2015年4月30日木曜日

Malamente (1)

振り返ってみると、カンテらしきものを習い始めてもう20年ぐらいになる。その割に上手くなってないのだが、クラスの外ではほとんど練習していないし、そもそも上手くなろうと思っていないので当然だ。僕としては、カンテに対する理解を深めることと、ついでに仲間うちで楽しむことが目的で、それ以外の用途に使うことは基本的にない。知らない人の前で歌ったことは何度かあるが、それは何か特殊な事情があってそうせざるを得なかったからだ。もちろん、上手ければ特殊事情に配慮して人前で歌ってもいいのだが、ちょっとそういうレベルじゃない。だから出来るだけそういうことはしたくない。まあ、それで自分自身が楽しかったことがないとは言わないが、やりたくてやったのではないし、下手なくせに出たがりだと思われるのも癪なので、ここで言い訳めいたことを書いているわけだ。

上手くなろうと思っていないと言っても、今のままで良いと思っているのではない。当面の (と言っても生きているうちに達成できるとも思えない) 目標は、下手なスペイン人のように歌えるようになることだ。もちろん、上手いスペイン人のように歌えればその方が良いに決まっているが、「上手い」と「スペイン人のように」を独立したパラメータとして扱うことが可能だと仮定すると、どちらを優先すべきか僕にとっては自明のことだ。上手い日本人のように歌うことに興味はないので、「上手い」は当面 (多分生きている間は) 忘れていい。

さて、では「スペイン人のように」はどのようになのか。ひとつには当然言葉の扱いがある。(アンダルシアの) スペイン語としてちゃんと発音することが第一だが、それを音楽にのせるのは簡単なことではない。日本語ネイティブとして、u や l/r などの分節音の発音、tr のような音の組み合わせにはもちろん気をつけねばならない。だが、強勢 (アクセント) の実現もそれに劣らず重要だ。実を言うと、日本人のカンテを聞いていてこの点が気になることが多い。つまり、アクセントのあるべき所にアクセントが聞こえない歌い方をする人が少くない (そこから推して僕も気をつけなきゃと思っている) のだが、スペイン人のを聞くと大抵はちゃんと強勢が聞こえるので、やはりスペイン語としての発音をしっかり身に付ける努力をする必要があるわけだ。単語単独の発音では日本語的発音でも強勢らしきものを実現することはできるが、実は自然なイントネーションで文中の単語にスペイン語らしい強勢をつけられる学習者は多くない。歌についても同じことが言える。歌の中では単語の強勢がメロディーの高いところに来るとは限らないし、音楽上の強拍と一致する保証もないので、ごまかしがきかないのだ。

問題は、スペイン語の強勢を実現するにはどうすれば良いのかという情報が少ない、と言うか無いことで、僕も「よく聞いて真似る」ぐらいしか思いつかない。で済ますのも何なので、ひとつだけ言っておこう。音声学が明らかにしてきたことは、スペイン語の強勢と最も相関度の高い物理的特性はピッチ、つまり音の高さの変動だということなのだが、日本語ネイティブの学習者はこの科学的成果を無視した方が良い。発音を学ぶ立場からは、とにかくスペイン語のアクセントはそこが強いのだと信じて発音することが大事だ。単に音高の動きがあるとかではなくて、そこにエネルギーの集中と解放があり、それこそが強勢の本質なのだと。これは僕自身の学習者としての経験と学習者や同業者の発音の観察から導き出した (現時点での) 結論だ。

だから上手くなってる暇なんかないわけ。

2015年4月20日月曜日

Metátesis

統一地方選挙でうちの近所も選挙カーが廃品回収を名乗る車と競争を始めた。その様子をぼんやりと聞いていた日曜の昼下がり、僕はあることに気づいて愕然とした。そう、僕は「お騒がせ」を「おさがわせ」と発音しているのだった。

ショックだったのは、そのように発音していたことではなくて、今までそれに気づかなかったことだ。確かに発音のしにくい語だという意識はあって、前からよくつっかかっていたのだが、それは「おさわがせ」と「おさがわせ」が鎬を削っていたからなのだろう。よく考えると、僕自身実際にどっちの発音を多くしていたのか分からないけれども、今の感覚だと「おさがわせ」の方が楽に発音できて違和感も少ない。

まあでも、「お騒がせ」なんてもともと使わないか。

と思ったとたん、「おさわがせ」の方が自然に感じられるようになって来た。頼りにならない話だが、ネイティブなんてそんなもんだ。ほら、また「おさがわせ」の方が良くなって来た。

2015年4月18日土曜日

Comparando

日本語には比較級がない。「リンゴの方が安い」とか「リンゴよりも安い」のように、名詞の方をマークすることで比較を表すことができるので、別に不都合はないが、形容詞が無印のままであることと、これから紹介する現象は、もしかしたら関係しているかもしれない。

スペイン語では形容詞をマークすれば比較表現になる。たとえば «son más baratas» だけで比較表現としては一人前だ。ところが日本語話者のスペイン語学習者 (以下「日本人学習者」) の中にはこれを「とても安い」と訳す人が珍しくない。もちろん比較級は学習ずみだ。原因として考えられるのは、日本語の比較表現が名詞、と言うか正確には比較されるものに相当する項をマークすることで成り立つということだ。「~の方が」と「~よりも」の両方を含む概念として「比較項」という言い方を使うことにするが、«son más baratas» には比較項が明示されていない。「より安い」という訳が教科書的だが、硬いし、これだけでは落ち着かない。というわけで、文脈を見て補う必要が出てくる。「その方が安い」とか「リンゴより安い」とか。しかし、ご想像どおり、学習者たちはなかなかそういうことをやってくれない。

日本人学習者がスペイン語の比較は認識できるが上手く日本語にできないのか、それとも比較自体を捉えそこなっているのか、よく分からない。ただし、特に長めの文になると、比較項があってもそれを無視して、と言うか捉えそこなって「とても安い」と言う学習者もいるので、もしかしたら後者なのかもしれない。いずれにせよ、授業では más があったら que を探せ、que がなかったら文脈を見ろと言うのだが、体系的に練習する時間はなかなか取れない。読む授業をもっと充実させる必要があるのだが・・・

この文章を一旦書き終えたあと、比較項を表現せずしかも日常的な言い方で「もっと安い」があることに気がついた。だが、比較項がイメージできていないと訳文として思いつくのは難しいかもしれない。それに、「もっと〇〇」は単純な比較表現ではないように思える。まあでも、逆に言えば比較項を喚起する力が強い表現だということだから、上手く使えば比較級習得の助けになるかもしれない。