ソプラノ歌手の谷めぐみさんから連絡を頂いた。以前「シャビエ・ムンサルバッジャ」を使ってみたが、通じなくて大変だったという経験がおありとのこと。そうなんだろうな。慣用は強いのだ。変えるためには、少しずつ「シャビエ」が増えていくように地道に取り組んで行くしかない。
カタルーニャ語固有名詞に関わるもうひとつの問題は、Xavier に対する Javier とか Enric に対する Enrique とか、他の言語に対応するものがあることだ。つまり、名前も翻訳できてしまうのだ。これはカタルーニャ語とカスティーリャ語の間に限らない。今ではしないのが普通だが、昔は名前を翻訳す習慣があった。例えば1881年に Menéndez Pelayo が訳したシェイクスピアの作品集は Dramas de Guillermo Shakespeare だったようだし、僕は Carlos Marx (ドイツ語では Karl だ) も見たことがある。今でも見るのは Guillermo Tell (Wilhelm Tell) や Julio Verne (Jule Verne)。スヌーピーと Carlitos なんてのもある。
歴史上の王たちには、カノッサの屈辱の Enrique IV とかナントの勅令の Enrique IV とか英国国教会を作った Enrique VIII とかがいるし、今でもイギリスの女王は Isabel、その息子は Carlos、さらにその息子でメーガン・マークルと結婚したのは Enrique だ。また、キリスト教の聖人たちがそれぞれの言語でそれぞれの呼び方をされるのは良く知られたことだが、日本で「サン・ジョルディ」とカタルーニャ語 Sant Jordi から入った言い方をされるのは聖ゲオルギオスとか聖ジョージとか呼ばれているのと同一人物だ。今のローマ教皇を日本ではカスティーリャ語風にフランシスコと呼んでいるが、Francisco に当たるラテン語は Franciscus で、Wikipedia に載っている彼の署名はラテン語で書いてある (バチカンの公用語はラテン語だからね)。
こういう習慣というか伝統を考えれば、Xavier を Javier とか Enric を Enrique とか言うのは、カタルーニャ語とカスティーリャ語の力関係だけが原因というわけではないことが分かる。同じ人が同じ人についてカタルーニャ語で喋るときは Xavier と言い、カスティーリャ語では Javier と言うということはあり得るし、相手に応じて言い方を変えるかもしれない。
蔵書印では Enric だったグラナドスも、夫人に宛てた手紙 (WEB上で画像をいくつか見ることができる) はカスティーリャ語で書いていて、Enrique に見える署名が確認できるものがある。とりあえずカスティーリャ語では Enrique Granados で、カタルーニャ語では Enric Granados で良いとして、日本語ではどうするか、結構面倒な問題だ。
Xavier Montsalvatge (1912-2002) の場合は、前に書いたように、カスティーリャ語版のWikipediaでも Xavier なのだから「ハビエル」を維持する意味はない。というわけでカタルーニャ語をカナで写すときの問題点を次回以降取り上げることにしたい。
2019年3月28日木曜日
2019年3月19日火曜日
Montsalvatge
外国の固有名詞をどう表記するかという問題は、元の言語が何かという問題と切り離すことができない。まず、言語によって音韻体系と書記体系が異なるので、その言語の音・表記から日本語のカナへの対応をどうするか決める必要がある。それに加えて、その言語が置かれた社会言語学的な位置付けが事態を複雑にすることがある。
画家のミロは、昔は「ホアン・ミロ」と書かれることが珍しくなかったが、今では「ジョアン・ミロ」が普通だ。「ホアン」はスペイン語の Juan を書く書き方の一つ。「ジョアン」はカタルーニャ語の Joan を書く書き方の一つ。本来の名前である Joan に従った表記が一般的になったわけだ。一方、チェリストのカザルスは、カタルーニャ語に基づいた「パウ・カザルス」も見るが、スペイン語・カタルーニャ語混合の「パブロ・カザルス」が多い (スペイン語風の「カサルス」はまず見ない)。
さて、何日か前に「ハビエル・モンサルバーチェ」という表記を見た。やはりカタルーニャ出身の作曲家だが、完全にスペイン語風表記だ。濱田 (2013) は「パウ (パブロ)・カザルス (229)」と書く一方、「カタルーニャ人のハビエル・モンサルバーチェ (265)」としている。「ハビエル」はスペイン語 Javier に対応する表記で、カタルーニャ語では Xavier Montsalvatge [ʃǝβi'e munsǝl'βadʒǝ] だから、「シャビエ・ムンサルバッジャ (あるいはモンサルバッジェ)」ぐらいにしても良さそうなものだが、ハビエルが圧倒的に強い。
