2022年9月24日土曜日

O rromano kòdo

角悠介, 2022,『ロマニ・コード』, 夜間飛行。
著者は言語学者、ロマニ語の研究が専門で、ルーマニアでロマにロマニ語を教えている。とはいえ言語学的な話はほとんどなく、彼が出会ったロマ達の話が中心だ。それがとにかく面白い。本当に面白い。

中身は各自読んでもらうことにして、本のタイトルにある「ロマニ」はロマニ語のロマニだが、もともと「ロマの」という形容詞の女性単数形だ。つまりここでは「コード (行動規範みたいな意味だろうか?)」にかかる形容詞 (日本語としては「形容詞」とは言わないが) だ。面白いのは、表紙にはロマニ語のタイトルも書いてあって、それが上に掲げた o rromano kòdo で、そう、「ロマニ」ではなくて「ロマノ」になっているのだ。これは同じ形容詞の男性単数形なので kòdo が男性名詞だということが分る (o は定冠詞男性単数形)。じゃあ何故「ロマノ・コード」にしなかったのか?

「ロマニ」は「ロマニ語」という形で言語を指すのに使われていて、それなりに定着している。スペイン語の romaní や英語の Romani (Romany) も同様だ。ロマニ語でロマニ語を意味する rromani ćhib (ćhib は「舌・言語」を意味する女性名詞) から来ているのかも知れないが、良く分らない。いずれにせよ、「ロマノ」より「ロマニ」の方が馴染があるわけだ。ロマニ語では形容詞が性数変化するが、日本語でいちいちそれに対応するわけにもいかない。ということで「ロマニ」で統一するのは理解できる解決方法だ。

さて、やっぱりちょっとだけ中身を紹介すると、伝統的なロマのグループには「ロマニ・クリス (ロマ法廷)」というのがあるのだという (rromani kris で kris は女性名詞ということになる)。詳しいことは読んでもらうことにして、法廷なので証人が出てくる。

証人は証言をする前に「誓い」をするが、この「誓い」は「呪い」にほかならない。もっとも一般的なものは「もし私が嘘をついたら、神が私を打ちのめすように!」といったものである (角 2022: 161)。

これを読んで思い出したのが、トナ・マルティネテの締めで歌われることのある歌詞だ。勿論バリエーションはあるが、例えばこんな感じ: Si no es verdad, / que Dios me mande un castigo, / si me lo quiere mandar (飯野1994: 71).

ただし、この歌詞が「ヒタノ法廷」の名残りを示すものなのかどうかは分らない。Antonio Mairena (1909-1983) の全集では上のを含めて4つ確認できるが、Machado y Álvarez (1881) はトナ・マルティネテ系の歌詞としては拾っておらず、1例だけ4行のソレアに次のものがある (ただし神は出てこない): Jasta el arma m’ha yegao / La rais e tu queré / Si no es berdá lo que digo / Mala puñalá me den (Machado y Álvarez 1881: 89). これは一応標準語に直しておくと: Hasta el alma me ha llegado / La raíz de tu querer. / Si no es verdad lo que digo / Mala puñalada me den. になる。というわけで、Mairena の歌った歌詞の古さを手元の資料で確認することはできなかった。

  • 飯野昭夫, 1994, 『マイレーナ・フラメンコ全歌詞集』, アクースティカ.
  • Machado y Álvarez, Antonio, 1881, Colección de cantes flamencos, edición facsímil, Extramuros, 2007.
  • 角悠介, 2022,『ロマニ・コード』, 夜間飛行.

2021年8月19日木曜日

El día lunes

前の記事で取り上げた medirse a だが、実例を見たのは多分あれが最初ではない。言っていることは分かるので、頭の片隅で引っかかることはあったかもしれないが、そのまま通り過ぎていたんじゃないかと思う。今回この表現を意識したのは、多分 se medirá a Hungría の á-a-u という音の連なりが原因だ。無強勢の a が埋没しがちな環境が、かえって a を意識させることになったのではないかと思う。

意識するしないということで思い出す経験が、今回のタイトルにあるパタン。曜日の言い方は、定冠詞と曜日名の名詞で成り立つ: el lunes で「月曜日に」になるので、前置詞は要らない。というのが教科書に書いてあることで、僕も教室でそういう風に言い続けている。しかし、もう随分前のことだが、アカデミアの文法にこんなことが書いてあるのを見つけたのだ:

