名詞をどう表記するかという話をしていたのだった。今回は Montsalvatge (3) で論じたことを補足して、先に進む準備をしたい。

カタルニャ語の無強勢母音体系は、大きく西部 (5母音体系) と東部 (3母音体系) に分かれる。バルセロナの方言は東部に属するので、伝統的に後者の体系が標準的と見なされてきた。その体系を単純にカナに対応させた3段式に従えば、Barcelona は「バルサロナ」となる。一方、綴りも考慮に入れた5段式では「バルセロナ」になる。5段式は西部の体系の素直な転写と重なるが、西部式ということではなくて、綴りを考慮した汎カタルニャ語圏的な方式だということは確認しておきたい。

木村 (1989: 193) は「原語のスペリングがわかるような書き方」が「スペイン語よりもむしろ英語、ポルトガル語のような母音弱化の著しい言語の表記において問題になる。たとえばポルトガル語の川の名 Douro の語末の -o は弱化して [u] と発音されるが、だからと言ってこれを「ドウル」と表記するよりは、スペリングを尊重して「ドウロ」と書いた方が、実用的である」と言う。ここで実用的というのは、元の綴りが分かって便利だということだろうか。なお、彌永 (2005) は「o (/u/, /o/, /ɔ/) は一律に「オ」と表記するという原則に立つ (167)」という点で木村と一致するが、「かつての二重母音 /ow/ は、短母音 /o/ に置き換わり、現代の標準的な発音では姿を消しました。[...] しかしながら、二重母音を保っている方言もあり、注意深い発音では、二重母音で発音することもあります (35)」と述べ、「無強勢の ou には「オ」、「オー」あるいは「オウ」、強勢のある ou には「オー」をあてる表記がよいと思われます (172)」としていて、それに従えば Douro は「ドーロ」になる。

彌永 (2005: 166) の「先人が行ってきた方法は、 [...] ポルトガル語の語を可能なかぎりローマ字表記された日本語と見立てて翻字してしまう方法と言って良いでしょう。原音を離れるかもしれませんが、この方法によって、ポルトガル語の方言的変異をはじめ、さまざまなポルトガル語のありかたを排除したカタカナ表記が可能になり、元のポルトガル語がすぐに頭に浮かぶ表記が行われてきました」という観察は興味深い。音声学・音韻論を知っているからこそ出来る、「原音」離れに対する評価かもしれない。

話が少しずれた。木村が英語やポルトガル語について言っていることがカタルニャ語にも当てはまることは今更説明する必要もない。元綴りの復元可能性については、特にウ段の使用が事をややこしくする。例えば Coromines を3段式で「クルミナス」と書いたとしよう。元の綴りを知らない人にとっては「クル」が coro なのか curu なのか、coru なのか curo なのか、あるいは cro なのか cru なのか、はたまた cor なのか cur なのか分からない。

また少しばかり脱線するが、ここで思い出すのはフランス語の ou に対応するカナ表記が「ウー」であることだ。僕は長年、例えば「ブールヴァール」に2個も「ー」が出てきて間延びするなぁと思っていたのだが、綴りの復元性から意味のある「ー」だということに気づいた。元綴りは boulevard だが、「ブー」が少なくとも b や be ではないことが分かるのだ。もちろん、真似してカタルニャ語で「クールーミナス」と書けば良いと思う人はいないだろうけど。

話を戻すと、綴りを考慮するやり方は伝統的に特に珍しいわけではなく、「原音」を重視した表記より劣っているとも言えない。

ここで、3段式と「原音」の関係に触れておこう。Montsalvatge (3) で僕は「[u] についてはオ段の可能性もあり、日本語話者がカナ表記を発音した時により元の音に近くなる場合も考えられる」と書いた。つまり「クルミナス」よりも「コロミナス」の方が Coromines の音声により近くなるかもしれない (かどうか本当は分からないが) ということだ。また「カタルーニャ語の [ǝ] は僕の耳にはアに聞こえることが多い」と書いたが、実際にはアに聞こえないこともある。例えば Generalitat が僕の耳に綺麗に「ジャナラリタッ」に聞こえることはまずなくて、最初の音節が「ジェ」に近い発音は珍しくない。もちろん、僕の耳が綴りに引きずられている可能性はある。しかし、[ǝ] は日本語のアイウエオのどれとも異なるということは確認しておく必要がある。結局、3段式の表記は東部方言無強勢母音の3母音体系を3段のカナに対応させた音韻体系の翻訳なのであって、音声の転写ではないのだ。だから、3段式と5段式の違いは、音声と綴りという単純な対立には解消できない。少なくとも、3段式が「発音に忠実」みたいな思い込みはなくしていきたい。

次回以降、カタルニャ語の話をするときは5段式で「コロミナス」とか「ジェネラリタット」とか「モンサルバッジェ」みたいな書き方をすることにしたい。これは単なる実験で、提案とか主張とかの意図はない。まあ3段式が主流っぽいので、別のやり方もあるということを示す意味はあるかもしれない。


  • 彌永史郎, 2005, 『ポルトガル語発音ハンドブック』, 大学書林.
  • 木村琢也, 1989, 「フアンとマリーア –スペイン語固有名詞のカタカナ表記に関する二つの問題点–」,『吉沢典夫教授追悼論文集』, 191-199.