ちなみにスペイン語版Wikipediaでは Xavier Montsalvatge i Bassols というカタルーニャ語の書き方を採用している。日本語版では「ハビエル・モンサルバーチェ・バッソルズ (Xavier Montsalvatge i Bassols...)」としていて、カナ表記はスペイン語風、ローマ字はカタルーニャ語というチグハグなことになっている (なお「バッソルズ」はスペイン語風でもカタルーニャ語風でもない。どちらの場合も「バソルス」になるはず)。これは直した方が良い。
少し複雑なのはグラナドスの場合だ。濱田 (2013: 185) はグラナドスの蔵書印の図版を載せていて、そこには «EX-LIBRIS ENRIC GRANADOS CATALONIAN COMPOSER» という文字が見え、本人が Enric というカタルーニャ語名を使っていたことが分かる。しかも Spanish ではなくて Catalonian と言っているところが興味深い。ところが、カタルーニャ語版のWikipediaによれば、生まれた時の名付けは Pantaleón Enrique Joaquín だったという。生まれはカタルーニャだが、父は当時まだスペイン領だったキューバ出身、母はカンタブリア出身で、スペイン語で名前をつけるのは自然だったのだろう。まあ、本人が Enric を使っていたのなら「アンリック (エンリック)・グラナドス」で良かろうと思うが、慣用はスペイン語式の「エンリケ」だ。
「ムンサルバッジャ / モンサルバッジェ」「アンリック / エンリック」における母音の選択と促音の表記については、また稿を改めて論じたい。
画家のミロは、昔は「ホアン・ミロ」と書かれることが珍しくなかったが、今では「ジョアン・ミロ」が普通だ。「ホアン」はスペイン語の Juan を書く書き方の一つ。「ジョアン」はカタルーニャ語の Joan を書く書き方の一つ。本来の名前である Joan に従った表記が一般的になったわけだ。一方、チェリストのカザルスは、カタルーニャ語に基づいた「パウ・カザルス」も見るが、スペイン語・カタルーニャ語混合の「パブロ・カザルス」が多い (スペイン語風の「カサルス」はまず見ない)。
さて、何日か前に「ハビエル・モンサルバーチェ」という表記を見た。やはりカタルーニャ出身の作曲家だが、完全にスペイン語風表記だ。濱田 (2013) は「パウ (パブロ)・カザルス (229)」と書く一方、「カタルーニャ人のハビエル・モンサルバーチェ (265)」としている。「ハビエル」はスペイン語 Javier に対応する表記で、カタルーニャ語では Xavier Montsalvatge [ʃǝβi'e munsǝl'βadʒǝ] だから、「シャビエ・ムンサルバッジャ (あるいはモンサルバッジェ)」ぐらいにしても良さそうなものだが、ハビエルが圧倒的に強い。
ちなみにスペイン語版Wikipediaでは Xavier Montsalvatge i Bassols というカタルーニャ語の書き方を採用している。日本語版では「ハビエル・モンサルバーチェ・バッソルズ (Xavier Montsalvatge i Bassols...)」としていて、カナ表記はスペイン語風、ローマ字はカタルーニャ語というチグハグなことになっている (なお「バッソルズ」はスペイン語風でもカタルーニャ語風でもない。どちらの場合も「バソルス」になるはず)。これは直した方が良い。
少し複雑なのはグラナドスの場合だ。濱田 (2013: 185) はグラナドスの蔵書印の図版を載せていて、そこには «EX-LIBRIS ENRIC GRANADOS CATALONIAN COMPOSER» という文字が見え、本人が Enric というカタルーニャ語名を使っていたことが分かる。しかも Spanish ではなくて Catalonian と言っているところが興味深い。ところが、カタルーニャ語版のWikipediaによれば、生まれた時の名付けは Pantaleón Enrique Joaquín だったという。生まれはカタルーニャだが、父は当時まだスペイン領だったキューバ出身、母はカンタブリア出身で、スペイン語で名前をつけるのは自然だったのだろう。まあ、本人が Enric を使っていたのなら「アンリック (エンリック)・グラナドス」で良かろうと思うが、慣用はスペイン語式の「エンリケ」だ。
「ムンサルバッジャ / モンサルバッジェ」「アンリック / エンリック」における母音の選択と促音の表記については、また稿を改めて論じたい。
- 濱田滋郎, 2013, 『スペイン音楽のたのしみ』(新版), 音楽之友社.