En Chile, los países andinos, los del Caribe continental y en algunos de las áreas centroamericana y rioplatense, es frecuente incorporar el sustantivo día a la designación de los días de la semana, formando una estructura apositiva del tipo «artículo + sustantivo + sustantivo», como en el día lunes (RAE & ASALE 2009, §14.8e)

へぇ〜そんなことがあるのか、と思った数日後、非常勤講師で来てもらっているチリ人がこのパタンを使っているのに気がついた (具体的な曜日名は覚えていない)。この人とは大体週1回顔を合わせていたので、それまで el día lunes を聞いていなかったはずはないのだが、このパタンの存在を知らなかったために、意識化されることがなかったのではないかと思う。

さて、それから何年も経っているわけだが、最近『83歳のやさしいスパイ』という映画を観てきた。映画に出ているのは普通のチリ人たちで、彼らの喋りを聞き取るのはやっぱり骨が折れるが、字幕も見えるから一応話は分かった。その中で el día lunes のパタンが聞こえたので (具体的な曜日名は覚えていない)、あ言ってるな、と思ったという次第。

なお、el día lunes が使われるところでは día のないパタンもあるのに対して、スペインでは día がないパタンしか使われない («Esta construcción alterna con la variante no apositiva, en la que no aparece el sustantivo día (el jueves, el martes, etc.) [...] La construcción no apositiva es la única que se usa en el español europeo (RAE & ASALE 2009, §12.13w)»)。また、中世には el día de lunes も存在したが、現在は使われていないという («En la lengua medieval se registra la variante con de, hoy perdida: el día de lunes, el día de martes, etc. (ibid.)»)。

  • RAE & ASALE, 2009, Nueva gramática de la lengua española, Espasa Libros.

2021年8月8日日曜日

Medirse a

スペイン国営放送のラジオニュースをPodcastで聞いていたときのこと。

オリンピックもいよいよ最終日、メダルがもう1つとれるかもしれないという話で «La selección masculina de waterpolo luchará por el bronce. España se medirá a Hungría (Boletín RNE, 2021/08/08, 00:00H)» と言うので、あれっと思った。Medirse を「対戦する」という意味で使うのは知っていたが、前置詞は con だと思っていたので、そっか a でも使うんだ、と思ったわけだ。

ちなみに『西和中辞典』は「《con... ・・・と》競う、張り合う」、『現代スペイン語辞典』と『スペイン語大辞典』は「[+con と] 力を競う、戦う; 雌雄を決する」だ。3つとも例句の訳に「対戦する」を載せている。共起する前置詞については、明示的に con を載せているが、a への言及はない。

María Moliner の DUE の第3版には «(con) *Competir» という語義があり、ここでも示されているのは con だけだ (第4版は未見)。

なので medirse a は比較的新しい言い方なのかも知れないが、ちょっとgoogleってみると:

  • "España se medirá con": 約24,000件
  • "España se medirá a": 約49,400件

という結果。Medirse a が約2倍だが、問題としている構造とは違う例が含まれている可能性もあるし、同じ文章が繰り返し引用されている可能性もあるから、考えるきっかけ程度の数字だ。でも、a が普通に使われている状況だということは想像できる。まあ国営放送のニュースで使うぐらいの表現なわけだけど。

Medir は「測る」がもとの意味だから、medirse con の con は「たけくらべ」の相手を指すのだろう。でも、con だと「対立感」が出にくいと感じるのはネイティブでも同じなのかもしれない。それで a の登場ということになったのだろうかと思う。

そのうち medirse a が辞書に普通に載るようになるか (既に載せているものもあるかもしれない)、あるいは結局採録されずじまいになるか、僕には分からない。辞書編纂者の判断ということになるが、大変な仕事だなと思う。Medirse だけ追っかけていれば良いわけではないし、言語は絶えず変化するから、広く目配りしながら日々地道に観察を続けなければいけない。3日単位で仕事している僕にはとてもじゃないが無理だ。

  • 宮城昇ほか (編), 1999, 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2013-2016, ロゴヴィスタ).
  • Moliner, María, 2007, Diccionario de uso del español, 3.ª edición, Gredos.
  • 高垣敏博 (監修), 2007, 『西和中辞典』第2版, 小学館 (iOS版, 物書堂, 2010, ver. 2.6.3)
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2017-2018, ロゴヴィスタ).

