2019年2月22日金曜日

Dos lenguas

をどう日本語にするか。世の中では広く行われているが専門家は避ける言い方に「2か国語」というのがある。避ける理由は単純で、言語と国家は一対一対応しないからだ。たとえば「スペインではカスティーリャ語、カタルーニャ語、ガリシア語、バスク語の4言語が話されている」とは言えても、これを「4か国語」と言うわけにはいかない。あるいは、スペインという1国で話されているのだからこの4つ合わせて1か国語、というのも無理だ。逆に、スペイン語を公用語とする独立国が20あることを根拠に、私は20か国語喋れます、と言ったら石が飛んでくるかもしれない。国家語でない言語は沢山あるし、複数の国家で使われている言語もある。言語を国家単位で数えるのは、現実を無視したやり方だ。

さて、もうお馴染みの『情熱でたどるスペイン史』は「二か国語」という言い方をしている。
スペイン・ナショナリズムの行き過ぎはもちろん問題ですが、この国はどの地域も隣接地域との混淆(こんこう)・交流・統合を通じた数百年におよぶ複合的性格の歴史を有しており、そうした複合的性格の諸地域のゆるやかな集まりが、現在のスペインという国家なのです。
そしてイベリア半島で中世以降創作されたロマンセーロを眺めれば、二か国語並存・常用の慣習を反映した文学があったことがわかります。純粋なスペイン=カスティーリャ文化など存在したためしはありません。地方文化のほうも、他の地域との積極的な交流から生まれたものばかりです。(池上 2019: 218-219)

そこは直してもらいたいが、じゃあどう直すか。ちょっと難しい。文脈的には、現代のスペイン・ナショナリズムと地域ナショナリズムの対立に関して「両者は裏表の関係にある」と言った後、地域ナショナリズムへの批判の準備をしているところ。分かりやすい文章ではないが、スペインの「複合的性格の諸地域のゆるやかな集まり」が持つ統合性や、各地域の「他の地域との積極的な交流」が意味する混淆性に重点があるようだ。

「ロマンセーロ」が騎士道物語の間違いだ (以前の記事 «Romancero» 参照) という点を踏まえると、著者が念頭に置いているのはカタルーニャ語で書かれた『ティラン・ロ・ブラン』とカスティーリャ語で書かれた『アマディス・デ・ガウラ』で、「二か国語」はこの両言語のことだということが想像できる。たしかに、当時イベリア半島にはカタルーニャ語が話される「国 (reino)」とカスティーリャ語が話される「国 (reino)」があり、その観点からは「二か国語」という言い方がギリギリ許容できなくはないという説明が成り立たないこともないという気はする。ただし、このような内容の本で使うべき言葉ではない。しかも、イベリア半島というのであれば、これらの騎士道物語が出版された1500年前後に話されていた言語はカスティーリャ語とカタルーニャ語だけではない。だから、半島の言語状況は「二」ではなく多言語的だった。

それから「並存・常用」はどういう意味だろうか。半島に複数の言語が存在した、という意味ならば、それだけのことではある。しかし、これらの言語は決して横並びの関係にあったのではない。1500年ごろのカタルーニャ語圏では、まだカスティーリャ語の圧力は強くなかったかもしれない。しかし、のちに「スペイン」として括られることになる地域では、カスティーリャ語が他の言語の上にかぶさる形で拡張していき、非カスティーリャ語圏のカスティーリャ語化が進むことになる。その力関係は「並存」では表せない。まあ、この部分は地域ナショナリズム批判の準備なので、非対称性を想起させる表現を意図的に避けたのかもしれないが。

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.

