2019年1月5日土曜日

Kinnikuers

今年の正月休みの収穫は、NHKの「みんなで筋肉体操」という番組の存在を教えってもらったこと。録画を見せてもらった。なぜこのテーマが受けたのかは良く分からなかったが、NHKが5分番組を本気で作る時 (例えば「0655」) の気合いが感じられて、評判になった理由の一端は分かったような気がする。

おまけに番組のテーマに出て来る «Let’s Kinniku Together!» が素敵だ。何が素敵なのかというと、「筋肉」をそのまま動詞にしてしまったことだ (let’s の後に来るのは動詞の「原形」だ)。したがって「私は昨日 kinniku した」は «I kinnikued yesterday» になるはずだし、「今 kinniku 中」は «I am kinnikuing now» になるだろう。「彼は kinniku 実践者だ」は当然 «He is a kinnikuer» だ。発音はどうだろうか。日本語の「筋肉」の頭高アクセントを模した強勢パタンの ['kɪnɪˌkuː] だろうか。それとも[kɪn'niːkuː] か。いや、もしかしたら [ˌkɪnə'kuː] かもしれない。いずれにせよ [kɪ'naɪk(j)uː] は避けたい。

英語の let’s とは別に、日本語に「let’s (レッツ)」という語がある (もちろん英語からの借用語だ)。これが日本語であることは、後に何も続かない用法 (名前として使われることが多い) が頻繁に見られることからも分かる。農林水産省のページには「Let's!和ごはんプロジェクト」というのがあって、感嘆符の使用から「let’s 和ごはん」プロジェクトではなくて「let’s」と「和ごはんプロジェクト」が並置されているのだということが分かる。ただし「let’s」と「和ごはんプロジェクト」の関係は判然としない。「「Let’s!」とすることで、忙しい子育て世代の方々と、その子どもたちに身近、手軽に「和ごはん」を食べてもらいたい、そんな思いを込めています (ibid.)」ということらしいが、少なくとも僕はその思いを読み取ることはできないし、後続要素との統語的あるいは意味的関係のヒントも見えない。

なお、英語の let’s の後に何も来ない例はゼロ照応と考えられる。つまり «Shall we go now? –Yes, let’s. (『ウィズダム英和辞典』第3版、iOS版 ver. 2.6.2 物書堂, s. v. let’s)» のように、前の文脈があって言わなくても分かるので言わないような場合だ。日本語の単独「let’s」は、上の例からも分かるように、それとは異なる。

後に続く要素がある場合、それが名詞と考えられる例が多い。愛知県がやっている「Let’s エコアクション in AICHI」では「地球にやさしい身近な環境配慮行動「エコアクション」の輪を広げていく (ibid.)」から「エコアクション」の名詞性が明らかだろう。

動詞が後続するものとしては「let’s行く」とか「let’s食べる」のような例が散見されるが、どうも相手を誘う文脈ではなく、当該動作を1人で行うように読めるのが興味深い。「let’s行こう」や「let’s食べよう」、さらには「let’s行くぞ」も見つかったが、はっきりと相手を誘っていると読める例は確認できなかった。

日本語には人称という文法カテゴリーがないから、英語の let’s が持っている1人称複数が日本語の「let’s」に無くても不思議ではない。これは以前取り上げた「マイ」にも言えることだ。なお、英語の let’s に関しては「let’s の us の中に話者が含まれない場合でも、目下の相手などへの軽い命令として let’s を用いることがある (『ウィズダム英和辞典』)」が、これは doctor’s we とか「親身の we」と呼ばれるやつと同じで、2人称で言うのとは異なる効果を持つ、まさに人称の区別があるからこそ可能な用法だ。

なお「「私[私たち]に・・・させてください」(let me [us] do) の代用として let’s do を用いることがある (ibid.)」については僕は良く分からない。上の例と同じ説明でいいのか、それとも let’s の1人称複数性が薄れた結果なのか、後者であれば「(米話・まれ)では let’s が let + us であるという意識がなくなり let’s us のような形も用いられる (ibid.)」というのと共通した現象なのかもしれない。これ自体は興味深いが、日本語の「let’s」の分析とは切り離した方がよいだろう。

1人称複数という意味を持たない日本語の「let’s」は、英語の let’s とは異なる意味を獲得していると考えられるわけだが、どう記述したらいいか。ネット上では、日本語の「ぞ」を英語の let’s で説明している («ぞ means “let’s”») 人がいる。特定の用例の翻訳としてはともかく、説明としては間違っているが、日本語の「let’s」を考える上で貴重なデータになる。「let’s X」が「Xするぞ」とか「Xしよう」みたいな意味を持っているとすれば、Xの前に来るという統語的性質の特異性が際立つ。それがローマ字書きが多い理由かもしれない。英語であるならばボロボロに間違っていて、日本語の統語環境では変わり者。そんな「let’s」がこれから先どこへ向かうのか。楽しみだ。