2013年6月25日火曜日

Cantar sin música


スペイン人の同僚たちと話をしていて、学生がアカペラのサークルで歌っているということが話題に上った。何を歌うのか、と尋ねる人がいたので、僕はアカペラというのはジャンル (un género) であると言った。で、当然、でもアカペラというのは cantar sin música のことでしょ、という反応が返って来た。まあ、ジャンルというのは大袈裟だけど、今の日本で学生がアカペラをやっていると聞いて、たとえばグレゴリオ聖歌を思い浮かべる人はいないのではないだろうか。つまり、ここでの「アカペラ」は伴奏なしで歌うことという一般的な意味で使っているのではない。僕は「アカペラ」のジャンルとしての範囲は知らないので、具体的なことは分からないが、てなことを答えたのだった。あとで検索してみたら「アカペラを歌う」という言い方さえ存在する。

さて cantar sin música は、文脈から明らかなように伴奏なしで歌うこと、つまり (一般的な意味での) アカペラで歌うことだ。この música の使い方がなんともカッコいいではないか。こういう言い方は、僕は逆立ちしても思いつかない。せっかく覚えたので、生きてるうちに1度使ってみたい。

スペイン語でもアカペラという言い方はする。DRAEの次の版に a capela が収録されるようだ。これで形容詞的にも副詞的にも使えるという。載っている例文は Cantaron a capela で、副詞的な使い方の例。フラメンコでは cantar a palo seco と言ったりする。

2013年6月21日金曜日

Casar

ある本を読んでいたら、自動詞の casar が立て続けに出て来た。ひとつだけ紹介すると:

Gregorio Manuel Fernández Vargas Carrasco Monge, apodado como “Tío Borrico” (1910) quien casa con Manuela Flores Ortiz (José María Castaño et al, Cien años de Tío Gregorio El Borrico 1910–2010, 2010: 35).

普通は casarse だし、僕らも教室では自動詞の使い方など存在しないような顔をして casar con を使う学習者がいたら黙ってバツにするわけだが、アカデミアの扱いがどうなっているのかと思って DRAE を引いてみた。すると «1. intr. Contraer matrimonio. U. m. c. prnl.» である。つまり、自動詞で「結婚する」というのが1番最初の語義なのだ。もちろん usado más como pronominal と付け加えてあるので casarse の方が多いことは認めているのだが、casar が特殊な (たとえば古いとか方言的とか) というわけではないということになる。DPD も «Con el sentido de ‘unirse en matrimonio a otra persona’, es intransitivo, normalmente pronominal, aunque también se usa en forma no pronominal» で、単純に頻度の違いであるような書き方だ。

まあ、授業では知らん顔を続けることにするが、自動詞の casar については僕自身が思い違いをしていたことを知った。というのは、僕は他動詞の casar 「結婚させる」がもとにあって、それが再帰動詞 casarse 「結婚する」を生み、そこから se の落ちた casar 「結婚する」が出たと思っていたのだが、どうやら自動詞の casar の方が先にあったようなのだ。これは Corominas と Pascual の DCECH の説明:

En el sentido de ’contraer matrimonio’, observan R. Moglia y A. Alonso, RFH IV, 78, no hay por qué creer que casarse precedió a casar; en efecto, esta última construcción es con mucho la más frecuente hasta el S. XV. Probablemente es la originaria, aunque la aparición simultánea de la construcción causativa casar ’unir en matrimonio (a otro)’ [en el Cid, junto a la intransitiva], causó pronto la aparición de casarse.