2019年2月18日月曜日

Encomendero

『情熱でたどるスペイン史』には単純なミスもある。
中南米のスペインの植民地・副王領では、本国が任命し王権の意をくむコレヒドール (国王代官) が、インディオへの高額の人頭税を徴収するのみか、エンコミエンデロの力を(おか)しながら私服を肥やすことに血道をあげ、またレパルミエント (商品強制分配) 制度を利用して必要もない物品をインディオに売りつけていました。 (池上 2019: 183)

「レパルミエント」は「レパルティミエント (repartimiento)」の単なる誤植だろう。一方「エンコミエンデロ」は「エンコメンデロ (encomendero)」であるべきところだが、4回 (90, 92, 95, 183) も登場しているので、うっかりミスとは考えにくい。

考えられるのは「エンコミエンダ (encomienda)」の -ie- に引きずられたということだ。まずエンコミエンダは
エンコミエンダ、「委託」と訳されるこの制度は、新世界のインディオとスペイン人を結びつける最初の媒体であった。 (高橋・網野 2009: 146)

それに対してエンコメンデロは
インディオは、先スペイン期の民族集団の構造を維持したまま、つまりクラカと彼に従属する世帯が単位となって、制服の功労者に(ゆだ)ねられた。インディオ集団を託された者=エンコメンデロには、彼らから貢納を受け、その労働力を自由に利用する特権が与えられる。 (高橋・網野 2009: 147)

つまり、制度とその制度を担う (と言うのかどうかよく分からないが) 人という密接な関係にあるわけだ。語形からも encomienda と encomendero が同一語根を共有していることは一目瞭然だ。

そこで問題になるのが encomienda の -ie- と encomendero の -e- の違い (カナにした時の「ミエ」と「メ」の違い) だが、スペイン語をかじったことのある人にはおなじみの、あの現象だ。池上 (あるいは編集者) は、知らなかったのかな。

あの現象とは、初級のスペイン語学習者を夢中にさせる、例えば動詞 entender を直説法現在に活用させると entiendo, entiendes, entiende, entendemos, entendéis, entienden になるというあれだ。これを語根母音変化動詞と言ったりする。それに対して規則動詞の comprender は comprendo, comprendes, comprende, comprendemos, comprendéis, comprenden だから、e が ie になるかどうかは動詞ごとに覚えなければいけない。語根母音変化動詞には o と ue が交替するやつもある (contar: cuento, cuentas, cuenta, contamos, contáis, cuentan)。

しかし、語根母音変化動詞で挫折しなかった学習者は、これが動詞の活用形に限られた現象ではないことに気づくことになるだろう。例えば siete 「7」に対する setenta 「70」や nueve 「9」に対する noventa 「90」とかは初級レベルでお目にかかるし、viejo / vejez, invierno / invernadero, independiente / independentista; bueno / bondad とか考えればいろいろ出てくる。そういえば bueno / bonito は意味が分化しているから気づきにくいが、元々はこの仲間だ。

この交替の原因は、ラテン語からカスティーリャ語への母音体系の変化にある。ごく簡単に言えば、ラテン語には母音の長短があり、長い ē / ō はカスティーリャ語で e / o になり、短い「ĕ / ŏ は、強勢がある音節では /ɛ/、/ɔ/ を経て /ie/、/ue/ に二重母音化し、強勢のない音節では /e/、/o/ にな (菊田 2015: 220)」った。さっき挙げた例で、アクセントのあるところで ie, ue になっていて、ないところでは e, o であることを確かめて欲しい。

したがって encomienda / encomendero における ie / e の交替もスペイン語形態論の体系的な事実として考えることができる。接尾辞の -ero は基本的に名詞につくから encomendero は encomienda + -ero と分析でき、母音の交替は特殊な例ではない、というわけだ。だだし、類似の例すべてで交替が起きているわけではない。
La base de derivación es casi siempre nominal, con elisión del segmento final si este es una vocal átona: limonero, jardinero, jornalero, etc.; niñero, plumero, tendero, puestero, etc. El diptongo de la base nominal suele desaparecer, aunque no son raros los ejemplos en los que se mantiene tal cual: tendero, temporero, portero, estercolero, hospedero, dentera, collera, etc., frente a puestero, mueblero, cuentero, liendero/-a, huevero/-a, etc. (Lacuesta & Bustos 1999: 4557)

