2022年12月31日土曜日

Capmany

サバテの本には「カッマーニイ (211)」という興味深い表記が見える。ポイントは小さい「ッ」と大きい「イ (僕の目には大きく見える)」だ。前者は音節末子音の同化の問題と、後者は語末の硬口蓋音の表記の問題と関わる。ちなみに立石ほか (2013: 32) には「カッマーニィ」が出てるくが、こちらの「ィ」は小さい。

Alcover & Moll (DCVB) で Capmany をひくと Campmany に行けと言われる。Campmany の項には語源の説明がある:
del llatí campu magnu, ‘camp gran’. En un document de l'any 1246 es parla de la parròquia per Campo Magno («España Sagrada», xlv, 335). Com que la p seguida de m s'assimila a aquesta nasal, resulta que Campmany es pronuncia de la mateixa manera que es pronunciaria cap many; per això hi ha vacil·lació en la grafia, posant-se a vegades Campmany i altres Capmany. Ja existia aquesta confusió en el segle XIV, com ho demostra la llatinització Capite magno (en lloc de Campo magno) que apareix en un document de 1362 (ap. Alsius Nomencl. 121)
つまり、もとは camp + many なのだが、発音上 cap + many と同じになるので、中世から綴り上の混同が起きて Campmany と Capmany が併存していたということだ。

さて Campmany / Capmany の発音は «kammáɲ» となっている。最初の音節の a が弱化していない点にも注意が必要だが、[p] は現れず、長い [mm] になっているところが重要。普通に考えれば「ッ」ではなく「ン」が適当な文脈だ (setmana [sǝm'manǝ] と平行した現象)。

語末の硬口蓋音の表記問題は、以下の子音に関わる (今は後部歯茎音と言われるようになったものを含む)。印刷物やネット上で拾った表記を添えておこう:
  • [ʃ]: Baix バッシュ, Foix フォシュ
  • [tʃ]: Puig プッチ/プーチ
  • [ɲ]: Capmany カッマニ/カプマニ/カプマニィ/カプマニー, Fortuny フォルトゥーニ/フォルトゥーニー/フォルチュニィ
  • [ʎ]: Llull リュイ/リュル/リュリ, Güell グエル/グエイ

実際どんな表記が行われているかを見てみると、[ʃ] は「(「ッ」)シュ」、[tʃ] は「チ」が一般的のようだ。[ʃ] 「シュ」のウ段と [tʃ] 「チ」のイ段の違いは興味深いが、英語の cash 「キャッシュ」 vs. catch 「キャッチ」との平行性もあるので、それが日本語話者の聞こえ方に沿った表記なのだろう。[ʃ] の前に小さい「ッ」が聞こえるのも想像しやすい。「シュ、チュ」か「シ、チ」に統一すれば体系上はすっきりするが、そこまでする必要もないだろう。

[ʎ] については、側面音性と硬口蓋性から考えれば「リ」か「リュ」が候補になるが、近年「イ」が一般的になっている。この「イ」の出どころは良く分らないが、聴覚印象的には「リ」や「リュ」よりも「イ」が近いとは言える。僕は日本語話者にとっての聞こえを重視する表記に対して距離を置くので、体系性の点から反対するのが筋なのだが、まあこれでも良いかなと思っている。もともと環境によって [ʎ] ではなく [j] になる変種がある (ieisme històric) こととか、近年都市部で起きている非側面音化の ([j] になる) 動き (ただし「正しい発音」とは見做されていない) があるというのとは一応独立した話だが、この変化を見越した未来志向のカナ表記かもしれないというのはもちろん冗談だ。なお、「リュル」や「グエル」はカスティリャ語的発音がベースになっているのだろう。これを採用する理由は見つからない。

