2015年3月5日木曜日

Superlativo

2つ前の記事で、英語の «apples are cheapest in autumn» に相当するスペイン語はたとえば «otoño es la época en la que las manzanas son más baratas» で、これは比較級だと書いた。しかし、別の考え方もあり得る。この más baratas は関係節の中にあり、先行詞が定冠詞を伴う定表現なので、この定冠詞つまり la época の la と más baratas を合わせて最上級と見なすというものだ。これは特に珍しい考え方ではない。定義の仕方は違うけれども、アカデミアは «el edificio más alto» みたいなのを construcción superlativa simple と呼び、«la habitación que tiene más camas de todo el albergue» とかを construcción superlativa compleja あるいは de relativo と呼んでいる (RAE & ASALE 2010, §45.5.2a)。

僕自身は、これを比較級と書いたことからも分かるとおり、アカデミア等とは異なる見方の方が面白いと思っている。僕らの教科書では «María es la que más temprano se levanta de la familia» や «Ramón es el que tiene más dinero de la familia» に「最上級の意味」という説明をつけているのだが、単に「最上級」としていないのは、そのあたりにも理由がある (学習者向けに「最上級」を複雑にしたくないということもある)。これは定表現と比較級の組み合わせと考えれば良い。それならば、一歩進めて «el edificio más alto» も定表現プラス比較級と考えることができる。さらにもう一歩進めて «el más alto» を定の比較級と考えることにも問題はない。この «el más alto» を Halliday & Hasan のように elliptical な表現と見なせば、つまり名詞が隠れているのだと考えれば、3つのパタン全て比較級を含む定名詞句構造だということになる。従って「最上級」はない、というわけだ。これも特に珍しい考え方ではない。

しかし、この2つの見方は真っ向から対立しているわけではない。アカデミアの construcción という言い方は、これを統語論的に捉えていることを示していて、形態論的に定義できる英語などの最上級と同じレベルのものがスペイン語にあるとは言っていない。だから construcción superlativa を最上「級」と訳すのは不適切かもしれない。一方、最上級がないという説も、「1番・・・」という概念を表す手段がないと言っているわけではない。だから、どちらも同じことを言っている面があって、その意味では言葉使いの問題、「最上級」あるいは「級」の定義の問題だと言ってもいい。

学習者にとっては「それ」が使えるようになればよいのだから、名前は何でも良い。しかし、研究の世界に一歩足を踏み入れると用語や定義の問題を無視することは出来なくなる (卒論や学期末のレポートも立派な研究だ)。僕は、言いたいことがちゃんと伝わるのならあまり神経質になる必要はないと思う方だけれども、ちゃんと伝わるというのは実際かなり珍しいことだし、若手の発表などを見ていると、言いたいことが自分にも良く分かっていないのではないかと思われることがままある。そういう時は、自分が使っている用語や概念について少し考えてみた方がいい。

そうしてみると、結局すべては自分の依拠する理論・枠組み次第だということが分かる。僕のまわりには理論というと拒否反応を示す人が多いので、多少婉曲に枠組みと言うことにするが、今見ている最上級みたいな問題だと、何らかの枠組みを前提にしない限りどっちでも良いということになってしまうだろう。そして確かにどっちでも良いのだ。枠組みを考えないのならば。でも、枠組みがなければ考えるということ自体が成り立たないんじゃないだろうか? で、僕は定の比較級という考え方が面白いと思うわけだが、それは定表現という観点から、より広い文脈に置いて比較という現象を見ることができ、同時に比較という切り口から定表現を眺めることができるからだ。枠組みの効用というか、これを意識する意味は正にここにある。全体の中に位置づける意志と言えばいいか。



  • RAE & ASALE, 2010, Nueva gramática de la lengua española. Manual, Espasa.