2019年12月10日火曜日

Parecer (2)

前回、『現代スペイン辞典』と『スペイン語大辞典』における parecer のヘンテコな記述について議論した。その後すぐに、そのヘンテコ性の原因は分かったのだが、記事にする時間が取れなかった。ちょっと間があいて間が抜けた感じではあるが、報告しておく。

その原因は María Moliner だ。

Moliner (1981: s. v. parecer) の2番目の語義:
Tener una cosa el mismo aspecto que otra que se expresa, *parecerse a ella: ’Tienen una casa que parece un palacio’. ⦿ Tener una cosa cierta apariencia con la que *engaña haciendo creer que es otra o de otra manera: ’Con los espejos, la tienda parece mucho más grande. Con esa cara parece una santita’. ⦿ («a»). En la frase proverbial ’el que [quien] a los suyos parece honra merece’, «parecer» equivale a «parecerse».
で、明示的に parecerse を使って説明している。これを見て「似ている」という語義をつけてしまったのだろう。例文を見ても、ここを参照しているのは確実だ。

ちなみに * 印は «Indica que le artículo encabezado por la palabra a que afecta contiene un catálogo de palabras afines y relacionadas (Moliner 1981: tomo 1, LV)» で、この場合 parecerse の項目中に関連語彙が集められている。最初の方だけ挙げておくと:
Tener [Darse] un aire, aproximarse, asemejar[se], asimilar[se], evocar, estar hablando –hablar–, igualar, imitar, inclinarse, madrear, darse la mano, oler a, padrear, correr parejas, rayar en, recordar, rozarse, oler a, salir a, semblar, semejar[se], sugerir, tirar a (s. v. parecerse)
という具合だ (oler a が2回出てくるのはご愛敬)。これらの語を見て分かるように、星印は必ずしも同義関係を表すわけではない。しかし、上の parecer に出てくる parecerse は直接の語義説明だし、しかも注意を引く印がついている。まあ、これに引きずられたのだろうな。

なお、第1版には parecer とは別に parecerse という見出しがあり、上の関連語彙はその中にあるが、第2版では parecerse は独立した見出しではなく、parecer の中で再帰動詞の用法が説明されている。だとすると、見出し語ではない parecerse に * はつかないはずだが、第2版でも第3版でも * は取れていない (oler a の重複もそのまま)。

さて、María Moliner の辞書は大変評価の高い優れたものだが、もちろん完璧な辞書は存在しない。ここで parecer の意味を parecerse で説明するのは不適切だ。彼女が parecerse の意味で parecer が使われているとして挙げている諺の例は、むしろこの2つが少なくとも現代のスペイン語では意味が異なることの傍証になる。試しに el que a los suyos parece で検索すると約3,420件、el que a los suyos se parece だと約25,800件で、現代スペイン語としては parecerse を使った方が落ち着くようだ。

というわけで、かつては parecer が「似ている」で使われることがあったにせよ、今のスペイン語の記述としては、特に学習者向けの辞典においては、parecer と parecerse が別物だということが明確に示すべきだ。Moliner に遠慮することはない。と言うか、批判すべきところを批判するのが著者に対する礼儀だろう。

あ、それから前回「ゴリラに似ている」は parecerse で言えそうだと言った。これは特定のゴリラではなくてカテゴリーが対象になっている場合の話で、実際そういう例を見つけたからそう書いたのだが、2人のネイティブに聞いたら、どうも難しいようだ。1人は、自分は絶対そういう言い方はしないと言い、もう1人は「あの人何に似てる?」みたいな質問に対してなら言えるだろうけど普通言わない、と答えてくれた。2人はイベリア半島のスペイン語を喋る人たちで、見つけた例は中南米のスペイン語のようなので、もしかしたら地域差があるかもしれないが、個人差や別の要因が絡んでいるのかもしれない。

というわけで、とりあえず parecerse は特定の個体に似ている場合に限って使うのが無難みたいだ。


  • 宮城昇ほか (編), 1999, 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2013-204, ロゴヴィスタ).
  • Moliner, María, 1981, Diccionario de uso del español, reimpresión, Gredos (primera edición 1966-67).
  • Moliner, María, 1998, Diccionario de uso del español, 2.ª edición, Gredos.
  • Moliner, María, 2007, Diccionario de uso del español, 3.ª edición, Gredos.
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2017-2018, ロゴヴィスタ).

