2019年2月7日木曜日

Cantigas de Santa María

前の記事ではちょっと情熱的になってしまったので、反省している。出来るだけ落ち着いて文章を書いていきたい。

さて、その記事で「1300年頃、教養あるカスティーリャの人々はガリシア・ポルトガル語で抒情詩を書き (佐竹 2009: 46)」という話が出てきたが、アルフォンソ10世 (在位1252-84) の名前とともに思い出されるのが Cantigas de Santa María と呼ばれる作品だ。

文学作品としては、聖母マリアの奇跡を集めた400編以上の詩からなる『聖母マリア賛歌集』が有名である。それはガリシア語で書かれた華麗な図説書で、一部は聖母マリアを崇敬するアルフォンソ10世自身、大部分はガリシアの詩人アイラス・ヌネスの作といわれる。(関 2000: 102)

面白いのは「詩の多くはセヘル (zéjel) というアラビア語の抒情詩に起源を発する詩形で書かれている (寺﨑 2011: 78)」ということで、当時のイベリア半島においてアラビア語詩が持った影響力をうかがわせる。だが、今問題にしたいのは、この賛歌集が何語で書かれているかという点だ。関が指摘する通りだが、寺﨑も当然「王国内のロマンス語の一つ、ガリシア語で書かれて (ibid.)」いることを明記している。

さて、池上俊一の本はどう言っているか。

さらにその名を高めているのが『サンタ・マリア讃歌(さんか)集』いわゆる『カンティガ』で、スペインに広まっていたマリア信仰を背景にした、429編の抒情詩と物語詩からなる大集成です。多くはガリシア詩人のアイラス・ヌネスの作品とされていますが、王自身の作品もあり、豊かな感情表現など、詩人としてのアルフォンソ10世の面目躍如(めんぼくやくじょ)というところです。(池上俊一 2019: 67-68)

どうも、学生のレポートを60以上読んだ後なので、採点モードが抜けず、つい「めんくやくじょ」だろうとか、「崇敬」じゃなくて「信仰」と書いたのは分かってやってるんだよねとか言いたくなってしまうが、そのために引用したのではなかった。言いたかったのは、ガリシア語への言及がないことだ。「ガリシア詩人」という表現に言語のことを含めるのは苦しいだろう。この引用部分の前で、他の文献について「カスティーリャ語で書かれ (池上俊一 2019: 67)」というフレーズを繰り返していることから考えても、この Cantigas がガリシア語で書かれていることを読み取るのは難しい。

僕は、『聖母マリア賛歌集』がガリシア語で書かれたというのは大事な情報だと思うので、これを省いた意図はまるで分からないが、まあ、それが著者の立場なのだろう。「豊かな感情表現など、詩人としてのアルフォンソ10世の面目躍如」と書いているということは、実際に作品を読んだのだろうし、それがガリシア語で書かれていることも分かりつつ豊かな表現を味わったのだろうし、それでもなお言語についての言及をしないというのは何らかの意図があるに違いない。

なお、Cantigas de Santa María が書かれた13世紀の段階では、「それぞれのことばをたがいに独立したポルトガル語とガリシア語と呼んで区別することを可能ならしめるほどの音韻上、文法上の差異がXIV世紀中葉ころまでの文書からは認められない (池上岺夫 1984: 69)」というのが一般的な見解だ。したがって、『聖母マリア賛歌集』がガリシア・ポルトガル語で書かれたと言っても文句は言われないはずだ。

*引用中の漢数字はアラビア数字に改めた。

  • 池上岺夫, 1984, 『ポルトガル語とガリシア語』, 大学書林.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 佐竹謙一, 2009, 『概説 スペイン文学史』, 研究社.
  • 関哲行, 2000, 「キリスト教諸国家の確立」, 立石博高 (編), 『スペイン・ポルトガル史』, 山川出版社, 第1部第1章, 84-113.
  • 寺﨑英樹, 2011, 『スペイン語史』, 大学書林.