2015年9月10日木曜日

Tu número (que no es mío)

ふと気がつくと「マイナンバー制度」が始まるということでいろいろなところでこの言葉に遭遇するようになった。で、このダサい名前どうにかならないのかと思う。前々から批判の多いカタカナ語の使用がみっともないというのはもちろんだが、たとえば以下のようなことが起こるのも格好悪い。



個人的には「あなたのマイナンバー」って誰の番号? とか言ってみたいところだが、英語かぶれだと思われたくないのでやめておく。そう、「マイ」というのはれっきとした日本語で、「マイカー」や「マイホーム」といった語 (だろうか) の構成要素として何十年も使われ続けているのだ。もちろん英語の my が借用されたものだが、外来語として定着する過程で日本語の体系に合わせた変容を遂げている。つまり、元の my にあった所有の観念は受け継ぎつつ、1人称という概念は捨て去ったのだ。これは、日本語に人称という文法 (形態論的) 範疇がないのが影響しているだろう (とはいえ、同様のことが言えるはずの数については単数所有者という意味が残っているような気もする。本当は、僕のこの直観が実態に即しているかどうかも含めてちゃんと分析しないといけないが)。

ちなみに、人称とか数とかの文法範疇がなくても言語として困ることはない。日本語でも必要に応じて話し手や聞き手やその他を表現することは難なくできるし、なにかが1つなのか複数あるのかも言う必要があれば言えるわけだ。こういう文法範疇を備えた言語の方が高級だなんてこともない。

「マイ」は僕の嫌いな日本語だが、みんなが普通に使っているのなら仕方ない。ただ、1人称単数の英語 my と、その制限がない日本語「マイ」の違いを英語教育できちんと確認する必要はあるだろう。偽りの友ってやつだ。