2019年10月27日日曜日

Parecer

授業で「似ている」という日本語をスペイン語にするのに parecerse が使えるという説明をしたら、se のない parecer にも「似ている」という意味があると辞書に載っているがどう違うのか、という質問があった。驚いたのだが、「似ている」は parecerse であって、少なくとも僕の感覚では parecer は「似ている」にはならないと答えた。

あとで『現代スペイン語辞典』を見てみたら、確かに「・・・に似ている」という語義が載っている。迂闊にも見逃していたのだった。だが、この語義説明は良くない。その例文は「似ている」で訳せないものばかりだ。

  1. pareces española con este traje. 君はその服を着るとスペイン人みたいだ。
  2. Tienen una casa que parece un palacio. 彼らは宮殿のような家を持っている。
  3. Procura que parezca un libro. 彼はそれを本に見せかけようとしている

服装のせいでスペイン人みたいに見える人がいるとして、その人をスペイン人に似ているとは言わない。まるで宮殿のような家を宮殿に似ているとは言わない。本のように見える何かを本に似ていると言うことはあるかもしれないが、上の例はそれに当てはまらない。だから、これらの例文の日本語訳に「似ている」は使われていない。語義と例文がまるで呼応していないのだ。なんでこんなヘンテコな記述になっているのか良く分からない。

君がスペイン人みたいに見えるときには、別に特定のスペイン人が想起されているわけではない (española が無冠詞であることにも注意)。それに対して、AがBに似ていると言えるためには、特定のBが存在する必要がある (ただし後述参照)。同じ辞書の parecerse 「[+aに/互いに] 似ている」の例文は以下の通り。

  1. No se parece nada a su madre. 彼女は母親にまったく似ていない。
  2. Vosotros dos os parecéis mucho (en algo). 君たちは瓜二つだ (どこか似ている)

似ている・いない対象が、母親だったり君たちのうちのお互いだったり、確かに存在するわけだ (parecerse mucho は「瓜二つ」と言うほどは似ていないと思うが)。

例文1から3は、実際そうではないもののように見えるということで「まるで・・・のようだ」みたいな語義説明を入れれば良いと思うのだが、「・・・に似ている」としたことによって、例文4と5のような parecerse との違いが前置詞句を要求するかどうかの違いでしかないというような誤解を与える可能性を生み、学習者を混乱させることになる。しかし parecer (1-3) と parecerse (4-5) は意味が異なるのだから、その意味の違いが理解できるような形で語義を与えるべきなのだ。

『現代スペイン語辞典』は学習者に人気のある、広く使われている辞典で、僕も学生に勧める辞書のリストに入れているが、それだけに事態は深刻だ。それをボーッと放置してきた僕らの責任も重い。さらに憂鬱になるのは、この記述を『スペイン語大辞典』が踏襲してしまっていることだ。語義は「・・・に似ている」で、例文も良く似ている。

  1. pareces español con ese bigote. 君がそんな口ひげをしているとスペイン人みたいだ。
  2. No pa-rece (sic) usted en esta foto. この写真はあなたみたいではない。
  3. Tienen una casa que parece un palacio. 彼らは宮殿のような家を持っている。

iOS版の『大辞典』は所々行末じゃない語中にハイフンが入るという特別仕様なのだが、それは措くとして、例文7は写真 (に写っている人) があなたに似ていない、という意味ではない。この写真の中のあなたがあなた自身に見えないということであるはずだ。だから、ここの語義が「そうでないものがそのように見える」なのであれば、相応しい例文とは言えないだろう (編者がこの語義を立てた基準は分からないので見当外れかもしれないが)。

話はずれるが、口ひげのせいでスペイン人に見えるという例文は、ちょっとな。口ひげを生やしたスペイン人なんてあんまりいない、というかほとんどいないという印象を僕は持っているが、どうだろうか。顎ひげ barba のある人はそれより多いと思うが (barba があれば bigote もあるのが普通だろうけれど)、それでもそんなに沢山いるようには思えない。なので、ひげを生やすとスペイン人に見える非スペイン人というのをちょっと想像できないのだ。

さて、AがBに似ていると言えるためには特定のBの存在が必要だと書いたが、そう見えない場合もある。「に似た」で検索してみると、「ハリケーンに似た暴風雨」「統合失調症に似た症状を呈する病気」「結核に似た他の感染症」「キジムシロに似た花」「オーボエに似たベッケルフォーン」「山菜に似た有毒植物」「ゴリラに似た人」などが見つかる。最後の例は、例えば「太郎は上野動物園のナナ (2019年2月20日に死亡が確認された) に似ている」というようなことではなく、つまり特定のゴリラ1個体が問題になっているのではなく、ゴリラというカテゴリー (にまつわるステレオタイプ) が問題になっていると考えられる。他の例も「ハリケーン」などの範疇に属さないけれども同じような特徴を持つと解釈できる。つまり、特定の個体ではなくて特定のカテゴリーが「似」の対象ということになる。この場合、「ゴリラみたいな人」でも言っていることは変わらないような気がするのだが、この辺が、もしかしたら混乱の原因になっているのかもしれない。