2019年3月2日土曜日
Concordancia vizcaína
『情熱でたどるスペイン史』の、前回引用した部分に続いて、スペインの「複合的性格」の具体例が挙げられている。
ここまで引用しておいた方が、前回の引用部分は分かりやすくなったかもしれない。バスク地方で「カスティーリャ語がごく普通に使われてい」たのは、ローマの支配下で支配者とのインターフェース言語がラテン語になって以来続いてきたことの延長で、単純化して言えば、ラテン語がカスティーリャ語に変化したからだ。だから、バスク語とカスティーリャ語の関係は、それぞれが中世王国の言語だったカタルーニャ語とカスティーリャ語との関係とは異なるとは言える。
バスク地方のカスティーリャ語化の歴史も圧倒的に長い。萩尾 (2005: 92) によれば「紀元1世紀にバスク語が話されていた地理的空間は、北端がフランスのボルドー、東端がアンドラ、南端がスペインのサラゴサとソリアを結ぶ線、西端がサンタンデルとブルゴスを結ぶ線」だった。以来20世紀に至る「縮減」過程は萩尾 (ibid.) の地図が分かり易く示しているのだが、上手くスキャンできなかったので、現物に当たってぜひ確認して欲しい。
それでも、カスティーリャ語化の度合いは、17世紀の初頭にバスク人の喋り方が笑いの対象になる程度のものだった。次に引くのは、『ドン・キホーテ』の中の有名な一節、ビスカーヤ人の発言だ。
これを注釈者は以下のように訳している。
牛島信明訳は
だが、これは文法的に整っていて、原文の味わいは出ていない。まあ、文法的に破格なところを尊重して訳したら、分かる日本語にならないだろうから、田舎者用の役割語を使って処理したのだろうけれど。ちょっと直訳を試みてみる。
最初の文は動詞がない。Juro で始まる文は tan ... como の形になっているのでそれを活かしたが、そうすると como cristiano が意味不明になる。Si lanza 以下の文は難物だ。条件節は lanza と espada に冠詞がないところが上手く訳せないが、目的語が動詞の前にある点はバスク語の語順を意識しているのかも知れなくて、そこを何とか出来たかも知れない。しかし、冠詞があればこの語順で中世の武勲詩みたいに響くかも知れないので、むしろそれを目指してみた。帰結節は、慣用句 llevarse el gato al agua = salirse con la suya 「猫を水に連れて行く = 自分の思い通りにする」が言いたいことだと注釈が言っている。「私が猫を水に連れて行く」と言うべきところを「水を汝が連れて行く猫へ」みたいな感じになっているわけだ。なので本当に意味をなさない日本語にしてみた (cuán presto のかかり方も、オリジナルではこう読める)。Por el diablo のところは、牛島訳のようなことだろうけれど、おそらく「悪魔にかけて」誓う=悪態をつく形式なのだと思うので、そう訳しておいた。後半の y mientes 以降は、語順が変なところを尊重した。
さて、このビスカーヤ人 (=バスク人) の言説、さっき言ったように、定冠詞があるべきところになかったり、目的語が動詞の前にあったりといった特徴がある。バスク語は名詞の定性を変化語尾の内部で表現する (しかもバスク語の定表現がカスティーリャ語の定表現と一致するわけでもない) ので、カスティーリャ語の定冠詞は習得しにくかったのかもしれない。また、バスク語の基本語順は一応SOVと言われていて、それが反映している可能性はある (mira que mientes であるべきところが mientes que mira になっているのもSOVの反映と見ることが出来る)。
それから、注釈によれば動詞が1人称単数であるべきだが2人称単数になっているところが1箇所ある (llevas)。バスク語の動詞には人称変化があるから、こんな間違いはしないだろうと思うのだが、もしかしたら、バスク語には主語や目的語ではない親称2人称単数 (聞き手) の標識が動詞の活用形の中に表示されるという現象があって (例えば https://nabasque.eus/old_nabo/Euskara/hika.htm 参照)、それと関係しているのかもしれない。まあそこまで考えなくても良いのだろうけど。
ともあれ、注釈によれば «A los vizcaínos se les atribuía un lenguaje convencional (nota 57)» で、当時バスク人を表す役割語が広く用いられていたようなので、このビスカーヤ人の言葉もリアルなバスク人カスティーリャ語を写していると考えない方がいい。重要なのはむしろ、バスク人の話し方について、当時こういうステレオタイプ的イメージがあったということだ。つまり、バスク人はカスティーリャ語を上手く話せないというイメージだ。
そこから concordancia vizcaína 「ビスカーヤ風(文法的)一致」という表現の説明もつく。これは、DRAE によれば «concordancia gramatical defectuosa o incorrecta (RAE & ASALE, 2014: s. v. concordancia)» で、一致ができていないのをこう呼んだわけで、バスク人のカスティーリャ語に対するステレオタイプが元になっている。
バスク地方で「カスティーリャ語がごく普通に使われてい」たことを否定する必要はないと思うけれども、非対称な言語接触下ではこんなことが普通に起こるということも覚えておきたい。
レコンキスタや海外植民では、カスティーリャ王国の下でバスク人が大活躍しましたし、バスク地方内でカスティーリャ語がごく普通に使われていました。(池上 2019: 219)
ここまで引用しておいた方が、前回の引用部分は分かりやすくなったかもしれない。バスク地方で「カスティーリャ語がごく普通に使われてい」たのは、ローマの支配下で支配者とのインターフェース言語がラテン語になって以来続いてきたことの延長で、単純化して言えば、ラテン語がカスティーリャ語に変化したからだ。だから、バスク語とカスティーリャ語の関係は、それぞれが中世王国の言語だったカタルーニャ語とカスティーリャ語との関係とは異なるとは言える。
バスク地方のカスティーリャ語化の歴史も圧倒的に長い。萩尾 (2005: 92) によれば「紀元1世紀にバスク語が話されていた地理的空間は、北端がフランスのボルドー、東端がアンドラ、南端がスペインのサラゴサとソリアを結ぶ線、西端がサンタンデルとブルゴスを結ぶ線」だった。以来20世紀に至る「縮減」過程は萩尾 (ibid.) の地図が分かり易く示しているのだが、上手くスキャンできなかったので、現物に当たってぜひ確認して欲しい。
