2019年2月18日月曜日

Encomendero

『情熱でたどるスペイン史』には単純なミスもある。
中南米のスペインの植民地・副王領では、本国が任命し王権の意をくむコレヒドール (国王代官) が、インディオへの高額の人頭税を徴収するのみか、エンコミエンデロの力を(おか)しながら私服を肥やすことに血道をあげ、またレパルミエント (商品強制分配) 制度を利用して必要もない物品をインディオに売りつけていました。 (池上 2019: 183)

「レパルミエント」は「レパルティミエント (repartimiento)」の単なる誤植だろう。一方「エンコミエンデロ」は「エンコメンデロ (encomendero)」であるべきところだが、4回 (90, 92, 95, 183) も登場しているので、うっかりミスとは考えにくい。

考えられるのは「エンコミエンダ (encomienda)」の -ie- に引きずられたということだ。まずエンコミエンダは
エンコミエンダ、「委託」と訳されるこの制度は、新世界のインディオとスペイン人を結びつける最初の媒体であった。 (高橋・網野 2009: 146)

それに対してエンコメンデロは
インディオは、先スペイン期の民族集団の構造を維持したまま、つまりクラカと彼に従属する世帯が単位となって、制服の功労者に(ゆだ)ねられた。インディオ集団を託された者=エンコメンデロには、彼らから貢納を受け、その労働力を自由に利用する特権が与えられる。 (高橋・網野 2009: 147)

つまり、制度とその制度を担う (と言うのかどうかよく分からないが) 人という密接な関係にあるわけだ。語形からも encomienda と encomendero が同一語根を共有していることは一目瞭然だ。

そこで問題になるのが encomienda の -ie- と encomendero の -e- の違い (カナにした時の「ミエ」と「メ」の違い) だが、スペイン語をかじったことのある人にはおなじみの、あの現象だ。池上 (あるいは編集者) は、知らなかったのかな。

あの現象とは、初級のスペイン語学習者を夢中にさせる、例えば動詞 entender を直説法現在に活用させると entiendo, entiendes, entiende, entendemos, entendéis, entienden になるというあれだ。これを語根母音変化動詞と言ったりする。それに対して規則動詞の comprender は comprendo, comprendes, comprende, comprendemos, comprendéis, comprenden だから、e が ie になるかどうかは動詞ごとに覚えなければいけない。語根母音変化動詞には o と ue が交替するやつもある (contar: cuento, cuentas, cuenta, contamos, contáis, cuentan)。

しかし、語根母音変化動詞で挫折しなかった学習者は、これが動詞の活用形に限られた現象ではないことに気づくことになるだろう。例えば siete 「7」に対する setenta 「70」や nueve 「9」に対する noventa 「90」とかは初級レベルでお目にかかるし、viejo / vejez, invierno / invernadero, independiente / independentista; bueno / bondad とか考えればいろいろ出てくる。そういえば bueno / bonito は意味が分化しているから気づきにくいが、元々はこの仲間だ。

この交替の原因は、ラテン語からカスティーリャ語への母音体系の変化にある。ごく簡単に言えば、ラテン語には母音の長短があり、長い ē / ō はカスティーリャ語で e / o になり、短い「ĕ / ŏ は、強勢がある音節では /ɛ/、/ɔ/ を経て /ie/、/ue/ に二重母音化し、強勢のない音節では /e/、/o/ にな (菊田 2015: 220)」った。さっき挙げた例で、アクセントのあるところで ie, ue になっていて、ないところでは e, o であることを確かめて欲しい。

したがって encomienda / encomendero における ie / e の交替もスペイン語形態論の体系的な事実として考えることができる。接尾辞の -ero は基本的に名詞につくから encomendero は encomienda + -ero と分析でき、母音の交替は特殊な例ではない、というわけだ。だだし、類似の例すべてで交替が起きているわけではない。
La base de derivación es casi siempre nominal, con elisión del segmento final si este es una vocal átona: limonero, jardinero, jornalero, etc.; niñero, plumero, tendero, puestero, etc. El diptongo de la base nominal suele desaparecer, aunque no son raros los ejemplos en los que se mantiene tal cual: tendero, temporero, portero, estercolero, hospedero, dentera, collera, etc., frente a puestero, mueblero, cuentero, liendero/-a, huevero/-a, etc. (Lacuesta & Bustos 1999: 4557)

「二重母音が消える」と書いてあるが、別に tienda + ero が tndero になるわけではなくて、見ての通り対応する短母音が現れるのだ。

Pensado (1999: 4471-4472) は、二重母音が維持されることのある派生の例として、縮小辞 (ciego / cieguecito, cieguito)、-ero (hielo / hielero, mierda / mierdero, movimiento / movimientero, rascacielos / rascacielero)、-oso (miedo / medroso; miedoso)、-ista (izquierda / izquierdista) などを挙げている。つまり、これは -ero に限った話ではない。

なお、母音の交替がない場合について、Lacuesta & Bustos (1999: 4557, fn. 168) は新語で顕著だという観察を紹介している («En opinión de Rainer (1993: 430), “la monoptongación no tiene lugar especialmente en el caso de los neologismos: hielero, mierdero, movimientero, rascacielero, castañuelero, etc.”»)。Rainer が挙げている例は、Mac上でスペルチェックに引っかかる (下線が引かれる) ので、新しいだけでなく、広く定着もしていないのかもしれない (DRAE には載っていない)。エンコミエンダ制が21世紀に出来たものだったら、もしかしたらエンコミエンデロ達が出現していただろうか? Encomienda の傍に語根母音変化動詞 encomendar (encomiendo, encomiendas, encomienda, encomendamos, encomendáis, encomiendan) があるので、交替が起こるような気もするが、分からない。

さて、語根母音変化動詞の話で e/ie, o/ue の交替はラテン語からの変化の過程で起きたと言ったが、e/i の動詞 (例えば pedir: pido, pides, pide, pedimos, pedís, piden) の出番がなかったことに気づいただろうか。そう、この e/i の交替は出自が違うのだ。寺﨑 (2011: 163) などに書いてあるのでチェックして欲しい。

  • Bosque, Ignacio & Demonte, Violeta (dirs.), 1999, Gramática descriptiva de la lengua española, Espasa Calpe.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • 菊田和佳子, 2015, 「語史 (1) 音韻変化」, 高垣敏博ほか (編), 『スペイン語学概論』, くろしお出版, 217-232.
  • Lacuesta, Ramón Santiago & Bustos Gisbert, Eugenio, 1999, «La derivación nominal», Bosque & Demonte, 1999, Vol. III, cap. 69, 4505-4594.
  • Pensado, Carmen, 1999, «Morfología y fonología. Fenómenos morfofonológicos», Bosque & Demonte, 1999, Vol. III, cap. 68, 4423-4504.
  • Rainer, Franz, 1993, Spanische Wortbildungslehre, Niemeyer. (未見)
  • 高橋均・網野徹哉, 2009, 『ラテンアメリカ文明の興亡』, 世界の歴史18, 中公文庫, 中央公論新社.
  • 寺﨑英樹, 2011, 『スペイン語史』, 大学書林.