ちなみに「ゴリラに似ている」のスペイン語訳は «se parece a un gorila» で良さそうだ。一方 «cuervo que parece un gorila» で検索してもらうと、日本で撮られたという動画を見ることができるが、これはやはり「似ている」ではなくて「ゴリラのように見える」だろう。


  • 宮城昇ほか (編), 1999, 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2013-204, ロゴヴィスタ).
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2017-2018, ロゴヴィスタ).

2019年10月6日日曜日

Poblet

前回、poblet に見られるような -bl- [bbl] について「ッ」を使わなくて良いだろうと書いた。書いた後に、不正確な記述があることに気づいたので、訂正しながら補足したい。

Batlló [bǝʎ'ʎo] と allò [ǝ'ʎɔ] に見られる -tll- [ʎʎ] と -ll- [ʎ] の違いは綴りだけのものではなく、発音の違いを反映している。この発音の違いは、個人的なものとか周りの音によるものではない。音韻的な違いだ。カナ表記で原語の音韻的差異を全て表現しようというのは非現実的 (例えば l と r) だが、この場合は「ッ」の使用で簡単に実現できる。

一方、poblet [pub'blɛt] の [bbl] は、この音環境で自動的に現れる発音で、[bl] との音韻的対立がないので、音声あるいは聴覚印象に合わせて「ポッブレット」と書く必要はなく、「ポブレット」で十分だろう、というのが前回書いたことなのだが、事態はそれほど単純でないということが分かった。

Institut d’Estudis Catalans (2018: §2.3.4) によれば:
En la major part dels parlars orientals i nord-occidentals, la consonant oclusiva dels grups /bl/ i /ɡl/ pot presentar geminació de la consonant oclusiva quan es troben darrere de vocal accentuada en posició final del radical, tant si van seguits d’una marca flexiva (cobla, reblar [bbl]; arreglen, regla [ɡɡl]) com d’una vocal de suport (doble, poble [bbl]; regle, segle [ɡɡl]). Els derivats d’aquests mots i les seves formes flexionades es comporten de la mateixa manera, encara que aquest grup no es trobi immediatament després de l’accent: coblaire, publicar, poblet, doblarem [bbl]; arreglessin, reglament [ɡɡl].
ということで、説明と例が合っていないやつがあるけれども、基本的には /bl/ や /gl/ が語根末にあってアクセントのある母音の後だと長子音化が起き (poble ['pɔbblǝ])、そういう語の変化形や派生語でアクセントが移動しても起こる (poblet [pub'blɛt]) というわけだ。逆に言えば、同じ母音間の -bl-, -gl- であっても、長子音にならない例がある:
No hi ha, en general, geminació ni ensordiment de la consonant oclusiva en altres contextos, això és, en posició pretònica, quan no es tracta de formes derivades dels mots que fan geminació i quan el grup no es troba en el límit del morfema: oblidar, ablació; negligir, aglà. (ibid)

結局、[bbl] や [ggl] の出現は純粋に音環境 (母音間) によって起こるのではなく、形態論的あるいは語彙的な条件が関わっているということだ。この点が前回不正解だったところ。自動的な音声現象ではないので、publicar [pubbli'ka] vs. sublimar [suβli'ma] のような音韻対立ありげなペアを見つけることもできる (ただし、今の音韻論がここに対立を見るかどうか、/pubbl/ vs. /subl/ という音素連続を措定するかどうかは分からない)。

なので「ポッブレット」には音韻的支えがある程度あることになる。さらに、「ポッブレット」は pobulet とか pobret という綴りではないことを示すことができるというメリットもある。

とは言え、この [bbl] と [bl] の違いは綴りに反映されないから、bl を見たら「ッ」を入れろ、というわけにはいかない。入れるかどうかを知るには、どの語が長子音でどの語が短子音かを見極める必要がある。また、長子音化はカタルニャ語圏全体で起こる現象ではない。
Aquests processos no es donen en la part més meridional de l’oriental i del nord-occidental ni en valencià, en què la /b/ i la /ɡ/ es pronuncien com a aproximants ([β] i [ɣ], respectivament). (ibid)