で [ɲ] だが、体系性の観点からは「ニ」か「ニュ」が考えられる。ざっと見渡したところ「ニュ」は見当たらないので、「ニ」で良いだろう。ただ、「ニ (ー)」は多いのだが、たとえば Fortuny は有名な画家なので、カスティリャ語風の発音がもとになっているのだと考えた方が良い。カタルニャ語の語末の -ny の表記で近年多いのは小さい「ィ」を足した「ニィ」の方だ。僕は、この「ィ」は余計だと思うので採らない (大きい「イ」を加えた「ニイ」は言わずもがな)。

カナ表記での子音表記は、他の言語の場合も含めて眺めてみると、基本的にはウ段の文字が使われている (外来語として入った時期によってはイ段のものもある)。そうでないのは t, d の「ト、ド」と、硬口蓋系の子音に当てられるイ段の文字だ。上に挙げた英語からの「キャッチ」やカタルニャ語からの「プッチ」、スラブ系の軟子音 (最近よく見る「ベラルーシ」「マリウポリ」とか) がその例だ。今問題にしているカタルニャ語の [ɲ] と [ʎ] も大体イ段で表現されている。つまり「プッチ」が「プッチィ」でなく「プッチ」で充分なように、「カンマニ」は「カンマニ」で過不足なく硬口蓋子音を表現できているのだ。「カンマニィ」はむしろ「カンマニー」と読まれかねない。この表記を考えた人はもしかしたら「ニュ」にヒントを得たのかもしれないが、「ニュ」はウ段の音を表すための表記なのであって、既にイ段の表記として問題のない「ニ」に何かを付け加える意味はないのだ。

そう言うと、いや [ni] とは別の [ɲi] を表わすためだ、と言う人がいるかもしれない。しかし、イ段には直音と拗音の区別がないのだから、そこを無理に書き分ける必要はない。「ニィ」は硬口蓋性を示唆するどころか「ニー」や「ニイ」を引き起こす可能性のある、どう見てもメリットの無い表記なのだ。

ちなみに、イ段の口蓋性/非口蓋性を書き分ける試みとして口蓋音の「チ、ジ」に対する非口蓋音の「ティ、ディ」があって、これは音韻的にも区別している人が多いだろう。これはもう日本語の音韻体系の中に組み込まれていると言ってよいが、重要なのは、2文字で表わされているのは非口蓋音の方だということだ。また、「シ」に対する非口蓋音の「スィ」があって、表記としてはある程度定着しているが、僕は「スィ」を見ると「スイ」と発音したくなる。いずれにせよ、ここでも2文字で表現されているのは非口蓋音だ。なぜかと言うと、日本語イ段音の子音は口蓋性を持つ。「ニ」も音声的には [ni] よりも [ɲi] に近い。だから、仮に [ni] と [ɲi] を書き分けるのであれば、口蓋音の [ɲi] には「ニ」を、非口蓋音の [ni] には「ヌィ」とかを当てるのが日本語の音韻的・表記的体系性を重んじたやり方だ。

というわけで、Capmany は「カンマニ」が良い。

さて、今まで語末子音の話をしてきたが、[ɲ] が厳密には語末でない面白い例がある。Companys だ。
新しく誕生した共和国議会で、カタルーニャ選出議員団のリーダーとして、カタルーニャ自治憲章の成立に尽力したのがリュイス・クンパンチ (1882~1940年。リュイス・クンパニィスと表記されることが多いが、実際の発音に近い表記ではクンパンチとなる) である (立石ほか 2013: 298)

単純に考えれば Companys の発音は [kum'paɲs] になるはずだ (https://ca.wiktionary.org/wiki/companys)。それをそのままこのブログのシステムで転写すると「コンパニス」になる。引用にある「クンパニィス」も、そういうシステムにおける単純な転写だ。しかし、立石ほかによれば、実際の発音は「ンチ」に近いのだという。どういうことか。

