2019年3月28日木曜日

Montsalvatge (2)

ソプラノ歌手の谷めぐみさんから連絡を頂いた。以前「シャビエ・ムンサルバッジャ」を使ってみたが、通じなくて大変だったという経験がおありとのこと。そうなんだろうな。慣用は強いのだ。変えるためには、少しずつ「シャビエ」が増えていくように地道に取り組んで行くしかない。

カタルーニャ語固有名詞に関わるもうひとつの問題は、Xavier に対する Javier とか Enric に対する Enrique とか、他の言語に対応するものがあることだ。つまり、名前も翻訳できてしまうのだ。これはカタルーニャ語とカスティーリャ語の間に限らない。今ではしないのが普通だが、昔は名前を翻訳す習慣があった。例えば1881年に Menéndez Pelayo が訳したシェイクスピアの作品集は Dramas de Guillermo Shakespeare だったようだし、僕は Carlos Marx (ドイツ語では Karl だ) も見たことがある。今でも見るのは Guillermo Tell (Wilhelm Tell) や Julio Verne (Jule Verne)。スヌーピーと Carlitos なんてのもある。

歴史上の王たちには、カノッサの屈辱の Enrique IV とかナントの勅令の Enrique IV とか英国国教会を作った Enrique VIII とかがいるし、今でもイギリスの女王は Isabel、その息子は Carlos、さらにその息子でメーガン・マークルと結婚したのは Enrique だ。また、キリスト教の聖人たちがそれぞれの言語でそれぞれの呼び方をされるのは良く知られたことだが、日本で「サン・ジョルディ」とカタルーニャ語 Sant Jordi から入った言い方をされるのは聖ゲオルギオスとか聖ジョージとか呼ばれているのと同一人物だ。今のローマ教皇を日本ではカスティーリャ語風にフランシスコと呼んでいるが、Francisco に当たるラテン語は Franciscus で、Wikipedia に載っている彼の署名はラテン語で書いてある (バチカンの公用語はラテン語だからね)。

こういう習慣というか伝統を考えれば、Xavier を Javier とか Enric を Enrique とか言うのは、カタルーニャ語とカスティーリャ語の力関係だけが原因というわけではないことが分かる。同じ人が同じ人についてカタルーニャ語で喋るときは Xavier と言い、カスティーリャ語では Javier と言うということはあり得るし、相手に応じて言い方を変えるかもしれない。

蔵書印では Enric だったグラナドスも、夫人に宛てた手紙 (WEB上で画像をいくつか見ることができる) はカスティーリャ語で書いていて、Enrique に見える署名が確認できるものがある。とりあえずカスティーリャ語では Enrique Granados で、カタルーニャ語では Enric Granados で良いとして、日本語ではどうするか、結構面倒な問題だ。

Xavier Montsalvatge (1912-2002) の場合は、前に書いたように、カスティーリャ語版のWikipediaでも Xavier なのだから「ハビエル」を維持する意味はない。というわけでカタルーニャ語をカナで写すときの問題点を次回以降取り上げることにしたい。