2019年3月31日日曜日

Montsalvatge (3)

カタルーニャ語の固有名詞をカナで写そうとするときに出てくる問題を考えてみる。今回は母音を見ることにしたい。

まず確認しておくべきことは、この議論はあくまで日本語の表記に関わるものだということだ。カナ表記を巡っては「現地音主義」という不思議な用語があって、カナが他言語の発音を表すことができるかのような錯覚を与えかねないのだが、辞書などでカナを (出来の悪い) 発音記号として使う場合は別として、カナに出来ることは、日本語に借用された単語を日本語として表すことだ。「出来るだけ (その言語の) 実際の発音に近く」表記したいという気持ちは分かるが、日本語に出来る範囲でしか出来ないのだということは押さえておく必要がある。

もうひとつ確認しておくべきなのは、カタルーニャ語が持つ地域的多様性の問題だ。入門書などで解説している発音は、バルセロナを含む地域で話されている中部方言のものがベースになっている。これが伝統的に標準的発音と見なされているのだが、現代のカタルーニャ語規範は複中心的で、他の地域の発音も規範から排除されない。このことは、後で見るように、カナ表記問題に大きく影響する。

カタルーニャ語の方言区分については、立石・奥野 (2013: 48) あたりを見て欲しい。大きく東部方言と西部方言に分かれる。さっき出てきた中部方言は東部方言の下位方言で、紛らわしいけれどご容赦のほどを。で、東と西では母音体系が結構違うのだ。

そして、カタルーニャ語の母音体系は、強勢のある位置と無強勢の位置で分けて考える必要がある。まず強勢母音は7つある。バレアルス諸島では8母音体系だとか、フランスのルシヨン地方など5母音しかない所があるとか、ジロナあたりでは6母音だとか、異なる体系を持つ方言もある (Prieto 2014: §II.1.1.1) が、大勢は7母音なので、それだけを見ることにする。

iu
eo
ɛɔ
a

綴りについては、今の議論に関係する部分だけ大雑把に言うと、/i/, /a/, /u/ はそれぞれ i, a, u が対応し、/e/ と /ɛ/ は e で、/o/ と /ɔ/ は o で表される。ただし、狭い方 (/e/ と /o/) には鋭アクセント (´) を付け (é, ó)、広い方 (/ɛ/ と /ɔ/) には重アクセント (`) を付け (è, ò) て母音の別を表示することがある。しかしこれは、正書法上強勢の位置を示す必要がある場合だけで、そういう単語に関してたまたま母音の広狭が分かるというにすぎない。なお、強勢の位置を示すための í, ú, à もある。

単純に考えて5つしか母音のない日本語でカタルーニャ語母音の発音を再現することは不可能だ。だが、綴りの助けを借りれば簡単に対応を作ることができる。つまり /e/ と /ɛ/ の区別と /o/ と /ɔ/ の区別を無視すればよい。たとえば Pere /'peɾǝ/ と Cesc /'sɛsk/ は異なる強勢母音を持つが、同じ e で表記されていることもあり、日本語で同じエ段の文字で写して「ペラ」「セスク」とするのに抵抗はないだろう。同様に Ramon /rǝ'mon/ と Antoni /ǝn'tɔni/ の強勢母音はそれぞれ異なるが、同じ o で表記されており、日本語では「ラモン」と「アントニ」のようにオ段の文字で書いて誰も文句を言わない。

それから /u/ は日本語の「ウ」と結構異なる音だが、カナのレパートリーの中ではウ段の文字で表す以外の (単純な) 選択肢がない。

cat. 音素cat. 綴りカナ
/i/i, íイ段
/e/e, éエ段
/ɛ/e, è
/a/a, àア段
/ɔ/o, òオ段
/o/o, ó
/u/u, úウ段

なんだか不必要に面倒な話をしているように見えるかもしれないが、カナ表記が元の言語の音韻や発音をそのまま写したものではないことは確認できたと思う。さて、これからが本当に面倒な話、無強勢母音の扱いだ。

無強勢母音体系は、東部方言と西部方言で異なる。東に属するマリョルカ方言は両者の中間的性格を見せる (Prieto 2014: §II.1.1.4b) が、とりあえず措く。また、音韻論における中和という概念をどう扱うかという議論は素通りすることにする。表の書き方が厳密でないと思う人がいるだろうが、ご容赦願いたい。

cat. 強勢母音cat. 無強勢母音 (西)cat. 無強勢母音 (東)cat. 綴り
/i/[i][i]i
/e/[e][ǝ]e
/ɛ/
/a/[a]a
/ɔ/[o][u]o
/o/
/u/[u]u