それでも、カスティーリャ語化の度合いは、17世紀の初頭にバスク人の喋り方が笑いの対象になる程度のものだった。次に引くのは、『ドン・キホーテ』の中の有名な一節、ビスカーヤ人の発言だ。
—¿Yo no caballero? Juro a Dios tan mientes como cristiano. Si lanza arrojas y espada sacas, ¡el agua cuán presto verás que al gato llevas! Vizcaíno por tierra, hidalgo por mar, hidalgo por el diablo, y mientes que mira si otra dices cosa. (DQ, parte 1, capítulo 8)
(https://cvc.cervantes.es/literatura/clasicos/quijote/edicion/parte1/cap08/cap08_03.htm)
これを注釈者は以下のように訳している。
¿Que no soy caballero? Juro a Dios, como cristiano, que mientes mucho. Si arrojas la lanza y sacas la espada ¡verás cuán presto me llevo el gato al agua! El vizcaíno es hidalgo por tierra, por mar y por el diablo; y mira que mientes si dices otra cosa. (nota 58)
牛島信明訳は
なに、わしが騎士でねえだと? わしゃキリスト教徒だで、神様に誓 うて言うが、お前はひどい嘘っこきよ。お前が槍捨てて剣ぬきゃ、川に投げこまれた猫みてえに、あっという間におだぶつさ。ビスカヤ者 は、陸でも海でもどこでも武士 で、そうでねえとぬかしゃ、そりゃまっかな嘘っぱちよ。(『ドン・キホーテ 前篇 (1)』156-157)
だが、これは文法的に整っていて、原文の味わいは出ていない。まあ、文法的に破格なところを尊重して訳したら、分かる日本語にならないだろうから、田舎者用の役割語を使って処理したのだろうけれど。ちょっと直訳を試みてみる。
わたし騎士なし? 神に誓ってキリスト教徒ぐらい汝嘘ついている。汝槍捨て剣抜かば、通りは汝が思いでするとすぐに分かるさ。陸でビスカーヤ人、海で郷士、悪魔にかけて郷士。ことを言うなら別の、汝ているぞ嘘つい。
最初の文は動詞がない。Juro で始まる文は tan ... como の形になっているのでそれを活かしたが、そうすると como cristiano が意味不明になる。Si lanza 以下の文は難物だ。条件節は lanza と espada に冠詞がないところが上手く訳せないが、目的語が動詞の前にある点はバスク語の語順を意識しているのかも知れなくて、そこを何とか出来たかも知れない。しかし、冠詞があればこの語順で中世の武勲詩みたいに響くかも知れないので、むしろそれを目指してみた。帰結節は、慣用句 llevarse el gato al agua = salirse con la suya 「猫を水に連れて行く = 自分の思い通りにする」が言いたいことだと注釈が言っている。「私が猫を水に連れて行く」と言うべきところを「水を汝が連れて行く猫へ」みたいな感じになっているわけだ。なので本当に意味をなさない日本語にしてみた (cuán presto のかかり方も、オリジナルではこう読める)。Por el diablo のところは、牛島訳のようなことだろうけれど、おそらく「悪魔にかけて」誓う=悪態をつく形式なのだと思うので、そう訳しておいた。後半の y mientes 以降は、語順が変なところを尊重した。
さて、このビスカーヤ人 (=バスク人) の言説、さっき言ったように、定冠詞があるべきところになかったり、目的語が動詞の前にあったりといった特徴がある。バスク語は名詞の定性を変化語尾の内部で表現する (しかもバスク語の定表現がカスティーリャ語の定表現と一致するわけでもない) ので、カスティーリャ語の定冠詞は習得しにくかったのかもしれない。また、バスク語の基本語順は一応SOVと言われていて、それが反映している可能性はある (mira que mientes であるべきところが mientes que mira になっているのもSOVの反映と見ることが出来る)。
それから、注釈によれば動詞が1人称単数であるべきだが2人称単数になっているところが1箇所ある (llevas)。バスク語の動詞には人称変化があるから、こんな間違いはしないだろうと思うのだが、もしかしたら、バスク語には主語や目的語ではない親称2人称単数 (聞き手) の標識が動詞の活用形の中に表示されるという現象があって (例えば https://nabasque.eus/old_nabo/Euskara/hika.htm 参照)、それと関係しているのかもしれない。まあそこまで考えなくても良いのだろうけど。
ともあれ、注釈によれば «A los vizcaínos se les atribuía un lenguaje convencional (nota 57)» で、当時バスク人を表す役割語が広く用いられていたようなので、このビスカーヤ人の言葉もリアルなバスク人カスティーリャ語を写していると考えない方がいい。重要なのはむしろ、バスク人の話し方について、当時こういうステレオタイプ的イメージがあったということだ。つまり、バスク人はカスティーリャ語を上手く話せないというイメージだ。
そこから concordancia vizcaína 「ビスカーヤ風(文法的)一致」という表現の説明もつく。これは、DRAE によれば «concordancia gramatical defectuosa o incorrecta (RAE & ASALE, 2014: s. v. concordancia)» で、一致ができていないのをこう呼んだわけで、バスク人のカスティーリャ語に対するステレオタイプが元になっている。
バスク地方で「カスティーリャ語がごく普通に使われてい」たことを否定する必要はないと思うけれども、非対称な言語接触下ではこんなことが普通に起こるということも覚えておきたい。
- Miguel de Cervantes, Don Quijote de la Mancha, edición del Instituto Cervantes, dirigido por Fancisco Rico. https://cvc.cervantes.es/literatura/clasicos/quijote/default.htm
- セルバンテス作/牛島信明訳, 2001,『ドン・キホーテ 前篇 (1)』, 岩波文庫, 岩波書店.