でも casarse は他動詞の casar から出たと考えて良さそうなので、授業中の説明 (casarse は自動詞化) を変える必要はないことになる。

2013年6月14日金曜日

UE


2人だけだが、CCOO の読み方をスペイン人に聞いてみた。Comisiones obreras だと言う。Salamanca の辞書も見せたが、ce-ce-o-o も co-co も言わないという。Etecé も一蹴された。というわけで、この件に関しては取りあえず無難な線が確認された。

ついでに思い出して UE についても聞いてみたら Unión Europea だという答え。つまり u-e とは読まないとのこと。僕は u-e を聞いたことがないと言えるほどの確信はないが、Unión Europea が普通だと思っていたので、これも一安心。さらに面白かったのは、u-e は発音できるけれどもスペイン語 (の単語) らしくないというコメントだ。言われてみれば、母音だけでできているスペイン語の単語は、単音節の接続詞 y (e), o (u) や前置詞 a と haber の活用形 he, ha を除くとほとんど存在しないのではないだろうか。あ ahí があった。それから oí (oír) と hui (huir) と hay (haber) もそうか。これらは2番目の要素が i であるという共通点がある (二重母音を形成するか、i が核母音となるかどうかは異なる)。U-E はこのパタンに当てはまらない。ちなみに IU も同様で、Izquierda Unida と読むのが落ち着くという。こんなところに、僕が思いもつかなかったスペイン語らしさの感覚があるということを知って幸せな気分になったのだった。

2013年6月11日火曜日

Ce-ce-o-o

CCOO の読み方は Comisiones Obreras が無難だと書いたが、あとで Salamanca の辞書を見たら «pronunciamos ‘ce-ce-o-o’ o ‘co-co’ (s. v. CCOO)» と書いてあるのに気づいた。論文なら、必須文献を見なかった廉で不採用になるところだ。

この辞書は他にも OMS の oms や PSOE の pesoesoe を載せたりで、学習者には有り難い。しかも CCOO で co-co と言うのが僕だけじゃないみたいで安心した。問題の ce-ce-o-o については、辞書に採用されるぐらいの発音であるということも分かった。しかし、この辞書が出た後に起きた ce ce o o 事件 (2003年) のことを考えれば、我々としては comisiones obreras にしとくのが無難だろうとは思う。けっこう発音しにくいのだが。

Juan Gutiérrez Cuadrado (dir.), 1996, Diccionario Salamanca de la lengua española, Santillana.

2013年6月8日土曜日

etc.

ひょんなことから iPhone の西和辞典 (Español Diccionario para iPhone 1.3) で etc. の音声を聞いて驚いた: e te ce と発音しているのだ。もちろん Electronic Toll Collection System ではなくて etcétera のこと。僕自身はそんな発音を聞いた覚えがなく、etc. と書いて etcétera と読むのだと信じているから、何やってんのと思ったのだった。ちなみに、辞書のテクストには発音表記はなく、etcétera への送りがある。それから、幾つか略語の発音を聞いて楽しんだのだが、CCOO (Comisiones Obreras) が [θe.θe.o.ó/se.se.-] になっているなど、どうも僕の感覚とずれるものがあるので、一応調べてみた。

その結果分かったことは、etc. には e te ce という発音が存在するということ: «Tradicionalmente, etcétera en su uso propio para cerrar una enumeración se ha escrito abreviado como etc. Tan extendida está la abrevitura (sic) frente a la forma plena, que a menudo se deletrea a modo de sigla, no solo en la lengua oral, sino incluso en la escrita, como etecé (Wikilengua: etcétera)».

検索してみると、確かに例が見つかる: «En términos prácticos, cualquier empresa, cooperativa, asociación civil, ONG, agrupación política, etecé etecé debe tener una identidad definida y unas metas claras, basadas en un origen y un esquema de desarrollo sólidos (BLOG DE LA COOPERATIVA C10)».