「二重母音が消える」と書いてあるが、別に tienda + ero が tndero になるわけではなくて、見ての通り対応する短母音が現れるのだ。

Pensado (1999: 4471-4472) は、二重母音が維持されることのある派生の例として、縮小辞 (ciego / cieguecito, cieguito)、-ero (hielo / hielero, mierda / mierdero, movimiento / movimientero, rascacielos / rascacielero)、-oso (miedo / medroso; miedoso)、-ista (izquierda / izquierdista) などを挙げている。つまり、これは -ero に限った話ではない。

なお、母音の交替がない場合について、Lacuesta & Bustos (1999: 4557, fn. 168) は新語で顕著だという観察を紹介している («En opinión de Rainer (1993: 430), “la monoptongación no tiene lugar especialmente en el caso de los neologismos: hielero, mierdero, movimientero, rascacielero, castañuelero, etc.”»)。Rainer が挙げている例は、Mac上でスペルチェックに引っかかる (下線が引かれる) ので、新しいだけでなく、広く定着もしていないのかもしれない (DRAE には載っていない)。エンコミエンダ制が21世紀に出来たものだったら、もしかしたらエンコミエンデロ達が出現していただろうか? Encomienda の傍に語根母音変化動詞 encomendar (encomiendo, encomiendas, encomienda, encomendamos, encomendáis, encomiendan) があるので、交替が起こるような気もするが、分からない。

さて、語根母音変化動詞の話で e/ie, o/ue の交替はラテン語からの変化の過程で起きたと言ったが、e/i の動詞 (例えば pedir: pido, pides, pide, pedimos, pedís, piden) の出番がなかったことに気づいただろうか。そう、この e/i の交替は出自が違うのだ。寺﨑 (2011: 163) などに書いてあるのでチェックして欲しい。

  • Bosque, Ignacio & Demonte, Violeta (dirs.), 1999, Gramática descriptiva de la lengua española, Espasa Calpe.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 菊田和佳子, 2015, 「語史 (1) 音韻変化」, 高垣敏博ほか (編), 『スペイン語学概論』, くろしお出版, 217-232.
  • Lacuesta, Ramón Santiago & Bustos Gisbert, Eugenio, 1999, «La derivación nominal», Bosque & Demonte, 1999, Vol. III, cap. 69, 4505-4594.
  • Pensado, Carmen, 1999, «Morfología y fonología. Fenómenos morfofonológicos», Bosque & Demonte, 1999, Vol. III, cap. 68, 4423-4504.
  • Rainer, Franz, 1993, Spanische Wortbildungslehre, Niemeyer. (未見)
  • 高橋均・網野徹哉, 2009, 『ラテンアメリカ文明の興亡』, 世界の歴史18, 中公文庫, 中央公論新社.
  • 寺﨑英樹, 2011, 『スペイン語史』, 大学書林.

2019年2月16日土曜日

Sino (4)

Sino (3) で書いたことの訂正。
 
Machado de Assis の小説 (そういえば、ポルトガル語で長編小説は romance と言う) を読んでいて、«não ... senão ... » が普通に出てくることに気づいた。
Quis retê-la, mas o olhar que me lançou não foi já de súplica, senão de império. (Memórias Póstumas de Brás Cubas, cap. XXXV)
この作品を含む小説集の中で検索すると senão は187例ヒットした。その中にはスペイン語なら si no になる例もあるし、«não ... señão» で excepto に相当するものが多く目につくが、上のような例も確かにある。

 それから «não ... mas ... » も見つかった。
Talvez a narração me desse a ilusão, e as sombras viessem perpassar ligeiras, como ao poeta, não o do trem, mas o do Fausto: Aí vindes outra vez, inquietas sombras? ... (Dom Casmurro, cap. II)
さて、問題は Machado de Assis (1839-1908) 時代のポルトガル語と今のポルトガル語との関係だ。辞書には senão の記述がある。
Aconselhou-me não como mestre, senão como pai. 彼は先生としてではなく、父親として私に助言してくれた。(池上ほか s. v. senão)
それから、Whitlam (2011: §26.1.1) は «não só ... mas também (ainda)» と並んで «não só ... senão também» に言及している (例文は «não só ... mas ainda» のものだけ)。

というわけで、表を以下のように訂正。

pero(no ...) sino
cat.peròsinó
gal.perosenón
ast.perosinón
port.masmas, senão
it.ma
fr.mais

