2019年10月27日日曜日

Parecer

授業で「似ている」という日本語をスペイン語にするのに parecerse が使えるという説明をしたら、se のない parecer にも「似ている」という意味があると辞書に載っているがどう違うのか、という質問があった。驚いたのだが、「似ている」は parecerse であって、少なくとも僕の感覚では parecer は「似ている」にはならないと答えた。

あとで『現代スペイン語辞典』を見てみたら、確かに「・・・に似ている」という語義が載っている。迂闊にも見逃していたのだった。だが、この語義説明は良くない。その例文は「似ている」で訳せないものばかりだ。

  1. pareces española con este traje. 君はその服を着るとスペイン人みたいだ。
  2. Tienen una casa que parece un palacio. 彼らは宮殿のような家を持っている。
  3. Procura que parezca un libro. 彼はそれを本に見せかけようとしている

服装のせいでスペイン人みたいに見える人がいるとして、その人をスペイン人に似ているとは言わない。まるで宮殿のような家を宮殿に似ているとは言わない。本のように見える何かを本に似ていると言うことはあるかもしれないが、上の例はそれに当てはまらない。だから、これらの例文の日本語訳に「似ている」は使われていない。語義と例文がまるで呼応していないのだ。なんでこんなヘンテコな記述になっているのか良く分からない。

君がスペイン人みたいに見えるときには、別に特定のスペイン人が想起されているわけではない (española が無冠詞であることにも注意)。それに対して、AがBに似ていると言えるためには、特定のBが存在する必要がある (ただし後述参照)。同じ辞書の parecerse 「[+aに/互いに] 似ている」の例文は以下の通り。

  1. No se parece nada a su madre. 彼女は母親にまったく似ていない。
  2. Vosotros dos os parecéis mucho (en algo). 君たちは瓜二つだ (どこか似ている)

似ている・いない対象が、母親だったり君たちのうちのお互いだったり、確かに存在するわけだ (parecerse mucho は「瓜二つ」と言うほどは似ていないと思うが)。

例文1から3は、実際そうではないもののように見えるということで「まるで・・・のようだ」みたいな語義説明を入れれば良いと思うのだが、「・・・に似ている」としたことによって、例文4と5のような parecerse との違いが前置詞句を要求するかどうかの違いでしかないというような誤解を与える可能性を生み、学習者を混乱させることになる。しかし parecer (1-3) と parecerse (4-5) は意味が異なるのだから、その意味の違いが理解できるような形で語義を与えるべきなのだ。

『現代スペイン語辞典』は学習者に人気のある、広く使われている辞典で、僕も学生に勧める辞書のリストに入れているが、それだけに事態は深刻だ。それをボーッと放置してきた僕らの責任も重い。さらに憂鬱になるのは、この記述を『スペイン語大辞典』が踏襲してしまっていることだ。語義は「・・・に似ている」で、例文も良く似ている。

  1. pareces español con ese bigote. 君がそんな口ひげをしているとスペイン人みたいだ。
  2. No pa-rece (sic) usted en esta foto. この写真はあなたみたいではない。
  3. Tienen una casa que parece un palacio. 彼らは宮殿のような家を持っている。

iOS版の『大辞典』は所々行末じゃない語中にハイフンが入るという特別仕様なのだが、それは措くとして、例文7は写真 (に写っている人) があなたに似ていない、という意味ではない。この写真の中のあなたがあなた自身に見えないということであるはずだ。だから、ここの語義が「そうでないものがそのように見える」なのであれば、相応しい例文とは言えないだろう (編者がこの語義を立てた基準は分からないので見当外れかもしれないが)。

話はずれるが、口ひげのせいでスペイン人に見えるという例文は、ちょっとな。口ひげを生やしたスペイン人なんてあんまりいない、というかほとんどいないという印象を僕は持っているが、どうだろうか。顎ひげ barba のある人はそれより多いと思うが (barba があれば bigote もあるのが普通だろうけれど)、それでもそんなに沢山いるようには思えない。なので、ひげを生やすとスペイン人に見える非スペイン人というのをちょっと想像できないのだ。

さて、AがBに似ていると言えるためには特定のBの存在が必要だと書いたが、そう見えない場合もある。「に似た」で検索してみると、「ハリケーンに似た暴風雨」「統合失調症に似た症状を呈する病気」「結核に似た他の感染症」「キジムシロに似た花」「オーボエに似たベッケルフォーン」「山菜に似た有毒植物」「ゴリラに似た人」などが見つかる。最後の例は、例えば「太郎は上野動物園のナナ (2019年2月20日に死亡が確認された) に似ている」というようなことではなく、つまり特定のゴリラ1個体が問題になっているのではなく、ゴリラというカテゴリー (にまつわるステレオタイプ) が問題になっていると考えられる。他の例も「ハリケーン」などの範疇に属さないけれども同じような特徴を持つと解釈できる。つまり、特定の個体ではなくて特定のカテゴリーが「似」の対象ということになる。この場合、「ゴリラみたいな人」でも言っていることは変わらないような気がするのだが、この辺が、もしかしたら混乱の原因になっているのかもしれない。

ちなみに「ゴリラに似ている」のスペイン語訳は «se parece a un gorila» で良さそうだ。一方 «cuervo que parece un gorila» で検索してもらうと、日本で撮られたという動画を見ることができるが、これはやはり「似ている」ではなくて「ゴリラのように見える」だろう。


  • 宮城昇ほか (編), 1999, 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2013-204, ロゴヴィスタ).
  • 山田善郎ほか (監修), 2015, 『スペイン語大辞典』, 白水社 (iOS版, LogoVista 電子辞典 2017-2018, ロゴヴィスタ).