- 萩尾生, 2005, 「バスク自治州におけるバスク語」, 坂東省次・浅香武和 (編), 『スペインとポルトガルのことば』, 同学社, 89-117.
- 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
- RAE & ASALE, 2014, Diccionario de la lengua española, 23ª edición, Espasa.
2019年2月22日金曜日
Dos lenguas
をどう日本語にするか。世の中では広く行われているが専門家は避ける言い方に「2か国語」というのがある。避ける理由は単純で、言語と国家は一対一対応しないからだ。たとえば「スペインではカスティーリャ語、カタルーニャ語、ガリシア語、バスク語の4言語が話されている」とは言えても、これを「4か国語」と言うわけにはいかない。あるいは、スペインという1国で話されているのだからこの4つ合わせて1か国語、というのも無理だ。逆に、スペイン語を公用語とする独立国が20あることを根拠に、私は20か国語喋れます、と言ったら石が飛んでくるかもしれない。国家語でない言語は沢山あるし、複数の国家で使われている言語もある。言語を国家単位で数えるのは、現実を無視したやり方だ。
さて、もうお馴染みの『情熱でたどるスペイン史』は「二か国語」という言い方をしている。
そこは直してもらいたいが、じゃあどう直すか。ちょっと難しい。文脈的には、現代のスペイン・ナショナリズムと地域ナショナリズムの対立に関して「両者は裏表の関係にある」と言った後、地域ナショナリズムへの批判の準備をしているところ。分かりやすい文章ではないが、スペインの「複合的性格の諸地域のゆるやかな集まり」が持つ統合性や、各地域の「他の地域との積極的な交流」が意味する混淆性に重点があるようだ。
「ロマンセーロ」が騎士道物語の間違いだ (以前の記事 «Romancero» 参照) という点を踏まえると、著者が念頭に置いているのはカタルーニャ語で書かれた『ティラン・ロ・ブラン』とカスティーリャ語で書かれた『アマディス・デ・ガウラ』で、「二か国語」はこの両言語のことだということが想像できる。たしかに、当時イベリア半島にはカタルーニャ語が話される「国 (reino)」とカスティーリャ語が話される「国 (reino)」があり、その観点からは「二か国語」という言い方がギリギリ許容できなくはないという説明が成り立たないこともないという気はする。ただし、このような内容の本で使うべき言葉ではない。しかも、イベリア半島というのであれば、これらの騎士道物語が出版された1500年前後に話されていた言語はカスティーリャ語とカタルーニャ語だけではない。だから、半島の言語状況は「二」ではなく多言語的だった。
それから「並存・常用」はどういう意味だろうか。半島に複数の言語が存在した、という意味ならば、それだけのことではある。しかし、これらの言語は決して横並びの関係にあったのではない。1500年ごろのカタルーニャ語圏では、まだカスティーリャ語の圧力は強くなかったかもしれない。しかし、のちに「スペイン」として括られることになる地域では、カスティーリャ語が他の言語の上にかぶさる形で拡張していき、非カスティーリャ語圏のカスティーリャ語化が進むことになる。その力関係は「並存」では表せない。まあ、この部分は地域ナショナリズム批判の準備なので、非対称性を想起させる表現を意図的に避けたのかもしれないが。
さて、もうお馴染みの『情熱でたどるスペイン史』は「二か国語」という言い方をしている。
スペイン・ナショナリズムの行き過ぎはもちろん問題ですが、この国はどの地域も隣接地域との混淆 ・交流・統合を通じた数百年におよぶ複合的性格の歴史を有しており、そうした複合的性格の諸地域のゆるやかな集まりが、現在のスペインという国家なのです。
そしてイベリア半島で中世以降創作されたロマンセーロを眺めれば、二か国語並存・常用の慣習を反映した文学があったことがわかります。純粋なスペイン=カスティーリャ文化など存在したためしはありません。地方文化のほうも、他の地域との積極的な交流から生まれたものばかりです。(池上 2019: 218-219)
そこは直してもらいたいが、じゃあどう直すか。ちょっと難しい。文脈的には、現代のスペイン・ナショナリズムと地域ナショナリズムの対立に関して「両者は裏表の関係にある」と言った後、地域ナショナリズムへの批判の準備をしているところ。分かりやすい文章ではないが、スペインの「複合的性格の諸地域のゆるやかな集まり」が持つ統合性や、各地域の「他の地域との積極的な交流」が意味する混淆性に重点があるようだ。