これで「PER HOC 系と SĪ NŌN 系の役割分担がある言語と MAGIS 系でまかなっている言語」という単純な二分法が成り立たないことがはっきりした。辞書をちゃんと見ていれば、そんな恥ずかしいこと書かずに済んだのだが・・・

  • 池上岺夫 ほか (編), 『現代ポルトガル語辞典』改訂版, 白水社 2005 (iOS版 ver. 2.5.1 物書堂 2012).
  • Machado de Assis, Obras completas de Machado de Assis. Volume 1 - Romances, versão digital (iOS), Montecristo Editora, 2012.
  • Whitlam, John, 2011, Modern Brazilian Portuguese grammar, Routledge.

Oficialización

『情熱でたどるスペイン史』シリーズ。ちょっとしつこいような気もするが、もう少し続けたい。今回は19世紀を扱った章の、こんな記述。

教育体制の整備、カスティーリャ語の公用語化なども推進されていきます。(池上 2019: 201)

「カスティーリャ語の公用語化」というのが何のことなのか分からない。カスティーリャ語は19世紀の段階では既に公用語になっていると言って良いのではなかろうか。公用語を公用語化すると何が起るのだろうか。

ひとまずスペイン継承戦争 (1701-1714) 後のスペインに関する記述を見てみよう。

バレンシア、アラゴンに続いてカタルーニャにたいしても「征服権」が適用された。ここにアラゴン連合王国のすべての諸国はそれぞれの「地方特別法、諸特権、慣例、慣習」を無効とされて、新組織(ヌエバ・プランタ)王令 (新国家基本令とも訳される) に基づいた制度的改編がおこなわれた。スペイン王国はこれまでの「複合王政」と別れを告げて、オリバーレスの夢であったカスティーリャの法制にそったかたちで、国家としての政治的・法的一元化を達成したのである。もっともフェリーぺを支持したバスク地方とナバーラは、「免除県」としてひきつづき地方特別法を享受した。(立石 2000a: 186-187)

こうやって、勝者の制度が「征服」された諸国に導入されて中央集権的な体制が成立したわけだが、言語に関しては次のような記述がある。

地域的特殊性の強いカタルーニャでは、バレンシアのように民法の廃止にまではいたらなかったが、司法行政の分野においてカタルーニャ語を使用することは禁じられた。王権の意図は、カタルーニャのコレヒドールへの秘密訓令書 (1717年) にみられるように、「カスティーリャ語の導入を最大の配慮のもとにおこなう」ことであったが、じっさいに民衆を言語的・文化的にカスティーリャ化する手だてを講じることはできなかった。(立石 2000a: 187)

つまり、カタルーニャの民衆はカタルーニャ語を使い続けたのだが、行政の言語がカスティーリャ語に統一されたという点が極めて重要だ。18世紀のこの時点でカスティーリャ語が公用語ではなかったと主張するのは相当に難しい。

ちなみに、この辺りにことについて池上は

フェリペに逆らったアラゴン連合王国のすべてのフエロ (地方特別法) が無効とされ、独自議会、ジェネラリタート、百人会議などは廃止されて、政治・行政・司法がカスティーリャの法制に沿って一元化されていきました (池上 2019: 151)

と述べているけれども、言語には触れていない (「カスティーリャの法制」の中に言語が含まれると読むことはできる)。

次に18世紀の教育におけるカスティーリャ語の状況について見てみよう。

1768年には、初等教育とラテン語、修辞学の教育はカスティーリャ語で行うようにという勅令が出されている。また、1780年に認可された初等教育者組合の規約には、全国の学校で王立アカデミーの文法を使って児童の教育を行い、ラテン語は必ずカスティーリャ語文法を学んでから始めるように定められた。 (川上 2015: 167)

当時の就学率の低さを考慮すれば、スペイン中のこどもたちがみんなカスティーリャ語に触れたとはとても言えない。しかし、制度的には初等教育の言語も、やはりカスティーリャ語であるわけで、この言語が公用語でないと言うのはかなり難しい。

