2013年3月4日月曜日

役割語


外国語教育学会のシンポジウムに出てきた (2013年3月2日、東京外国語大学)。それぞれの報告がそれぞれ興味深かったが、日本語教育についての報告でキーワードとして使われていたのが「役割語」。詳しくは、この用語の提唱者である金水敏さんの文章にゆずることにするが、一応定義を抜き出してみると「ある話し方を聞くと、それを話している人の人物像が頭に思い浮かべられるとき、あるいは、ある人物像を示されると、その人が話しそうな話し方が思い浮かべられるとき、その話し方のことを「役割語」と呼ぶ」ということだ。ひとつだけ例を引用すると、「おお、そうじゃ、わしが知っておるんじゃ」から老人を思い浮かべるといった具合だ。

報告では、日本語学習の動機としてアニメやマンガが多い現状で、この手のメディアに登場する役割語を日本語の規範という観点からどう扱うかという議論が展開し、もちろんそれ自体は興味深かったのだが、聞きながら僕が思い出したのはスペイン語における役割語だ。日本のマンガ・アニメほどはっきりしたものがあるかどうかはともかく、どの言語にも「それを話している人の人物像が頭にうかぶ」ような言語的特徴はあるに違いない。スペイン語における役割語についての研究も既にあるようだ。僕が思い出したのは El laberinto del Fauno (邦題「パンズ・ラビリンス」) の Fauno で、彼は主人公の女の子をお姫様として遇していて、彼女に対して vos を使っている。厳密に言えば上の定義に当てはまる役割語とは言えないかもしれないが、現代人が普通の状況では使うことのないこの vos は、時代がかった物語世界や身分社会を想起させるのだろう。ところが、僕が持っている日本盤DVDの日本語字幕は、この特徴をうまく反映していないと思った記憶がある。

ところで、この vos はまだ生きている。たとえば、去年スペイン滞在中に気づいたのだが、スペイン国会の上院で、議員が本会議で (おそらく最初の仕事として) 憲法を遵守するという宣誓をするにあたり、議長が «¿juráis o prometéis acatar la Constitución?» という質問をし、それに対して «Sí, juro» あるいは «Sí, prometo» と答えるという儀式がある。ここの juráis や prometéis は vosotros ではなくて vos に対応する活用形だ。もちろん自然な発話ではなくて定型文を繰り返しているだけなわけだが、特定の状況で特定の機能を果たしているのだから、現代語のレパートリーに含まれると言ってよい。