西部方言では5母音で、この体系をカナに写すのは簡単だ。一方東部方言は3母音体系で、綴りとの関係で言えば、{i}, {e, a}, {o, u} に対応する。つまり同じ音を異なる文字が表す場合があるということだ。やり方としては、音に合わせて e も a も同じカナを充てる方向と、綴りに合わせて e と a に別のカナを対応させる方向が考えられる。前者が当たり前だと思う人が多いかもしれないが、英語の曖昧母音 ǝ に対応するカナはむしろ後者 (例えば Elizabeth [ɪ'lɪzǝbǝθ] エリザベスのザとベ) で、それをみんな普通に使っている。最初から問題外というわけではない。

音に合わせる方針にするなら、どの文字を使うかが問題になる。 [i] はイ段の文字で問題ない。[u] はウ段の文字で対応すれば良いだろう。[u] についてはオ段の可能性もあり、日本語話者がカナ表記を発音した時により元の音に近くなる場合も考えられるが、強勢母音と扱いを揃えた方が良いだろう。カタルーニャ語の [ǝ] は僕の耳にはアに聞こえることが多い。エ段とア段のどちらかということなら、ア段を選ぶのが穏当だろう。

綴りに合わせる方針なら、西部方言を写すのと同じことになる。カタルーニャ語の正書法は西部方言にも対応できるように考えられたもので、区別の多い方に合わせることで、結果的には東部方言では発音上の区別がない書き分けが生じたわけだ。したがって、綴りに合わせると言っても音声上の根拠を西部方言に求めることができる。どちらも「正しい」発音なので、理論的には対等だ。また、東部発音では ea の e が [ǝ] ではなくて [e] で発音される (例えば Balears [bǝle'ars]) なんてことを覚えておかなくても良いという (小さい) メリットもある。

というわけで、伝統的に標準音と見なされてきた東部の発音をベースにするという、多分多くの人が採る方式と、汎カタルーニャ語的な綴りを考慮に入れた方式があり、僕にとっては後者も捨てがたい。なので、ここではどちらかに決めることはせず、両方式の例を思いつくままに挙げて、皆さんに考えてもらうことにする。

cat. 3段式5段式
Barcelonaバルサロナバルセロナ
Carles Puigdemontカルラス・プッチダモンカルレス・プッチデモン
Carmeカルマカルメ
Castellóカスタリョカステリョ
Enricアンリックエンリック
Figueresフィゲラスフィゲレス
Illes Balearsイリャス・バレアルスイリェス・バレアルス
Jaumeジャウマジャウメ
Joan Corominesジュアン・クルミナスジョアン・コロミネス
l’Hospitalet de Llobregatルスピタレット・ダ・リュブラガットロスピタレット・デ・リョブレガット
Montsalvatgeムンサルバッジャモンサルバッジェ
Montserratムンサラットモンセラット
Penedèsパナデスペネデス
Pereペラペレ
Pompeu Fabraプンペウ・ファブラポンペウ・ファブラ

あ、あと音引き「ー」は必須ではないと思うし、入れると間が抜けることが多いと思うので、使っていない。僕自身は昔より「ー」を使わなくなっていて、今思い切って無しにしてみた。「カタルーニャ」は流石にこっちが見慣れた感じだが、「カタルニャ」でも良いような気がしてきた。「ー」の扱いはカスティリャ語とも共通したテーマなので、項を改めて論じたい。

  • Prieto, Pilar, 2014, Fonètica i fonologia. Els sons del català, priera edició en format digital, Editorial UOC.
  • 立石博高・奥野良知 (編), 2013, 『カタルーニャを知るための50章』明石書店.

付記 (2019/04/01): Prieto 2014 への参照セクションを修正。章番号をローマ数字で付け加えた。Prieto 2014 は Kindle と Google Play で売っていて、G の方が安かったのでそれを買ったのだが、Google Play の電子書籍リーダー (iOS版) の出来はかなり改善の余地ありで、知的営みのための投資をケチったことを後悔している。

2019年3月28日木曜日

Montsalvatge (2)

ソプラノ歌手の谷めぐみさんから連絡を頂いた。以前「シャビエ・ムンサルバッジャ」を使ってみたが、通じなくて大変だったという経験がおありとのこと。そうなんだろうな。慣用は強いのだ。変えるためには、少しずつ「シャビエ」が増えていくように地道に取り組んで行くしかない。

カタルーニャ語固有名詞に関わるもうひとつの問題は、Xavier に対する Javier とか Enric に対する Enrique とか、他の言語に対応するものがあることだ。つまり、名前も翻訳できてしまうのだ。これはカタルーニャ語とカスティーリャ語の間に限らない。今ではしないのが普通だが、昔は名前を翻訳す習慣があった。例えば1881年に Menéndez Pelayo が訳したシェイクスピアの作品集は Dramas de Guillermo Shakespeare だったようだし、僕は Carlos Marx (ドイツ語では Karl だ) も見たことがある。今でも見るのは Guillermo Tell (Wilhelm Tell) や Julio Verne (Jule Verne)。スヌーピーと Carlitos なんてのもある。