もちろん、公用語であるカスティーリャ語の普及度という別の問題は存在する。カスティーリャ語圏では話し言葉レベルでの同言語の普及の問題はないが、就学率や識字率は問題にできる (「1900年になっても識字率は4割に達せず、学齢期の児童の6割は就学していなかった (立石 2001b: 240-241)」)。カタルーニャ語に関しては、Joan Coromines が1950年に書いた («Aquest opuscle es va escriure l’any 1950 (Coromines 1982: 7)») 文章に、以下の記述がある (動詞の現在形に注意)。

Els més educats parlen el castellà amb un accent fort i inconfusible, i els altres és ben clar que solament se’n serveixen amb treballs i molt sovint en forma ben incorrecta; en resta encara un bon nombre, no menys d’un 20%, sobretot dones, que no el saben parlar, i cosa d’un 5% (en zones apartades) que a penes l’entenen. (Coromines 1982: 13)

1950年時点での Coromines の認識では、カタルーニャ語話者の20パーセントがカスティーリャ語を喋れず、5パーセントぐらいは理解も覚束ないという状況だった。19世紀には、この数値はもっと高かったはずだ。だから、「教育体制の整備」とともにカスティーリャ語の浸透が図られたのだろう。しかし、それは「公用語化」とは呼ばない。

いや、これは「公用語」と「公用語化」の定義の問題だと言われれば、ええっと、まあ、そうだ。だったら定義を示して欲しい。池上が、僕が理解するのとは異なる意味でこれらの用語を使っていることは確かだが、一体どういう意味なんだろう。ちょっと想像力が追いつかない。

  • Coromines, Joan, 1982, El que s’ha de saber de la llengua catalana, Editorial Moll.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 川上茂信, 2015, 「国家語と地方語のせめぎあい」, 立石博高 (編)『概説 スペイン近代文化史』, ミネルヴァ書房, 第7章, 161-181.
  • 立石博高, 2000a, 「啓蒙改革の時代」, 立石博高 (編), 『スペイン・ポルトガル史』, 山川出版社, 第1部第4章, 183-204.
  • 立石博高, 2000b, 「アンシャン・レジームの危機と自由主義国家の成立」, 立石博高 (編), 『スペイン・ポルトガル史』, 山川出版社, 第1部第5章, 205-241.

2019年2月15日金曜日

¿Quién dice eso?

前の記事で見た「常軌を逸した」というくだりについてもう少し考えてみる。文脈を広げて再引用すると、こうだ。

中世以来、スペインじゅうに奇跡をなすマリアをまつった教会があり、大勢の巡礼者を集めてきました。16・17世紀には、民衆たちの信仰心をとりこむ場として、さらに多くの礼拝堂・教会が、聖母マリアの顕現・奇跡の現場に建てられました。また、聖母マリアをさす ¡Santísima Virgen! や ¡Virgen! を、驚きや困惑の場面 (英語の Oh my God に近いニュアンスでしょうか) やさまざまな挨拶のなかで唱えるなど、常軌を逸したスペイン人の熱狂的マリア崇拝は外国人を驚嘆させました。 (池上 2019: 134)

外国人を驚嘆させた「スペイン人の熱狂的マリア崇拝」が、間投詞化した Virgen だけを指すのか、その前にある教会の建設なども含むのかという問題はあるが、そこはとりあえず考えないでおく。前回「常軌を逸した」が著者の判断だと読むのが自然だと思うと書いたが、文脈を広げても、それを否定する材料はない。ただし、「常軌を逸した」と思ったのは外国人でしょ、という反応があっても不思議には思わない。それを予想した上で、前の記事は書いた。

実際には、外国人が「常軌を逸した」と言い、その判断を著者が受け入れていると理解するのが穏当な読み方ではないだろうか。もし、著者は外国人の言ったことを単に報告しただけで賛成はしているわけではないというのだったら、書き方が悪い。少なくとも僕にはそう読めない。仮に外国人の発言に賛成していないのなら、例えば「スペイン人の熱狂的マリア崇拝は外国人には常軌を逸したと感じられ」とかなんとか書かないとだめだろう。

