2019年3月13日水曜日

Ingratos

『情熱でたどるスペイン史』、レコンキスタや海外植民でバスク人が活躍し、バスク地方でカスティーリャ語が普通に使われていたというの直後に次の文章が来る。

これをおもしろくないと思うのはスペイン・ナショナリスト以上に地域ナショナリストでしょう。彼らは知ってか知らずか、言語を根拠に民族のちがいを言いつのり、非カスティーリャ化、反中央集権主義の政治運動を遂行してきました。(池上 2019: 219)

僕は「知ってか知らずか」の意味が良く分からないのだが、地域ナショナリズムへの批判的姿勢が表れていると読んで先に進むことにしよう。上の引用から punto y seguido で次の言明がある。

さらにカタルーニャの織物工業と重化学・機械工業やバスクの造船、製鉄、金属加工、冶金(やきん)などをてこにした経済的繁栄は、もともとその興隆(こうりゅう)を支援してきたスペイン全体の事業のおかげでもあるのに、貧しい地域に流れる自分たちの税金を取りもどしたい民族主義者たちは、それに忘恩で応えています。(ibid.)

これと同じような話はスペインの友人の口から聞いたことがある。広く行われている議論なのだろう。だが、「忘恩」とはまたすごい単語が出てきたものだ。地域ナショナリズム、あるいは民族主義者たちを批判するのは、それなりの根拠があってのことだろうから、全然問題ない。だが、当事者でない、かつ歴史学者である著者が、こんなに感情的にスペイン・ナショナリズムに肩入れしたような表現を使うのはどうしてなんだろう。かなり不思議だ。

一方、次の引用はどうだろうか。

だが国王に対し、インディアス顧問会議は決然と反対する。世襲化は、国王がせっかく手にした新しい空間を、インディオに対して絶対的な権力をもつ封建領主エンコメンデロに独占させることになる。インディオの改宗事業は断絶するばかりか、忘恩の徒たる連中は、王からの独立を図ることになろう。顧問会議は代替の案として、・・・ (高橋・網野 2009: 164)

ここにも「忘恩」が出てきてちょっとドキッとするが、ちゃんと読めば、「世襲化は・・・図ることになろう」の部分は著者の考えではなくてインディアス顧問会議の言い分だということが分かる。「・・・と言った」みたいな引用標識がないので、表現としては上級編かもしれない。初心者は真似しないほうがいいだろう。こういう書き方はスペイン語の文章でも時々お目にかかるので、読むときには注意しよう。

僕は「忘恩」は理解語彙のうちだが自分で使った覚えがない。スペイン語で何と言うのか自信がないので和西辞典で「忘恩」をひくと名詞 ingratitud が出ていて、形容詞は ingrato のようなので、タイトルにはこっちを使った。だが、このスペイン語も自分で使った記憶がなく、ニュアンスもよく分からない。

そこで CORPES XXI で ingrato を検索すると、男女単複合わせて1145例出てきた。だが、大半は「不快な」とか「報われない」とか物事に言及する用法のようで、最初の20例のうち人 (almas を含む) に言及しているのは5例のみだった。そうすると全部で250例ぐらいという予想が可能で、多くないことは確かだ。実例としては «Así están las cosas, hay que dar gracias de que haya trabajo, no hay que ser un ingrato» なんてのがある。ただ、これを「忘恩の徒」と訳せるかどうか分からない。もしかしたら「不平を言っちゃいけない」ぐらいの、人に対する恩義とは違う話なのかもしれない (コーパスで見られる範囲の文脈をを見た限りでは、そんな感じがする)。

というわけで、ingrato が結構多義的であることだけは分かった。

  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • REAL ACADEMIA ESPAÑOLA: Banco de datos (CORPES XXI) [en línea]. Corpus del Español del Siglo XXI (CORPES). ‹http://www.rae.es› [consultado: 2019/03/08]
  • 高橋均・網野徹哉, 2009, 『ラテンアメリカ文明の興亡』, 世界の歴史18, 中公文庫, 中央公論新社.