歴史上の王たちには、カノッサの屈辱の Enrique IV とかナントの勅令の Enrique IV とか英国国教会を作った Enrique VIII とかがいるし、今でもイギリスの女王は Isabel、その息子は Carlos、さらにその息子でメーガン・マークルと結婚したのは Enrique だ。また、キリスト教の聖人たちがそれぞれの言語でそれぞれの呼び方をされるのは良く知られたことだが、日本で「サン・ジョルディ」とカタルーニャ語 Sant Jordi から入った言い方をされるのは聖ゲオルギオスとか聖ジョージとか呼ばれているのと同一人物だ。今のローマ教皇を日本ではカスティーリャ語風にフランシスコと呼んでいるが、Francisco に当たるラテン語は Franciscus で、Wikipedia に載っている彼の署名はラテン語で書いてある (バチカンの公用語はラテン語だからね)。

こういう習慣というか伝統を考えれば、Xavier を Javier とか Enric を Enrique とか言うのは、カタルーニャ語とカスティーリャ語の力関係だけが原因というわけではないことが分かる。同じ人が同じ人についてカタルーニャ語で喋るときは Xavier と言い、カスティーリャ語では Javier と言うということはあり得るし、相手に応じて言い方を変えるかもしれない。

蔵書印では Enric だったグラナドスも、夫人に宛てた手紙 (WEB上で画像をいくつか見ることができる) はカスティーリャ語で書いていて、Enrique に見える署名が確認できるものがある。とりあえずカスティーリャ語では Enrique Granados で、カタルーニャ語では Enric Granados で良いとして、日本語ではどうするか、結構面倒な問題だ。

Xavier Montsalvatge (1912-2002) の場合は、前に書いたように、カスティーリャ語版のWikipediaでも Xavier なのだから「ハビエル」を維持する意味はない。というわけでカタルーニャ語をカナで写すときの問題点を次回以降取り上げることにしたい。

2019年3月19日火曜日

Montsalvatge

外国の固有名詞をどう表記するかという問題は、元の言語が何かという問題と切り離すことができない。まず、言語によって音韻体系と書記体系が異なるので、その言語の音・表記から日本語のカナへの対応をどうするか決める必要がある。それに加えて、その言語が置かれた社会言語学的な位置付けが事態を複雑にすることがある。

画家のミロは、昔は「ホアン・ミロ」と書かれることが珍しくなかったが、今では「ジョアン・ミロ」が普通だ。「ホアン」はスペイン語の Juan を書く書き方の一つ。「ジョアン」はカタルーニャ語の Joan を書く書き方の一つ。本来の名前である Joan に従った表記が一般的になったわけだ。一方、チェリストのカザルスは、カタルーニャ語に基づいた「パウ・カザルス」も見るが、スペイン語・カタルーニャ語混合の「パブロ・カザルス」が多い (スペイン語風の「カサルス」はまず見ない)。

さて、何日か前に「ハビエル・モンサルバーチェ」という表記を見た。やはりカタルーニャ出身の作曲家だが、完全にスペイン語風表記だ。濱田 (2013) は「パウ (パブロ)・カザルス (229)」と書く一方、「カタルーニャ人のハビエル・モンサルバーチェ (265)」としている。「ハビエル」はスペイン語 Javier に対応する表記で、カタルーニャ語では Xavier Montsalvatge [ʃǝβi'e munsǝl'βadʒǝ] だから、「シャビエ・ムンサルバッジャ (あるいはモンサルバッジェ)」ぐらいにしても良さそうなものだが、ハビエルが圧倒的に強い。

ちなみにスペイン語版Wikipediaでは Xavier Montsalvatge i Bassols というカタルーニャ語の書き方を採用している。日本語版では「ハビエル・モンサルバーチェ・バッソルズ (Xavier Montsalvatge i Bassols...)」としていて、カナ表記はスペイン語風、ローマ字はカタルーニャ語というチグハグなことになっている (なお「バッソルズ」はスペイン語風でもカタルーニャ語風でもない。どちらの場合も「バソルス」になるはず)。これは直した方が良い。

少し複雑なのはグラナドスの場合だ。濱田 (2013: 185) はグラナドスの蔵書印の図版を載せていて、そこには «EX-LIBRIS ENRIC GRANADOS CATALONIAN COMPOSER» という文字が見え、本人が Enric というカタルーニャ語名を使っていたことが分かる。しかも Spanish ではなくて Catalonian と言っているところが興味深い。ところが、カタルーニャ語版のWikipediaによれば、生まれた時の名付けは Pantaleón Enrique Joaquín だったという。生まれはカタルーニャだが、父は当時まだスペイン領だったキューバ出身、母はカンタブリア出身で、スペイン語で名前をつけるのは自然だったのだろう。まあ、本人が Enric を使っていたのなら「アンリック (エンリック)・グラナドス」で良かろうと思うが、慣用はスペイン語式の「エンリケ」だ。

「ムンサルバッジャ / モンサルバッジェ」「アンリック / エンリック」における母音の選択と促音の表記については、また稿を改めて論じたい。

  • 濱田滋郎, 2013, 『スペイン音楽のたのしみ』(新版), 音楽之友社.