学生の書いたものを見ていて頻繁に出会うのが、書き手が出典と一体化してしまったような文章だ。添削する方としては「これは誰の考え?」と聞いてから直し方を考えることになる。今の例だと、「常軌を逸した」と「熱狂的」が外国人による評価なのか、書き手の評価なのか、それとも両方なのかを見極めないと直しようがない。

論文であれば、その外国人というのが誰なのかを明記して引用する形にするだろうから、この問題は生じない (はずだ)。しかし、その手が使えない場合は、出典に枠をはめる工夫をしなければいけない。でないと、自分の考えを出典に乗っ取られてしまうことになる。僕も気をつけなければと思う (自分の書いたものだと、思い込みがあるので、不備に気づきにくいだろうけれど)。

まあでも、誰が言った (言っている) にせよ、「常軌を逸した」というのはやっぱりどうも・・・

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.

2019年2月9日土曜日

Veneración

ときどき学生に対して注意していることのひとつが、用語はちゃんと使おうね、ということだ。僕は、専門用語を使わずに文章が書けるのならその方が良いと思うけれど、現実には不可能だろう。特定の分野の話をするときには、その分野で使われる用語を使った方が言いたいことがより速く正確に伝わる。用語を使いこなせるようになるまで勉強するのは面倒だが、まあそれが勉強ということだ。

前の記事で、『聖母マリア賛歌集』を「スペインに広まっていたマリア信仰 (池上 2019: 67-68)」に関係づけるテクストを紹介して、「崇敬」ではなくて「信仰」と言っている点を問題にした。なぜかと言うと、「教会用語においては、神およびキリストに対する礼拝 (〔ギ〕latreia) と、人間である聖母マリアや聖人に対する崇敬とを区別する伝統がある (上智学院 1996-2010: 「崇敬」の項)」からだ。つまり、カトリック的には聖母マリアは崇敬の対象であり、特に理由がないのなら、それに従っておけば良い。スペイン語では veneración が名詞で、動詞なら venerar だ。

ちなみに「信仰」については次のような説明がある。

カトリック神学において信仰は希望 (spes) および愛 (caritas) とともに対神徳の一つに数えられる。それらが対神徳と呼ばれるのは、それらによって我々が神へと正しく秩序づけられるかぎりにおいて神が対象 (objectum) であること、それらが神によってのみ我々に注ぎ込まれること、聖書に含まれている神的啓示によってのみ我々に知られることに基づくのであるが、それらが必要とされるのは、人間の究極目的である至福は人間に自然本性的に備わった能力によっては到達不可能であるということに基づく。(同書: 「信仰」の項)

ここから、カトリックでは「マリア信仰」という言い方は成り立たないという予想ができる (実際そうかどうかは未確認)。なので、やはり「崇敬」を使っておくのが無難だ。

さて、話はここからだ。今までの説明は、あくまでカトリック的文脈においての話。聖母マリアについて書くときに、それとは異なる立場や視点から物を言っても良いわけだ。そういう視点から「マリア信仰」と言う方が自分の考えが良く伝わると思うのならば、そうすることを妨げるものはない。その場合は、ただし、無難な「崇敬」ではなく敢えて「信仰」を選んだ理由を明記する必要がある。「信仰」の定義も欲しい。それをしないと、ただ無知なだけだと思われるのが目に見えている。

別の例をあげれば、僕の授業でカタルーニャ語やバスク語を方言と呼ぶ期末レポートがなかなか無くならない。授業を聞いていたのなら、これらは言語と呼ばれるなにものかであって、方言ではないということは明白だと思うのだが、現実にはそうではないようで、毎年毎年、自分の力不足を痛感させられる。もちろん、このようなレポートに良い点はつけない。しかし、もし授業で話したのとは異なる意味で「方言」という用語を使っていて、その定義を明示しているのであれば、仮に定義に問題があっても高い評価をあげたいところだ (ずっと待っているのだが、そういうレポートは未だ現れていない)。