ここには同化という現象が関わっている。Prieto (2014: 169) によれば、カタルニャ語では後ろの子音が前の子音に影響を与える逆行同化の例は多いのだが、順行同化は少ない。その少ない順行同化の例が、クンパンチと関係する。
En canvi, en català hi ha pocs casos d’assimilació pregressiva: un exemple n’és la palatalització total o parcial de -s quan va darrere segments palatals: la -s final de fills i banys es pot realitzar fonèticament com a palatoalveolar [ʃ] o com a postalveolar [s] (Prieto 2014: 169)

この説明によれば Companys は [kum'paɲʃ] や [kum'paɲs] という発音になり得る。[ɲʃ] だと「ンシ (ュ)」ぐらいじゃないかと思う人も多いだろうが、多分 [ɲ] から [ʃ] に移行するときに渡り音が発生して [ɲtʃ] に近く実現されることがあり、それが「ンチ」に聞こえるのだろう。僕は Companys で確認したことはないが、anys, menys で「アンチュ」「メンチュ」みたいなのを聞いたことがある。「クンパンチ」を支える言語現象は確かに実在するわけだ。

しかし、ご想像どおり、僕は「コンパニス」の方が良いと思う。ひとつには、「聞こえるように表記する」ことの問題がある。たとえば英語の Charles を「チャーウズ」と表記したい人が出てきたらどうするのか。フランス語の France を「フゴーンス」と書く人がいたらどうするのか。この問題を解決するのは体系性だ。英語の母音が続かない l を「ウ」で、フランス語の r をガ行で、[ɑ̃] を「オ (ー) ン」で書くのであれば、表記法として検討の対象になるだろう。同様に、カタルニャ語の順行同化による s の口蓋化を「チ」で表すシステムを考えることは可能だ。それに従えば、例えば Arenys は「アレンチ」、Cabrenys は「カブレンチ」、Domenys は「ドメンチ」、Morunys は「モルンチ」、Tivenys は「ティベンチ」になるだろう。この口蓋化は [ʎ] の後でも起るから、サバテの本で「バイス (76)」と書かれている Valls は「バイチ」とか「バルチ」とかになるだろうか。しかし、体系全体の問題として、-nys, -lls の s を別扱いにするメリットがあるのかどうか考える必要はある。

一方、Prieto によればこの現象は必ず起こるわけではない («es pot realitzar»)。つまり「チ」に聞こえることもあるが、そうでないこともある。「シ (ュ)」かも知れないし「ス」に聞こえるかもしれない。ならば、「チ」を採用する意味はない。ただ、体系的には s の前の ny をどう表記するかという問題は残る。「ンチ」の「ン」は、母音がないことを示す効果のある表記なので、口蓋性は諦めて「コンパンス」にするという手もあるわけだ。とは言え、ここでも何故 -nys だけ別扱いするのかという話になる。いっそのこと Capmany も口蓋性の表示を諦めて「カンマン」にするか?

今回もだらだらと書いてきたが、カナ表記に関する僕の立場についてまとめ的なことを言えば、こんな感じだろうか:
  • 体系性、簡便性を重視する
  • カナ表記の体系に無理をさせない
  • カナ表記を日本語として読んだときにオリジナルの音に似ている必要はない (オリジナルが再現できるという幻想を捨てる)

あ、あと、ネット上で「リュイス・コンパニュス」を見つけた。ついでに Manuel Valls i Gorina を「マヌエル・ヴァリュス・イ・グリナ」と書いている例も。硬口蓋子音をウ段で表記する選択肢が消えたわけではない。

  • Alcover, A. M. & Moll, F. de B, Diccionari català-valencià-balear, https://dcvb.iec.cat/
  • Prieto, Pilar, 2014, Fonètica i fonologia. Els sons del català, Editorial UOC, primera edició en format digital (edició Google Play).
  • フロセル・サバテ (著), 阿部俊大 (監訳), 2022, 『アラゴン連合王国の歴史』, 明石書店. (Sabaté, Flocel)
  • 立石博高 & 奥野良知 (編著), 2013, 『カタルーニャを知るための50章』, 明石書店.