CCOO はどうか。これは Comisiones Obreras と読むという証言がほとんどだが、興味深い記述がみつかった。アスナール政権時代、スペイン国営テレビのニュースキャスターだった Alfredo Urdaci が ce ce o o と言った事件がある (WikiPedia: Alfredo Urdaci)。Wiki によれば、この発音は  «no es la práctica habitual en televisión y radio» で、ここから Urdaci の何らかの意図が感じられると同時に、ce ce o o がメディア以外では存在する可能性が予想できる。また、スペインの労働者団体の名前が他の国では知られている保証はないから、スペイン人以外のネイティブが ce ce o o と読んだとしても不思議ではない。つまり、スペインでは Comisiones Obreras と読むのが普通だが、スペイン語圏全体では状況が違うという可能性はある。

ただ、これで勉強になりましたで終わりにするのはくやしいので、アカデミアの正書法をのぞいてみる。アカデミアによれば、略語には大きく分けて2つのカテゴリーがある。ひとつは abreviatura: «Una abreviatura es la representación gráfica reducida de una palabra o grupo de palabras, obtenida por eliminación de algunas de las letras o sílabas de su escritura completa (p. 568)» で、何らかの形で完全形より文字が減っているもの。もうひとつは sigla: «Se llama sigla tanto al signo lingüístico formado con las letras iniciales de cada uno de los términos que integran una expresión compleja como a cada una de esas letras iniciales (p. 577)» で、頭文字を連ねたもの。

そして、前者は «su lectura corresponde a la realización de la forma plena de la palabra abreviada (p. 570)» (ただし例外はある)。後者は2種類に分かれ、スペイン語として発音が難しいものは文字の連続として読み (DNI: de ene i)、そのまま単語として読めるものはそう読む (FIFA)。この最後のグループを acrónimo と呼ぶ。また、混合型もある (PSOE: pe soe)。

さて etc. は etcétera の略だから abreviatura であり、その読み方は元の形をそのまま、つまり etcétera ということになる。ざっと見た限りでは例外としての言及はないので e te ce という読み方は非推奨だと見なされる。また etecé という単語もアカデミアの辞書には登録されていないので、学習者に進んで教える必要もない。

CCOO はどうか。これは一見 sigla のように思えるが、複数形の作り方という観点からは、アカデミア的には abreviatura に分類されるはずだ。まず sigla の複数については、たとえば ONG (o ene ge) の複数は発音上 o-ene-gés のように -s がつくとしても、書くときには何も加えないというのがアカデミアの推奨するやり方。つまり ONGS でも ONGs でも ONG’s でもなく varias ONG のように書け、ということだ。仮に、これに従って comisiones obreras の sigla を作るとしたら CO ということになる。一方 «En las abreviaturas obtenidas por truncamiento extremo, el plural se expresa duplicando la letra conservada: ff. por folios, vv. por versos, ss. por siguientes, FF. AA. por Fuerzas Armadas (p. 573)» のように、abreviatura の複数形には文字を重ねるというやり方が紹介されている。したがって CCOO は abreviatura ということになり、読み方も Comisiones Obreras という完全形が推奨されていると考えられる。ただし、ざっと見た限りでは CCOO への言及はないので、あくまでそう考えられるということだ。

あと、abreviatura は、アカデミアに従うならば省略を存在を示すピリオドが必要で、複数の単語はひとまとめにしないのが基本。たとえば EE. UU. (Estados Unidos) のように、ピリオドとスペースを入れて書くのが推奨形だ。しかし実際にはピリオドありなし、スペースありなし、いろいろな書き方が存在する。CCOO も、アカデミア的には CC. OO. になるはずだが、当事者は CCOO とピリオドなしの続け書きだ (CCOO のページ)。世の中規範通りには行かない。と言うか、だから規範がある。

そこで辞書に戻る。辞書の編集方針に関わる問題だから、本来はそれを確認すべきなのだろうが、etc. に e te ce だけ、CCOO に ce ce o o だけしか発音を示さない意味はないだろう。無難ということでは etcétera と Comisiones Obreras だけで良い。他の発音を示すことは、編集方針次第だが、役立つ記述になるだろう。OMS に [óms] と o eme ese があったり PSOE に pe soe と soe があったりするのも採り入れて行けば良い (アカデミアの正書法にも載っているくらいだから、こっちの方が優先度は高いだろう)。

ところで、僕は CCOO を見るとまず頭の中で coco と読んでしまう。別に anagrama が趣味なわけではない。

RAE; ASALE, 2010, Ortografía de la lengua española, Espasa.