「ロマンセーロ」が騎士道物語の間違いだ (以前の記事 «Romancero» 参照) という点を踏まえると、著者が念頭に置いているのはカタルーニャ語で書かれた『ティラン・ロ・ブラン』とカスティーリャ語で書かれた『アマディス・デ・ガウラ』で、「二か国語」はこの両言語のことだということが想像できる。たしかに、当時イベリア半島にはカタルーニャ語が話される「国 (reino)」とカスティーリャ語が話される「国 (reino)」があり、その観点からは「二か国語」という言い方がギリギリ許容できなくはないという説明が成り立たないこともないという気はする。ただし、このような内容の本で使うべき言葉ではない。しかも、イベリア半島というのであれば、これらの騎士道物語が出版された1500年前後に話されていた言語はカスティーリャ語とカタルーニャ語だけではない。だから、半島の言語状況は「二」ではなく多言語的だった。
それから「並存・常用」はどういう意味だろうか。半島に複数の言語が存在した、という意味ならば、それだけのことではある。しかし、これらの言語は決して横並びの関係にあったのではない。1500年ごろのカタルーニャ語圏では、まだカスティーリャ語の圧力は強くなかったかもしれない。しかし、のちに「スペイン」として括られることになる地域では、カスティーリャ語が他の言語の上にかぶさる形で拡張していき、非カスティーリャ語圏のカスティーリャ語化が進むことになる。その力関係は「並存」では表せない。まあ、この部分は地域ナショナリズム批判の準備なので、非対称性を想起させる表現を意図的に避けたのかもしれないが。
- 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
2015年7月29日水曜日
Puerto
てなわけで、『スペイン語学概論』の出版を祝って執筆者仲間で会食。場所は渋谷駅から遠くないところにあるバスク料理店サンジャン・ピエドポー。とても美味しく楽しい夕食だった。僕は料理の写真を撮る習慣を持たないので、どんなものを食べたかを見せることは出来ないが、今回のテーマは食べ物ではないので、特に影響はない。
店の名前はフランス語 Saint-Jean-Pied-de-Port に由来する。スペインとの国境近くにある町の名前だ (スペイン語では San Juan Pie de Puerto)。さてこの町、店内の壁にはってある地図で見たら海沿いにあるわけではない。それで puerto には「峠」という意味があることを思い出した。帰ってからオンラインで見た DRAE (22版) の «3. m. Paso entre montañas» にあたるだろう。ついでに «4. m. Montaña o cordillera que tiene uno o varios de estos pasos» というのがあることも分かった。もしかしたらこっちの意味で pie は峠に至る山の麓という感じなのだろうか?
iPad に入っているフランス語の辞書 (『プチ・ロワイヤル仏和辞典』第4版) は「港」の port とは別見出しの port で「(ピレネー山脈の) 峠」という説明をしている。ということは地域限定なわけだ。で、ラテン語学習アプリに入っている Lewis & Short の辞書で portus を引くと、峠にあたる語義は見当らない。なるほど、ラテン語に一般的な意味として存在していたわけではなかったことを認識。
じゃあ真面目に調べるしかない。職場で Corominas & Pascual の DCECH をチェック。すると、こんなことが書いてあった: «PUERTO, del lat.PŎRTUS, -ŪS , ’entrada de un puerto’, ’puerto’; pero en el sentido de ’collado de la sierra’ y ’territorio serrano’, que es particular del castellano, con el catalán, mozárabe, vasco y gascón, el vocablo procede del sorotáptico PŎRTUS , de igual etimología indoeuropea que la voz latina, pero con un significado más semejante al de sus hermanos proétnicos, avéstico pərətuš ’pasaje, entrada, portillo’, gr. πόρος ’pasaje’, scr. pārti ’conduce al otro lado’, esc. ant. fjörðr ’paso de mar entre montañas’, etc. (s. v. puerto)».