2019年2月16日土曜日

Sino (4)

Sino (3) で書いたことの訂正。
 
Machado de Assis の小説 (そういえば、ポルトガル語で長編小説は romance と言う) を読んでいて、«não ... senão ... » が普通に出てくることに気づいた。
Quis retê-la, mas o olhar que me lançou não foi já de súplica, senão de império. (Memórias Póstumas de Brás Cubas, cap. XXXV)
この作品を含む小説集の中で検索すると senão は187例ヒットした。その中にはスペイン語なら si no になる例もあるし、«não ... señão» で excepto に相当するものが多く目につくが、上のような例も確かにある。

 それから «não ... mas ... » も見つかった。
Talvez a narração me desse a ilusão, e as sombras viessem perpassar ligeiras, como ao poeta, não o do trem, mas o do Fausto: Aí vindes outra vez, inquietas sombras? ... (Dom Casmurro, cap. II)
さて、問題は Machado de Assis (1839-1908) 時代のポルトガル語と今のポルトガル語との関係だ。辞書には senão の記述がある。
Aconselhou-me não como mestre, senão como pai. 彼は先生としてではなく、父親として私に助言してくれた。(池上ほか s. v. senão)
それから、Whitlam (2011: §26.1.1) は «não só ... mas também (ainda)» と並んで «não só ... senão também» に言及している (例文は «não só ... mas ainda» のものだけ)。

というわけで、表を以下のように訂正。

pero(no ...) sino
cat.peròsinó
gal.perosenón
ast.perosinón
port.masmas, senão
it.ma
fr.mais

これで「PER HOC 系と SĪ NŌN 系の役割分担がある言語と MAGIS 系でまかなっている言語」という単純な二分法が成り立たないことがはっきりした。辞書をちゃんと見ていれば、そんな恥ずかしいこと書かずに済んだのだが・・・

  • 池上岺夫 ほか (編), 『現代ポルトガル語辞典』改訂版, 白水社 2005 (iOS版 ver. 2.5.1 物書堂 2012).
  • Machado de Assis, Obras completas de Machado de Assis. Volume 1 - Romances, versão digital (iOS), Montecristo Editora, 2012.
  • Whitlam, John, 2011, Modern Brazilian Portuguese grammar, Routledge.

2018年12月27日木曜日

Sino (3)

前の前の記事を書いているときに気になったこと。

カタルーニャ語、ガリシア語、アストゥリアス語は、スペイン語と同じように「しかし」にはラテン語の PER HOC から来た語 (PER HOC 系と呼ぶことにする) を使い、no ... sino のパタンでは「もし」と否定の組み合わせ (これもラテン語の相当する語を並べて SĪ NŌN 系と呼ぶことにしよう) が使われる。

それに対して、ポルトガル語、イタリア語、フランス語では、どちらの場合もラテン語の MAGIS から来た語 (以下 MAGIS 系) を使う。

pero(no ...) sino
cat.peròsinó
gal.perosenón
ast.perosinón
port.mas
it.ma
fr.mais


実際には、使い分けのあるグループには MAGIS 系の「しかし」もある (es: mas, cat: mes, gal: mais, ast: mas)。しかし普通なのは PER HOC 系の方だ。一方、イタリア語には「ma よりやや強い反意 (『伊和中辞典 (第2版)』小学館 1999、iOS版 ver. 3.5.2 物書堂, s. v. però)」を持つ però がある。ポルトガル語にも pero があるが «arcaico (Dicionário de língua portuguesa, Porto Editora, iOS ver. 3.4.06, s. v. pero)» だ。なお、古仏語には PER HOC から来た peruec という語があったようだが、「しかし」の意味ではなさそうだ。

というわけで、単純化は慎まねばならないが、PER HOC 系と SĪ NŌN 系の役割分担がある言語と MAGIS 系でまかなっている言語がある。これはたまたまなのか、それとも言語学的な理由があるのか。すでに解決済みの問題かもしれないが、勉強するかもしれない時のために、とりあえずメモしておく。

2018年12月24日月曜日

Sino

学校で外国語としてスペイン語を習った人にとっては大して難しくない (はずだ) けれども、ネイティブには結構厄介な問題というのがあって、そのひとつが sino と si no の使い分けだ。例えば: «Vázquez de Sola insiste, que en las conversaciones que mantuvo con Matrona se encontró a un personaje no de izquierdas, si no muy de izquierdas (Pinilla 2011: 33)».

