2014年4月24日木曜日

Carmen Ledesma

名前は聞いていたが、今回初めて踊りを見た。こういう人を前に知っていたら、バイレにもっと興味を持っていたかも知れない。

発端は Plata y oro (2014年4月6日、シアター1010)。これはもともとアントニオ・カナーレスを見に行くつもりで、カルメン・レデスマはおまけだったのだが、2人ともとても良くて、僕にとっては彼女の「発見」だった。Plata y oro は、アントニオ、カルメン、森田志保の3人のバイラオーレスによる公演で、筋やコンセプトはあるようなのだが、それぞれの踊り自体は基本的に普通のバイレで、フラメンコを見たというのが感想。良かったのは、カナーレスもレデスマも踊りに表情があること。曲種によって表情が変わる。当たり前だと思うかもしれないが、シギリージャもアレグリアスもブレリアも同じ床のはや叩き競争をやっているとしか思えない踊りにうんざりしてる身としては、そう来なくっちゃ、と思えたのだ。もちろん、表情というのは顔 (だけ) のことではない。

というわけで、カルメン・レデスマをもう1度見る (2014年4月21日、アルハムブラ)。北千住のときよりもずっと間近に見て、彼女の踊りを堪能した。さっきも書いたが、ソレアとカンティーニャとブレリアで表情が異なる。繰り返すが、顔の話ではない。それから、カンタオーラと絡むときは、カンタオーラに向かって踊る (ただ「の方を向いて」ではなくて)。エネルギーがそちらへぐううっと向かって行くのだ。

今まで見に行く方角が間違っていたのか、それともこういう人はやはり希少な存在なのか。

2014年4月20日日曜日

Flagelarse

中級学習者向け。

El País に載った漫画のキャプション (と言うのだろうか?): Penitente rico flagelándose en la espalda de penitente pobre (Viñeta de El Roto del 18 de abril de 2014).

Flagelar は「をむち打つ」という他動詞だから flagelarse は「自分をむち打つ」ということになる。En 以下がむち打つ部位を示すので flagelarse en la espalda で「自分の背中をむち打つ」ということになる。悔悟者 penitente だから当然だ。ところが、この例では espalda を de penitente pobre が修飾している。したがって la espalda は自分の背中ではなくて貧しい悔悟者の背中ということになる。論理的には変なスペイン語なわけだ。

そこから、富める者が悔悟して自分をむち打っていると言いながら実は貧しいものをむち打っているとか、富める者が取るべき責任を取らず、そのせいで貧しい者が苦しんでいるとか、あるいは、僕はよく分からないが、具体的な事例についての言及だとか、解釈がいろいろ出てくる。

というのも、表面的には理屈に合わない言い方から、言語使用者は合理的な解釈を導きだそうとする。そして表現者は、それを期待してものを言うことができる。日本語にすっきり訳すのは難しい (少なくとも僕にはできない) が、この表現の構造をとらえることができれば理解もでき、面白みも分かる。

そう、構造が把握できれば、だ。重要なのは、ここで se が果たしている機能の理解と、de penitente pobre が構造を壊しつつ重層的に意味を付け加えていることの認識だ。そして、これが把握できるようになるためには文法の勉強が大事だ、という常識的でひねりも何もないオチがつくというわけだ。

2014年4月16日水曜日

Torró d’Agramunt

スペイン人の研究生がお土産に持ってきてくれた。カスティーリャ語なら turrón de Agramunt. トゥロンというと僕はアリカンテのものぐらいしか知らなかったのだが、Lleida にある Agramunt もトゥロン作りの歴史がある町らしい。もらったのは torró de gema cremada という種類で、食べたのは初めてだが、予想を超える美味しさ。

この torró d’Agramunt は indicació geogràfica protegida の指定を受けている。日本語訳には「地理的表示保護」というのがあるが、ちょっと分かりにくい。「保護地理的表示」という訳も存在する。こちらの方が直訳の「保護された地理的表示」に近いが、やはりすっきりしない。これを漢字だけを使ってきれいな言い方にするのは無理なのかもしれない。

Torró d’Agramunt の保護・管理組織である consell regulador のページによれば、Agramunt でトゥロン職人の存在が文書で確認できるのは1741年だが、それ以前から作られていたはずだという。もともとトゥロン作りは専業でやるものではなかったらしく、職業名として記録に残らなかったというのが理由のひとつらしい。

他にも興味深い話が載っているのだが、このサイト、全編カタルーニャ語である。カスティーリャ語版を探したが、見当たらない。なぜだろう? あるいは、なぜだろうと問うことがおかしいのか?