ううむ、そうなるとこの sorotáptico という聞き慣れない言語の正体が問題になる。検索してみると、なんと: «El idioma sorotáptico o sorotapto (del griego σορός sorós 'urna funeraria' y θαπτός thaptós 'enterrado') es una lengua indoeuropea antigua presumiblemente hablada en la parte oriental de la Península Ibérica. El término sorotapto fue acuñado por Joan Coromines para referirse a la presunta lengua de los pueblos de los Campos de Urnas que ocupaban la península durante la Edad del Bronce. Las evidencias de la lengua serían de tipo toponímico, que apuntan hacia a (sic) una lengua indoeuropea precéltica (Wikipedia, s. v. Idioma sorotáptico)» とのこと。つまり Coromines (DCECH では Corominas になっているが、これはカスティーリャ語式の綴りで今は Coromines と書く方が普通みたいなので、それに従う) が作っ、いや説明のために存在を想定した言語なのだった。なのでこの説明は鵜呑みにできない。
なお、アストゥリアス語アカデミーのアストゥリアス辞典は «puertu, el: sust. Pasu [altu pel que se pasa o traviesa un monte, un cordal]. 2 Zona [alta d’un monte, d’un cordal con mayaes y pastu a onde se lleva’l ganáu]. 3 Sitiu [acotáu y abrigáu na costa, preparáu p’amarrar, pa cargar y descargar les embarcaciones] (DALLA, s. v. puertu)» としていて、山関連の語義を「港」より先に載せている。ガリシア語アカデミーの辞書は porto の2番目に «Punto xeográfico situado nunha zona elevada de montaña ou entre montañas, por onde resulta máis doado o paso de persoas e vehículos e a construción dunha vía de comunicación (DRAG, s. v. porto)» を載せている。ポルトガル語の手元の辞書は porto にこの語義を載せていないが、Wikipedia の passo de montanha の説明が: «Um passo (também, colo, porto ou portela) em terminologia de montanha é um acidente geográfico definido como o ponto mais baixo entre dois picos pertencentes à mesma aresta, facilitando a passagem através da cadeia de montanhas, o que corresponde a uma passagem ligando dois vales (Wikipedia, s. v. Passo de montanha)» となっていて、使われていることが分かる。
Corominas が対応するバスク語の単語として挙げているのは bortu だ。いかにも sorotáptico から来たような顔をしている。他に mendate というのがあって、こちらは mendi 「山」と ate 「とびら」の複合語だ («mendate, mendi-ate. Puerto de montaña. (OEH, s. v. mendate)»)。つまり puerto ではなくて puerta だ。なお、辞書をざっと見た限りではどちらにも「港」の意味はなさそうだ。
Saint-Jean-Pied-de-Port はフランスバスクに位置する。当然バスク語名がある。Donibane Garazi がそれだが、Donibane が San Juan にあたり、Garazi はフランス語で le pays de Cize と呼ぶ地方の名前で、この Garazi の出所はよく分からないが、とりあえず puerto は入っていないように見える。
店の名前はフランス語 Saint-Jean-Pied-de-Port に由来する。スペインとの国境近くにある町の名前だ (スペイン語では San Juan Pie de Puerto)。さてこの町、店内の壁にはってある地図で見たら海沿いにあるわけではない。それで puerto には「峠」という意味があることを思い出した。帰ってからオンラインで見た DRAE (22版) の «3. m. Paso entre montañas» にあたるだろう。ついでに «4. m. Montaña o cordillera que tiene uno o varios de estos pasos» というのがあることも分かった。もしかしたらこっちの意味で pie は峠に至る山の麓という感じなのだろうか?
iPad に入っているフランス語の辞書 (『プチ・ロワイヤル仏和辞典』第4版) は「港」の port とは別見出しの port で「(ピレネー山脈の) 峠」という説明をしている。ということは地域限定なわけだ。で、ラテン語学習アプリに入っている Lewis & Short の辞書で portus を引くと、峠にあたる語義は見当らない。なるほど、ラテン語に一般的な意味として存在していたわけではなかったことを認識。
じゃあ真面目に調べるしかない。職場で Corominas & Pascual の DCECH をチェック。すると、こんなことが書いてあった: «PUERTO, del lat.