まず insiste の後のコンマは余計なので無視して読んでもらうとして、Vázquez de Sola が言うには、Pepe el de la Matrona と話をしてみると、Pepe が左翼の人間、なんて程度ではなくてバリバリの左翼だということが分かった、と読むとスッキリする。しかし、そのためには si no ではなくて sino にしないといけない。一方、仮に personaje のあとの no がないとすると、si no のままで「すごく左というわけではないとしても、左の人」という読みが可能になると思うので、僕はこの文末で「あれ、no があると思ったのは錯覚だったのか」と思って目が後戻りしてしまった。しかし、ちゃんと no はあった。実際 no X, sino muy X というパタンは結構目にする。この程度のスペースに惑わされるのでは、まだまだ修行が足りない。

ちなみに、この著者は次のページでも sino であるべき si no を使っている: «Efectivamente el hecho de se de izquierdas o republicano en el mundo del flamenco no constituyó un motivo de enaltecimiento hacia estas figuras, si no más bien todo lo contrario (idem: 34)». こっちは一発で分かった。

Sino は1語として綴られて接続詞ということになっているが、si と no がくっついて出来たものだ。意味の違いがあるので si no とは別の独立した語とみなすことに無理はないが、もうひとつ、発音上の違いもある。スペイン語の接続詞は大抵無強勢語で、sino もその中に入る (RAE & ASALE 2011: §9.3a)。それに対し、接続詞の si は無強勢だが副詞の no には強勢がある。そうなると sino más は [sino'mas] だが si no más は [si'no 'mas] ということになる。つまり、聞いて違いが分かるはずなのだ。

とは言え、それは規範の話。と言うか記述伝統の話。実際、sino が sinó のように発音されることがあるように僕には聞こえる。周りの言語、カタルーニャ語では sinó, ガリシア語では senón, アストゥリアス語では sinón で、どれも強勢語のように見える (カタルーニャ語の場合 ó は無強勢音節に現れないので強勢があると言える。ガリシア語については Regueira の辞書で強勢ありを確認した。アストゥリアス語については確証はないが、non に強勢があることは確実で、sinón も多分)。スペイン語では、もともと強勢のあった no が無強勢化して sino という1語になったわけだが、この無強勢化のプロセスが本当に完遂しているのかどうか、疑ってみる価値はある (既に記述があったら教えてください)。

この sino は対比的な焦点情報を導入するので、強めに発音したくなることがある。また、単独で発音するときには無強勢というわけにもいかないので、どちらかの音節に強勢を置いて発音せざるを得ない。普段の喋りなら、なるようになった発音でやれば良いのでそうしているが、教室で説明をしながらの場合、いつも迷う。気分的には sinó の方が落ち着くのだが、それを学習者の前でやっていいのか。と考えるときにいつも思い出すのは、随分前にスペインでテレビを見ていた時のこと。内容は全然覚えていないのだが、Carlos Fuentes が出演して喋っていた。そして彼は確かに正書法から予想される ['sino] という発音をしていたのだった。それが印象に残っているということは、やはり僕の経験が [sino] でなければ [si'no] に傾いているということなのかも知れない。
  • Pinilla, Juan, 2011, Las voces que no callaron: flamenco y revolución, Atrapasueños.
  • RAE & ASALE, 2011, Nueva gramática de la lengua española. Fonética y fonología, Espasa.
  • Regueira, Xosé Luís (dir.), Dicionario de pronuncia da lingua galega, Instituto da Lingua Galega. http://ilg.usc.es/pronuncia [Consultado: 2018/12/24]

2014年11月17日月曜日

Ha mort Badia i Margarit.

TV3 (カタルーニャのテレビ) のアプリをつけたら Antoni Maria Badia i Margarit が亡くなったというニュースをやっていた。カタルーニャ語学をやっている人なら知らない人はいない大御所、94歳 (1920-2014) の大往生。僕は彼の業績を評価できるほど勉強していないが、少しばかり彼の著作には触れているし、自分の論文の中で引用したりして、お世話になった。

合掌 (que descansi en pau)。

2014年10月26日日曜日

Son son somni

Najat El Hachmi を読んでいるのは、たまたま勤め先の図書館にあった薄い非言語学系の本だったからで、著者や中身について事前に知識があったからではない。いま、必要があってカタルーニャ語をかじり直しているところで、この言語との接触を増やすのが目的で手に取ったのだった。でも、いったい誰が図書館に入れたのだろう。

カタルーニャ語は仕事で文献を読むのには使っているから、知らない言語ではない。しかし、いわゆる日常会話となるとからきしだ。容易に想像できると思うが、外国語学習における到達目標として一番ぐらいに易しいのは専門書の読解だ。特に似た言語を既にある程度知っていれば、用語なんかもほぼそっくりだったりするから、辞書を引く必要もほとんどない。なので、もう少し難しい本に挑戦しているというわけだ。

さて、カタルーニャ語の辞書を眺めていて、明らかに「初級レベル」のことで知らなかった (覚えていなかった?) ことに出くわして驚いたのだったが、それを説明するにはスペイン語から始める必要がある。スペイン語で Tengo sueño と言うと「眠い」で、Tuve un sueño だと「夢を見た」ということに普通はなるだろう。しかし、ポルトガル語では前者を Tenho sono (Estou com sono の方がよく見るか?) と表現し、後者は Tive um sonho になる。つまりスペイン語が sueño の1語で済ませているところをポルトガル語では sono 「眠気」と sonho 「夢」を区別する。ガリシア語の sono / soño も同様。イタリア語の sonno と sogno もそうみたいだ (辞書には sonno に詩的用法の「夢」が載っているが)。僕は最初ポルトガル語の sono と sonho の区別がなかなか身に付かなくて、反対にしてしまったりしていたのだが、最近ようやく慣れて来た。