用語は面倒だが、書き手の思考を明確にするのに役立つ。学生諸君には、是非しっかり勉強してほしい。

話を「マリア信仰」に戻すと、池上はこの表現についての説明はしていない。何か独自の視点から新たな「信仰」の考察をしているわけではなさそうだ。他のページには「マリア崇敬 (池上 2019: 134)」や「聖母崇敬 (idem: 170)」といった言い回しが見られる。ならば、「崇敬」に統一しておくのが良い。

おっと、もうひとつ、「崇拝」という語も使われている。でも「常軌を逸したスペイン人の熱狂的マリア崇拝は外国人を驚嘆させました (池上 2019: 134)」ってのはどうだろう。この書き方だと、「常軌を逸した」は著者の判断だと読むのが自然だと思うのだが、良いんですかね、そんなこと言って。

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 上智学院新カトリック大事典編纂委員会 (編), 1996-2010, 『新カトリック大事典』, 研究社.

2019年2月7日木曜日

Cantigas de Santa María

前の記事ではちょっと情熱的になってしまったので、反省している。出来るだけ落ち着いて文章を書いていきたい。

さて、その記事で「1300年頃、教養あるカスティーリャの人々はガリシア・ポルトガル語で抒情詩を書き (佐竹 2009: 46)」という話が出てきたが、アルフォンソ10世 (在位1252-84) の名前とともに思い出されるのが Cantigas de Santa María と呼ばれる作品だ。

文学作品としては、聖母マリアの奇跡を集めた400編以上の詩からなる『聖母マリア賛歌集』が有名である。それはガリシア語で書かれた華麗な図説書で、一部は聖母マリアを崇敬するアルフォンソ10世自身、大部分はガリシアの詩人アイラス・ヌネスの作といわれる。(関 2000: 102)

面白いのは「詩の多くはセヘル (zéjel) というアラビア語の抒情詩に起源を発する詩形で書かれている (寺﨑 2011: 78)」ということで、当時のイベリア半島においてアラビア語詩が持った影響力をうかがわせる。だが、今問題にしたいのは、この賛歌集が何語で書かれているかという点だ。関が指摘する通りだが、寺﨑も当然「王国内のロマンス語の一つ、ガリシア語で書かれて (ibid.)」いることを明記している。

さて、池上俊一の本はどう言っているか。

さらにその名を高めているのが『サンタ・マリア讃歌(さんか)集』いわゆる『カンティガ』で、スペインに広まっていたマリア信仰を背景にした、429編の抒情詩と物語詩からなる大集成です。多くはガリシア詩人のアイラス・ヌネスの作品とされていますが、王自身の作品もあり、豊かな感情表現など、詩人としてのアルフォンソ10世の面目躍如(めんぼくやくじょ)というところです。(池上俊一 2019: 67-68)

どうも、学生のレポートを60以上読んだ後なので、採点モードが抜けず、つい「めんくやくじょ」だろうとか、「崇敬」じゃなくて「信仰」と書いたのは分かってやってるんだよねとか言いたくなってしまうが、そのために引用したのではなかった。言いたかったのは、ガリシア語への言及がないことだ。「ガリシア詩人」という表現に言語のことを含めるのは苦しいだろう。この引用部分の前で、他の文献について「カスティーリャ語で書かれ (池上俊一 2019: 67)」というフレーズを繰り返していることから考えても、この Cantigas がガリシア語で書かれていることを読み取るのは難しい。

僕は、『聖母マリア賛歌集』がガリシア語で書かれたというのは大事な情報だと思うので、これを省いた意図はまるで分からないが、まあ、それが著者の立場なのだろう。「豊かな感情表現など、詩人としてのアルフォンソ10世の面目躍如」と書いているということは、実際に作品を読んだのだろうし、それがガリシア語で書かれていることも分かりつつ豊かな表現を味わったのだろうし、それでもなお言語についての言及をしないというのは何らかの意図があるに違いない。

なお、Cantigas de Santa María が書かれた13世紀の段階では、「それぞれのことばをたがいに独立したポルトガル語とガリシア語と呼んで区別することを可能ならしめるほどの音韻上、文法上の差異がXIV世紀中葉ころまでの文書からは認められない (池上岺夫 1984: 69)」というのが一般的な見解だ。したがって、『聖母マリア賛歌集』がガリシア・ポルトガル語で書かれたと言っても文句は言われないはずだ。

*引用中の漢数字はアラビア数字に改めた。

  • 池上岺夫, 1984, 『ポルトガル語とガリシア語』, 大学書林.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 佐竹謙一, 2009, 『概説 スペイン文学史』, 研究社.
  • 関哲行, 2000, 「キリスト教諸国家の確立」, 立石博高 (編), 『スペイン・ポルトガル史』, 山川出版社, 第1部第1章, 84-113.
  • 寺﨑英樹, 2011, 『スペイン語史』, 大学書林.