ううむ、そうなるとこの sorotáptico という聞き慣れない言語の正体が問題になる。検索してみると、なんと: «El idioma sorotáptico o sorotapto (del griego σορός sorós 'urna funeraria' y θαπτός thaptós 'enterrado') es una lengua indoeuropea antigua presumiblemente hablada en la parte oriental de la Península Ibérica. El término sorotapto fue acuñado por Joan Coromines para referirse a la presunta lengua de los pueblos de los Campos de Urnas que ocupaban la península durante la Edad del Bronce. Las evidencias de la lengua serían de tipo toponímico, que apuntan hacia a (sic) una lengua indoeuropea precéltica (Wikipedia, s. v. Idioma sorotáptico)» とのこと。つまり Coromines (DCECH では Corominas になっているが、これはカスティーリャ語式の綴りで今は Coromines と書く方が普通みたいなので、それに従う) が作っ、いや説明のために存在を想定した言語なのだった。なのでこの説明は鵜呑みにできない。
なお、アストゥリアス語アカデミーのアストゥリアス辞典は «puertu, el: sust. Pasu [altu pel que se pasa o traviesa un monte, un cordal]. 2 Zona [alta d’un monte, d’un cordal con mayaes y pastu a onde se lleva’l ganáu]. 3 Sitiu [acotáu y abrigáu na costa, preparáu p’amarrar, pa cargar y descargar les embarcaciones] (DALLA, s. v. puertu)» としていて、山関連の語義を「港」より先に載せている。ガリシア語アカデミーの辞書は porto の2番目に «Punto xeográfico situado nunha zona elevada de montaña ou entre montañas, por onde resulta máis doado o paso de persoas e vehículos e a construción dunha vía de comunicación (DRAG, s. v. porto)» を載せている。ポルトガル語の手元の辞書は porto にこの語義を載せていないが、Wikipedia の passo de montanha の説明が: «Um passo (também, colo, porto ou portela) em terminologia de montanha é um acidente geográfico definido como o ponto mais baixo entre dois picos pertencentes à mesma aresta, facilitando a passagem através da cadeia de montanhas, o que corresponde a uma passagem ligando dois vales (Wikipedia, s. v. Passo de montanha)» となっていて、使われていることが分かる。
Corominas が対応するバスク語の単語として挙げているのは bortu だ。いかにも sorotáptico から来たような顔をしている。他に mendate というのがあって、こちらは mendi 「山」と ate 「とびら」の複合語だ («mendate, mendi-ate. Puerto de montaña. (OEH, s. v. mendate)»)。つまり puerto ではなくて puerta だ。なお、辞書をざっと見た限りではどちらにも「港」の意味はなさそうだ。
Saint-Jean-Pied-de-Port はフランスバスクに位置する。当然バスク語名がある。Donibane Garazi がそれだが、Donibane が San Juan にあたり、Garazi はフランス語で le pays de Cize と呼ぶ地方の名前で、この Garazi の出所はよく分からないが、とりあえず puerto は入っていないように見える。
- ALLA: Diccionariu de la llingua asturiana, http://www.academiadelallingua.com/diccionariu/index.php
- DCECH: J. Corominas & J. A. Pascual, Diccionario crítico etimológico castellano e hispánico, Gredos.
- DRAE: Diccionario de la lengua española, http://www.rae.es
- DRAG: Dicionario da Real Academia Galega, http://academia.gal/inicio
- L&S: Charlton T. Lewis & Charles Short, A Latin Dictionary, http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.04.0059
- OEH: Koldo Mitxelena (Luis Michelena) Orotariko euskal hiztegia (Diccionario general vasco), http://www.euskaltzaindia.eus/index.php?option=com_content&view=article&id=276&Itemid=413&lang=eu
2015年7月24日金曜日
Dos libros
の宣伝。
僕の担当は、『スペイン語学概論』の方は第18章「スペインの諸言語」、『概説 近代スペイン文化史』は第7章「国家語と地方語のせめぎあい」と第14章「創られるフラメンコの世界」。「スペインの諸言語」はスペイン以外のことも扱っているので、「スペイン語圏の多言語性」とでもした方が良かったかもしれない。「国家語と地方語のせめぎあい」も、タイトルから想像されるものより広いテーマを扱っていて、しかも時代的には本のサブタイトル「18世紀から現代まで」をずいぶんはみ出している。両方とも多言語性の話だが、異なる視点から書いたので、話はあまり重なっていない。ので、是非2冊とも買って読んでください。
フラメンコに関しては、スペインにおけるフラメンコ研究の進展ぶりを反映して日本語で書かれたものが非常に少ない現状を考えれば、この文章にも充分意味があるだろう。書いたのが少し前なので、僕自身の考えが変化しているところもあるのだが。
どちらの分野も日本でやっている人は多くないので、あなたもすぐにプロになれるかもしれない (食っていけるという意味ではない)。
僕の担当は、『スペイン語学概論』の方は第18章「スペインの諸言語」、『概説 近代スペイン文化史』は第7章「国家語と地方語のせめぎあい」と第14章「創られるフラメンコの世界」。「スペインの諸言語」はスペイン以外のことも扱っているので、「スペイン語圏の多言語性」とでもした方が良かったかもしれない。「国家語と地方語のせめぎあい」も、タイトルから想像されるものより広いテーマを扱っていて、しかも時代的には本のサブタイトル「18世紀から現代まで」をずいぶんはみ出している。両方とも多言語性の話だが、異なる視点から書いたので、話はあまり重なっていない。ので、是非2冊とも買って読んでください。
フラメンコに関しては、スペインにおけるフラメンコ研究の進展ぶりを反映して日本語で書かれたものが非常に少ない現状を考えれば、この文章にも充分意味があるだろう。書いたのが少し前なので、僕自身の考えが変化しているところもあるのだが。
どちらの分野も日本でやっている人は多くないので、あなたもすぐにプロになれるかもしれない (食っていけるという意味ではない)。
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