さてカタルーニャ語ではどうか。眠いときには Tinc son で夢を見たら Vaig tenir un somni で、ポルトガル語と同様の区別がある。だから、それだけでは驚かない。最初の驚きは、この son が女性名詞だということ (上に挙げた言語では男性名詞)。なので Tengo mucho sueño / Tenho muito sono / Teño moito sono / Ho molto sonno に対して Tinc molta son になる。まあ、とは言え言語間の名詞の性の不揃いは別に珍しいことではないから、驚いたというのは言い過ぎだ。本当は son に男性名詞と女性名詞があることに驚いたのだ。たとえば「深い眠り」は un son profund で、男性名詞として使われている。他の言語では un sueño profundo / um sono profundo / un sono profundo / un sonno profondo だから、性の変化はない。

まとめると、「眠り」「眠気」「夢」という3つの概念を、カタルーニャ語は son (m), son (f), somni で区別する。ポルトガル語・ガリシア語・イタリア語は「眠り・眠気」「夢」の2つにまとめて sono/sonho, sono/soño, sonno/sogno で表現する。スペイン語は sueño で全部に対応する。言語学の教科書に出てくる「恣意性」のわかりやすい例ということになる。

castellanoportuguêsgalegoitalianocatalà
sueñosonosonosonnoson (m)
son (f)
sonhosoñosognosomni



«La vida es sueño» を「人生は眠い」と訳して笑ってもらえるのはスペイン語学習者のみに許された特権なのだ。

2014年10月19日日曜日

És catalana

前回の続きだが、もう少し言語的な話。"estadounidense de origen japonés" で検索してみると、中村修二や南部陽一郎をそう形容しているテクストが見つかる。なぜか江崎玲於奈や下村脩がそうなっているものも引っかかるが、この2人は日本国籍のようだ (アメリカで研究している・いたのでそう思われたのだろう)。これは「日本出身の米国人」と訳してよいだろうか。ちょうど estadounidense de origen español で Severo Ochoa が出てきたりするのと同じだ。他には mexicano de origen español で検索するとスペイン内戦がきっかけでメキシコに亡命した人の名前 (Rodolfo Halffter とか) がヒットする。この場合 "X de origen Y" のほか "Y nacionalizado X" という言い方もある。

だが、de origen Y を「Y出身」と訳してはいけない例も見つかる。さっきの estadounidense de origen japonés で引っかかる名前の中には Francis Fukuyama (シカゴ生まれ) や Isamu Noguchi (ロサンゼルス生まれ) もあるし mexicano de origen español の中には作家の Jordi Soler (メキシコ・ベラクルス州生まれ) もある。つまり「Y系」とでも訳したほうがいいような場合だ。Francis Fukuyama に関しては japonés nacionalizado americano としているテクストも見つかるが、たぶん誤解に基づく記述なのだろう。

というわけで X de origen Y だけでは出身地がどこか分からない。それだけではない。Najat El Hachmi はカタルーニャ語版のウィキペディアでは «és una escriptora catalana i mitjancera cultural d'origen amazic» となっているのだが、amazic は日本ではベルベルと言っている人たちのことで、ベルベル人は複数の国にまたがって住んでいるから、国名という意味での出身地の手がかりにはならない。彼女の場合はモロッコ生まれだが d’origen amazic を「モロッコ出身」と訳すわけにはいかない。やはりここは「ベルベル系」になるのだろうか。ちなみに Jo també sóc catalana を半分ぐらいまで読んだところでは、労働許可がないので仕事探しに苦労する話が出てくるので、16歳の頃はスペイン国籍ではなかったということは分かるが、今の国籍は (徹底的に調べたわけではないので) 分からない。

なお、Najat El Hachmi に関するスペイン語版のウィキペディアの記述は «es una escritora de origen marroquí establecida en España» で、国レベルの形容になっているところが、独立国を持たないカタルーニャやベルベルというレベルで記述しているカタルーニャ語版と大きく異なる。

2014年4月16日水曜日

Torró d’Agramunt

スペイン人の研究生がお土産に持ってきてくれた。カスティーリャ語なら turrón de Agramunt. トゥロンというと僕はアリカンテのものぐらいしか知らなかったのだが、Lleida にある Agramunt もトゥロン作りの歴史がある町らしい。もらったのは torró de gema cremada という種類で、食べたのは初めてだが、予想を超える美味しさ。

この torró d’Agramunt は indicació geogràfica protegida の指定を受けている。日本語訳には「地理的表示保護」というのがあるが、ちょっと分かりにくい。「保護地理的表示」という訳も存在する。こちらの方が直訳の「保護された地理的表示」に近いが、やはりすっきりしない。これを漢字だけを使ってきれいな言い方にするのは無理なのかもしれない。

Torró d’Agramunt の保護・管理組織である consell regulador のページによれば、Agramunt でトゥロン職人の存在が文書で確認できるのは1741年だが、それ以前から作られていたはずだという。もともとトゥロン作りは専業でやるものではなかったらしく、職業名として記録に残らなかったというのが理由のひとつらしい。

他にも興味深い話が載っているのだが、このサイト、全編カタルーニャ語である。カスティーリャ語版を探したが、見当たらない。なぜだろう? あるいは、なぜだろうと問うことがおかしいのか?