だとすると、ルールとしては -bl-, -gl- には「ッ」を入れないとする方が無難だろう。個人的には、「ポッブレット」という字面はカタルニャ語っぽい気がして好きだけれども。


  • Bruguera i Talleda, Jordi, 1990, Diccionari ortogràfic i de pronúncia, Enciclopèdia Catalana.
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/

2019年10月5日土曜日

Batlló

カタルニャ語の固有名詞をカナ表記するのに「ー」は無くても困らないが、「ッ」はあった方が良いと思う。使える場面はだいたい次の3つだろうか。

  1. 長子音
  2. 母音間の破擦音
  3. 語末の閉鎖音・破擦音

今回は長子音 (重子音) を見てみたい。固有名詞で例が思いつかない場合が多いので、そういうときは普通名詞その他を使って説明することにする。なお、発音表記は、特に断らない限り Bruguera 1990 に従う (ただし、強勢の表記の仕方は変えてある。Bruguera は母音の上にアクセントを書いているが、この記事では音節初頭に ' を置いている。従って、音節境界の解釈が Bruguera と異なっている可能性がある)。ということで、音声表記は東部式、カナは5段式ということになる。

カタルニャ語の長子音は、同じ文字が並んでいて一目瞭然なものと、文字の組み合わせと発音についての知識が必要なものに分かれる。それから、「ッ」で表すのが適当なものとそうでないものという分類もできる。例えば Emma ['ɛmmǝ] の mm は一目瞭然、setmana [sǝm'manǝ] の tm は知識が必要だが、どちらも「ッ」ではなくて「ン」を使うのが無難だ (「エンマ」「センマナ」)。

一目瞭然で「ッ」の出番がありそうなのは vil·la ['billǝ] とかに出てくる l·l [ll] だ。厳密には同じ文字が並んでいるわけではないが ll が [ʎ] を表すので、区別のために点が間に入っている。これは「ビッラ」で良いんじゃなかろうか。

さて、一目瞭然じゃない方は、例えばタイトルに挙げた Batlló がそうだ。Bruguera 1990 に Batlló は項目として拾われていないが、bitllet [biʎ'ʎɛt] に見られるように、tll が [tʎ] ではなくて [ʎʎ] と発音されるということは広く知られている。Institut d’Estudis Catalans (2018: §2.3.7) によれば «El procés [d’assimilació] explica que en posició interior de mot resultin forçades les seqüències d’oclusiva seguida de nasal o lateral amb un lloc d’articulació diferent: atles, atlàntic [ll], ètnic, vietnamita [nn], ritme, setmana [mm], bitllet, butlletí [ʎʎ]» で、必ずそうなるとは言っていないのだが、なるのが自然だと読める。

その知識を使えば Casa Batlló が ['kazǝ βǝʎ'ʎo] になることは見当がつく。なので「カサ・バトリョ」と書かれることもあるあれは「カザ・バッリョ」になる。ちなみに Wikipedia では「カサ・バトリョとはスペイン語 (カスティーリャ語) 発音による[要出典]」となっていて、僕もぜひ出典が知りたいと思う。無理やり t と ll を発音しようとするカスティリャ語話者がいてもおかしくないが、上手くできるかどうか。ちなみに山田ほか (2015) には Batlle y Ordóñez という項目があり、発音は ['baʎe] という短子音表記になっている (カナ書きでは「バッジェ」)。

さて、setmana の [mm] も Batlló の [ʎʎ] も、同化によって長子音が生じる (そして t を発音しない) ことが綴りから分かる。Batlló [bǝʎ'ʎo] 「バッリョ」の長子音と allò [ǝ'ʎɔ] 「アリョ」の短子音の違いも見て分かる。

それに対して -bl-, -gl- が [bbl], [ɡɡl] と発音される現象もよく知られているが、同化による長子音ではない。例えば poblet [pub'blɛt] に見られる [bb] は、短子音との対立がない。なので、これは律儀に「ポッブレット」にしなくても良いのではないか。Monestir de Poblet に対してウェブ上で「ポブレー修道院」という表記が見られて、最後の -t は表記すべきだが、「ポブレット修道院」で十分な気がする。

  • Bruguera i Talleda, Jordi, 1990, Diccionari ortogràfic i de pronúncia, Enciclopèdia Catalana.
  • Institut d’Estudis Catalans, 2018, Gramàtica essencial de la llengua catalana, https://geiec.iec.cat/
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社, iOs版 ver. 1.0.2.