なお cremada はカスティーリャ語なら quemada で、クリームのことではない。

M’han regalat un torró d’Agramunt, que no havia provat mai. És de gema cremada, molt diferent dels que coneixia, i és boníssim. Potser és el millor torró que hagi provat.

(corregit un error ortogràfic, 2014/04/17)

2014年4月15日火曜日

La Caíta

3月のペーニャ例会はカイータ登場、と言っても映像で (2014年3月2日、ANIFセンター)。映画『ベンゴ』で歌うカイータに衝撃を受け、それまでフラメンコに縁のなかった日本人サラリーマンが、片言のスペイン語とビデオカメラを携えてバダホスまで彼女に会いに行ってしまった、その記録映像を本人の解説付きで見るという企画だ。僕はカイータに思い入れがないので、むしろこの日本人、長住さん (仮名) の思いの強さと行動力に感銘を受けた。すごい人だ。

映像は、今のヒターノたちが直面している問題にも触れていて、単なるカイータ詣での記録ではない。また、『ベンゴ』や『ラッチョ・ドローム』のとは違う、リラックスしたカイータのカンテを聞くことができて、それも面白かった。とは言え、これでカイータが大好きになったりはしなかったが。師匠たちによると (つまり僕には判断できなかったということだが)、彼女はカマロンの追随者で、バダホスの伝統を良く伝えるようなカンテを歌っているわけではないらしい。しかし、これが大好きになれない理由なのではない。単に、聞いてあまりピンと来ないというだけのことだ。うん、でも『ベンゴ』のカイータはまあ悪くない。

さて、永澄さん (仮名) はカイータでフラメンコに引き込まれた後、 (多分映画『フラメンコ』で) パコ・トロンホを知り、衝撃を受ける。そして、パコ・トロンホの伴奏をつとめた日本人ギタリストがいるという事実に驚き、そのギタリスト、エンリケ坂井に電話をかける。この行動力もすごい。パコ・トロンホが生きていたら、やっぱり会いに行っていたにちがいない。その映像、見てみたかった。

Inés Bacán

去年の後半は珍しく締め切りに追われる生活をしていたのだが、今年に入ってから、締め切りを追う生活に戻った。というわけで、消費税も上がり、新学期も始って授業が一巡したところで2月の話だ。

Inés Bacán リサイタル (東京フラメンコ倶楽部例会、2014年2月2日、スタジオ・カスコーロ)。とても良かった。とにかく無理なところがない。吠えたり力で圧倒しようとしたりなんてところも、ウケ狙いもない。こういうのを聞くと、「ヒターノたちが代々受け継いできたものだけが本物のフラメンコ」と言う人たちがいる理由も分かる (賛成するという意味ではないので、念のため)。もちろん、本当に「入って」歌っていたらもっとすごかったに違いないが、まあまあ気持ちよく歌ってもらえたようだ。

既に曖昧になって作られた記憶と化したものをたどってみると、歌ったのは (順不同で)、ティエント、ファンダンゴ・ポル・ソレア、ソレア、カンティーニャス・デル・ピニーニ、ナナ、シギリージャ、マルティネーテ (あと他にもあったかもしれない)、そして1部と2部の終わりにそれぞれブレリア。最後に一緒に来日していたコンチャ・バルガスが飛び入りで踊るというおまけつき。

歌った中では、ひいおじいさんピニーニのカンティーニャも楽しかったが、個人的にはシギリージャが良かったと思う。僕の師匠は、以前スペインで Inés の本当に素晴らしいシギリージャを聞いたのだそうだ。そんなすごさの片鱗のようなものが、もしかしたらちらっと見えたかのかもしれない。