なお cremada はカスティーリャ語なら quemada で、クリームのことではない。

M’han regalat un torró d’Agramunt, que no havia provat mai. És de gema cremada, molt diferent dels que coneixia, i és boníssim. Potser és el millor torró que hagi provat.

(corregit un error ortogràfic, 2014/04/17)

2014年1月4日土曜日

Batalla de la lengua

La recomendación de hoy:
Valle, Juan del & Gabriel-Stheeman, Luis (eds.), 2002, The battle over Spanish between 1800 and 2000: language ideologies and hispanic intellectuals, Routledge (e-book edition 2004).

Cuando se habla del catalán, del euskera, del gallego, lo asocias, u oyes asociarlo, con el nacionalismo catalán, el vasco, el gallego. Cuando se habla del español, lo más probable es que eso no ocurra, como si este idioma no tuviera nada que ver con la política. Pero hay nacionalismo (lingüístico) español, y mucho. Solo que a los que aprenden y estudian el español no se les presenta de forma explícita. Este libro te hace recordar este hecho. Habrá puntos discutibles, pero, o más bien por eso mismo, te dará un punto de partida para reflexionar.

スペイン語の学習者にとって、この言語の「統一」や「発展」の背景にあるスペインナショナリズムは不可視とまでは言わないが非常に見えにくい。スペイン語学のプロでも、このことに気づいていないように見受けられることがある。カタルーニャやバスクやガリシアのナショナリズムを批判するのならば、スペインのナショナリズムも批判しなければ公平さを欠くことになるだろう。批判というのは「○○はダメだ」と言うことではなくて、とりあえずは○○が言ってることを鵜呑みにしないということだ。もちろん、これはこの本の言っていることにも当てはまる。

2013年7月13日土曜日

La calor

非標準形の続き。

Me recuerdo yo aquella calor tan mala y ese vino que en’entonces no se ponía fresquito como ahora, lo ponían al natural, asín salía de la bota (José María Castaño et al, 2010, Cien años de Tío Gregorio El Borrico. 1910-2010, Ediciones Los Caminos del Cante, pp. 59–60).

複数形もある。

En el verano, se recogía la semilla y hacían las calores más malas que en el infierno mismo (idem: p. 94).

Calor を女性で使うこと以外にもいろいろと面白いのだが、それは措いといて、DRAE は «U. t. c. f. (s. v. calor)» とか言って男性でも女性でも構わないような印象を与えるが、DPD は «Su uso en femenino, normal en el español medieval y clásico, se considera hoy vulgar y debe evitarse (s. v. calor)» としていて、非推奨形であることが明確になっている。

僕の経験では calor を女性名詞としての使用は、アンダルシアではしっかり生きていて、こないだも (東京でだが) あるアンダルシア人が «mucha calor» を複数回言っているのを聞いて内心ニヤニヤしていたのだった。ただし、女性名詞としての使用が特にアンダルシアで強く生き残っているということなのか、たまたまアンダルシアで「暑さ」を話題にすることが多くて記憶に残っているのか、よく分からない。

そういえば color も標準的には男性だが、やっぱり «U. t. c. f. (DRAE: s. v. color)» だ。

A Gregorio le cambió la coló de la cara y se le puso como de cera virgen (José María Castaño et al, 2010, p. 62).

これも DPD 的には «Su uso en femenino, normal en el español medieval y clásico, es ajeno hoy a la norma culta y debe evitarse (s. v. color)».

標準的なスペイン語では calor, color, dolor, valor は男性名詞、ラテン語では calor, color, dolor, valor は男性だった。イタリア語でも calore, colore, dolore, valore は男性名詞。ところがフランス語では chaleur, couleur, douleur, valeur はみんな女性名詞。ポルトガル語では calor と valor は男性名詞だが cor, dor は女性名詞。カタルーニャ語は、DIEC2によれば calor は女性、color, dolor, valor は男性または女性 (m. o f.) だが、この o のニュアンスはカタルーニャ語に詳しくないので分からない。ガリシア語では calor, cor (color), dor (dolor) は女性名詞で valor は男性名詞。アストゥリアス語は calor が女性 (la)、color が男性または女性 (el/la)、dolor と valor が男性 (el)。言語によって解決が異なるので、学習者としてはかなり面倒だ。

あと、ガリシア語の calor は女性となっているが、去年サンティアゴで moito calor を聞いた記憶がある (moito は muito だったかもしれない)。どの言語にも非標準形というものはある。

いずれにせよ、男性女性に気をとられているうちに golpe de calor にやられたりしないように注意しなければ。