2013年6月1日土曜日

Sé absurdo, pero con sentido...


スペイン人同僚たちと一緒にこういう遊びをやった。名詞が一つ与えられたら、それに形容詞をつけて absurda なフレーズを作る。たとえば un desayuno に「合う」形容詞を考える。僕が考えたもので及第点をもらったのは un desayuno perpendicular だが、解釈できるようなものになってはいけないので、かなり難しい。もちろん、大部分の名詞は perpendicular をつければOKになってしまうが、遊びでやっているのだから、それで通すわけにはいかない。できるだけ意外で面白いのを探す必要がある。もうひとつ un clima polisémico というのを考えてOKが出たが、他の人が考えた un clima ergativo の方が面白い。

Absurdo はDRAEによれば «Contrario y opuesto a la razón; que no tiene sentido» だが、理屈に合わない、筋が通らないという意味で「意味なし」なのであって、言語学的に意味 (significado) がないということではない。「不条理な」と訳すと俄然カッコ良くなるが、言っていることは同じだ。たとえば perpendicular は «Dicho de una línea o de un plano: Que forma ángulo recto con otra línea o con otro plano» で、日本語では「直交する」だろうか。定義的に desayuno は直交しない。と言うか直交するしないを語ることができない。したがって desayuno perpendicular は指示対象を持たない。そういう組み合わせを考えるのがこの遊びなわけだ。

とは言え、人は意味なく生きることができない動物なので、desayuno perpendicular が持つ意味 (significado) から何とか意味 (sentido) を引き出そうとする。比喩的な解釈と言われるものはその例だ (理論的には、現実世界に対応物がある字義通りの意味から比喩的意味が派生するというのとは違うモデルを考える人も当然いるが、今はその議論には入らない)。詩的表現と言われているものも、これに当てはまる場合が多いだろう。なので、この遊びではあまり比喩的解釈を許さないような形容詞を探すのが手っ取り早いということになる。Perpendicular, polisémico, ergativo のような専門用語は、この部類に入る。

しかし、意味はよっぽど強固に我々の存在を規定しているらしく、どんなに「意味なし」な状況でも想像し言語化することが出来てしまう。本当は日本語で考えてはいけないのだが、たとえば、ある外食チェーンが朝食のメニューとして「直交セット」を売り出す。中身については質問しないでほしい。とにかく直交するのだ。「期間限定」とかつけられると、やはり頼みたくなるので直交セットを注文する。すると「右90度になさいますか、左90度になさいますか」と聞かれるので、「ええっと、じゃ左」にしたりする。好評を博したこのメニューはレギュラー化し、ライバルチェーンは「鉛直バリューモーニングセット」で対抗する。こちらでは縦90度か横90度のどちらかを選ぶことになる。そのうち「朝得270度セット」を出す店が現れるころから原義に対する意識が薄れてきて、ランチタイムの「Q汁どランチ」とか、「直度調整可能 (10度単位)」をうたう店とかが見られるようになる。さらに居酒屋の直放題が広まるころには、「チョクホウのチョクって何ですか?」というような質問とそれに対する答えがネット上を飛び交い、いくつかの語源説が並存することになる。そして「伝統の味『矗香』を守って90年」とか «Chokk and Antarctic Nouvelle Cuisine» みたいな看板を掲げる店があちこちに出没する (つまり出来ては潰れる) ころから能格料理の隆盛に押されて飲食店のメニューから消えてゆき、結局辞書に掲載されることもなく忘れ去られる。

産出された表現は人に意味を強いる。その意味では意味なしも意味の一種だ。

... del humor.