2021年8月19日木曜日

El día lunes

前の記事で取り上げた medirse a だが、実例を見たのは多分あれが最初ではない。言っていることは分かるので、頭の片隅で引っかかることはあったかもしれないが、そのまま通り過ぎていたんじゃないかと思う。今回この表現を意識したのは、多分 se medirá a Hungría の á-a-u という音の連なりが原因だ。無強勢の a が埋没しがちな環境が、かえって a を意識させることになったのではないかと思う。

意識するしないということで思い出す経験が、今回のタイトルにあるパタン。曜日の言い方は、定冠詞と曜日名の名詞で成り立つ: el lunes で「月曜日に」になるので、前置詞は要らない。というのが教科書に書いてあることで、僕も教室でそういう風に言い続けている。しかし、もう随分前のことだが、アカデミアの文法にこんなことが書いてあるのを見つけたのだ:

En Chile, los países andinos, los del Caribe continental y en algunos de las áreas centroamericana y rioplatense, es frecuente incorporar el sustantivo día a la designación de los días de la semana, formando una estructura apositiva del tipo «artículo + sustantivo + sustantivo», como en el día lunes (RAE & ASALE 2009, §14.8e)

へぇ〜そんなことがあるのか、と思った数日後、非常勤講師で来てもらっているチリ人がこのパタンを使っているのに気がついた (具体的な曜日名は覚えていない)。この人とは大体週1回顔を合わせていたので、それまで el día lunes を聞いていなかったはずはないのだが、このパタンの存在を知らなかったために、意識化されることがなかったのではないかと思う。

さて、それから何年も経っているわけだが、最近『83歳のやさしいスパイ』という映画を観てきた。映画に出ているのは普通のチリ人たちで、彼らの喋りを聞き取るのはやっぱり骨が折れるが、字幕も見えるから一応話は分かった。その中で el día lunes のパタンが聞こえたので (具体的な曜日名は覚えていない)、あ言ってるな、と思ったという次第。

なお、el día lunes が使われるところでは día のないパタンもあるのに対して、スペインでは día がないパタンしか使われない («Esta construcción alterna con la variante no apositiva, en la que no aparece el sustantivo día (el jueves, el martes, etc.) [...] La construcción no apositiva es la única que se usa en el español europeo (RAE & ASALE 2009, §12.13w)»)。また、中世には el día de lunes も存在したが、現在は使われていないという («En la lengua medieval se registra la variante con de, hoy perdida: el día de lunes, el día de martes, etc. (ibid.)»)。

  • RAE & ASALE, 2009, Nueva gramática de la lengua española, Espasa Libros.