2019年2月7日木曜日

Romancero

池上俊一『情熱でたどるスペイン史』。これは駄目な本だ。タイトルからしてひどいが、それだけではない。まあ一応中身をチェックした上で、つまり読み終えてから少しコメントしようかと考えていたのだが、そんな悠長なことを言ってる場合ではないと思えてきた。なので、まだ読んでいる途中だが、思いついたことを書くことにする。

今回のお題はロマンセーロ。スペイン黄金世紀の話として、著者は「中世にあったガリシア語やポルトガル語の恋愛抒情詩はすたれていき、かわりに「ロマンセーロ (ロマンセ集)」とよばれるジャンルに属する騎士道物語が栄えました (池上 2019: 118)」と言う。今引用してみて、ここまでで「あれっ?」と思わなければいけなかったことに気づいたが、実際に驚いたのは以下のパッセージだ (原文の漢数字はアラビア数字に改めた):

初期ロマンセーロの代表作は『ティラン・ロ・ブラン』(1490年) というカタルーニャ語作品で、今ひとつはカスティーリャ語の『アマディス・デ・ガウラ』(1508年) です。(池上 2019: 119)

えーーーー!!!

池上が挙げている2作は騎士道物語だ (佐竹 2009: 54-55) が、ロマンセーロではない。もちろんロマンセでもない。ロマンセーロとは以下のようなものをいう:

1300年頃、教養あるカスティーリャの人々はガリシア・ポルトガル語で抒情詩を書き、民衆は叙事詩に聞き入っていたが、その100年後にはもはやガリシア・ポルトガル語の抒情詩は時代遅れとなり、カスティーリャ語で詩作をするようになった。こうした流れのなかで新たに民衆の人気を博したのがロマンセである。ここでいう「ロマンセ」とは、俗ラテン語から派生してできたロマンス語のことではなく、一つの詩型をさし、複数のロマンセを集めたものを「ロマンセーロ」と呼ぶ。(佐竹 2009: 46)

『ティラン・ロ・ブラン』と『アマディス・デ・ガウラ』は散文作品なので、詩の一種であるロマンセやそれを集めたロマンセーロと見なせないことは明らかだし、そんなぶっ飛んだことを言うスペイン文学の本は見たことがない。ではなぜ池上はこんな大胆な新説を提案したのだろうか。

ひとつ思い当たるのは、英語の romance が騎士道物語を意味しうること。また、フランス語で騎士道物語は roman de chevalerie と言い、roman は小説のことでもある。そこで、よく確かめもせずに騎士道物語がロマンセの一種だと思い込んでしまったのかもしれない。しかし、スペイン語では romance は佐竹が説明しているものであり、騎士道物語は libro de caballerías とか novela de caballerías とか呼ばれていて romance と取り違えようがない (ちなみに小説は novela)。

いずれにせよ、著者は日本語で書かれたスペイン文学史さえ参照せず、多少スペイン語を勉強した者なら混同しようのない概念を混同しているわけだ。この程度の準備でスペインの通史を書いてしまうのは極めて傲慢な態度だ。スペインもスペインの専門家も随分あなどられたものだ。そして、この本が岩波ジュニア新書の1冊だということが僕の気持ちを暗くする。これから一体何人の若者が『ティラン・ロ・ブラン』をロマンセーロだと信じることになってしまうのか。著者の責任は重い。

なお、佐竹 (2009) は騎士道物語もロマンセも中世の章で扱っている。詳しくは同書を読んでください。

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 佐竹謙一, 2009, 『概説 スペイン文学史』, 研究社.