Romancero

池上俊一『情熱でたどるスペイン史』。これは駄目な本だ。タイトルからしてひどいが、それだけではない。まあ一応中身をチェックした上で、つまり読み終えてから少しコメントしようかと考えていたのだが、そんな悠長なことを言ってる場合ではないと思えてきた。なので、まだ読んでいる途中だが、思いついたことを書くことにする。

今回のお題はロマンセーロ。スペイン黄金世紀の話として、著者は「中世にあったガリシア語やポルトガル語の恋愛抒情詩はすたれていき、かわりに「ロマンセーロ (ロマンセ集)」とよばれるジャンルに属する騎士道物語が栄えました (池上 2019: 118)」と言う。今引用してみて、ここまでで「あれっ?」と思わなければいけなかったことに気づいたが、実際に驚いたのは以下のパッセージだ (原文の漢数字はアラビア数字に改めた):

初期ロマンセーロの代表作は『ティラン・ロ・ブラン』(1490年) というカタルーニャ語作品で、今ひとつはカスティーリャ語の『アマディス・デ・ガウラ』(1508年) です。(池上 2019: 119)

えーーーー!!!

池上が挙げている2作は騎士道物語だ (佐竹 2009: 54-55) が、ロマンセーロではない。もちろんロマンセでもない。ロマンセーロとは以下のようなものをいう:

1300年頃、教養あるカスティーリャの人々はガリシア・ポルトガル語で抒情詩を書き、民衆は叙事詩に聞き入っていたが、その100年後にはもはやガリシア・ポルトガル語の抒情詩は時代遅れとなり、カスティーリャ語で詩作をするようになった。こうした流れのなかで新たに民衆の人気を博したのがロマンセである。ここでいう「ロマンセ」とは、俗ラテン語から派生してできたロマンス語のことではなく、一つの詩型をさし、複数のロマンセを集めたものを「ロマンセーロ」と呼ぶ。(佐竹 2009: 46)

『ティラン・ロ・ブラン』と『アマディス・デ・ガウラ』は散文作品なので、詩の一種であるロマンセやそれを集めたロマンセーロと見なせないことは明らかだし、そんなぶっ飛んだことを言うスペイン文学の本は見たことがない。ではなぜ池上はこんな大胆な新説を提案したのだろうか。

ひとつ思い当たるのは、英語の romance が騎士道物語を意味しうること。また、フランス語で騎士道物語は roman de chevalerie と言い、roman は小説のことでもある。そこで、よく確かめもせずに騎士道物語がロマンセの一種だと思い込んでしまったのかもしれない。しかし、スペイン語では romance は佐竹が説明しているものであり、騎士道物語は libro de caballerías とか novela de caballerías とか呼ばれていて romance と取り違えようがない (ちなみに小説は novela)。

いずれにせよ、著者は日本語で書かれたスペイン文学史さえ参照せず、多少スペイン語を勉強した者なら混同しようのない概念を混同しているわけだ。この程度の準備でスペインの通史を書いてしまうのは極めて傲慢な態度だ。スペインもスペインの専門家も随分あなどられたものだ。そして、この本が岩波ジュニア新書の1冊だということが僕の気持ちを暗くする。これから一体何人の若者が『ティラン・ロ・ブラン』をロマンセーロだと信じることになってしまうのか。著者の責任は重い。

なお、佐竹 (2009) は騎士道物語もロマンセも中世の章で扱っている。詳しくは同書を読んでください。

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 佐竹謙一, 2009, 『概説 スペイン文学史』, 研究社.