2022年12月9日金曜日

Tilititlán

いや、アステカ文明の話ではなくて、日本語話者のスペイン語発音の話。

日本に来たフラメンコ達への聞き書きを中心に構成した本 (López Canales 2020) を読んだ。かなり面白かった。この本の全体的なトーンとしては、フラメンコ達の発言も、著者の態度も、日本や日本のフラメンコに対するリスペクトが基調をなしているが、ところどころ、否定的な観察や辛辣なコメントが出てくる。例えば、あるカンタオルによる次の発言。これなんか、日本人が読むことを想定せずに言った (書いた) んだろうな (誰の発言か知りたい人はオリジナルを読んでね):

Eso es lo único que no pueden hacer: cantar. Ni lo han hecho ni lo van a hacer en la vida. Yo les digo a ellos que en España no vale solo con ser español, que no canta todo el mundo. Y ellos se escuchan un disco y ya quieren cantar... ¡Pero les suena la voz a perro! Los que se dedican a ello saben cantar a compás, pero con esa misma voz de perro. Sabor, ninguno. ¿Qué sabor puede tener un japonés cantando flamenco? ¡Lo primero es saber el idioma! ¿Qué es eso de decir tilititlán, tlan, tlan? (López Canales 2020: 181)

日本人にカンテが歌える日が絶対に来ないかどうかは措いておいて (著者は «Pero el cante flamenco era la frontera imposible de cruzar. O la última frontera (ibid.)» と言って、このカンタオルの意見を相対化している)、歌うためにはまずスペイン語を、というのはその通りだ。と言うか当たり前すぎて、こんな事を言われるようじゃ恥ずかしいよな、と思うのだが、まあ現実は tilititlán からすごく遠いわけではない。

僕は、アマチュアが仲間内で楽しんで歌うだけなら堅いこと言う必要はないと思っている。特に年齢の進んだ人に対して、文法や発音の勉強を強いるのは意味がない。中にはスペイン語がまったく喋れないのに感動的な歌を歌う人もいる。そういう人が歌うことを楽しめる環境を壊してはいけないと思う。もちろん、みんながスペイン語をきちんと身につける努力をするのであればその方が良い。そして学習意欲のある人をサポートする必要はあって、歌詞の解釈を巡る質問や発音指導の希望には、できる範囲で応えたいと思っているところだ。

でも、人前で歌いたい、プロになりたいという場合は話が別だ。たとえば日本フラメンコ協会がやっている「新人公演」のカンテ部門の出場者たちのスペイン語レベルは高いとは言えなくて、審査委員をやった時の講評に l と r の区別に気をつけましょうと書いたことがある。もちろん、スペイン語力というのは全体的な運用力が問題で、歌詞を理解するための読解力は結構なレベルが必要なのだ (そして読解の結果は歌の表現に出るはずだ) が、聴く者に直接見えるのは発音なので、発音の習得にはしっかり取り組んでほしいと思う。

とは言え、アマもプロ志望も、発音が出来るようになりたいと思っていない人はごく少数だろう。問題は、その方法が分からないということなのかもしれない。あるいは、最近僕が「認知の地平」という用語で認識している問題があるのかもしれない。具体的な例で言うと、スペイン語には l と r の区別があると知っていて、本人は tirititrán と言っているつもりだが実際の音声は tilititlán になっているような場合だ。つまり、その学習者の認識では r なのだが、実は l で発音していることに気づいていない。実は、まあ秘密でもなんでもないので言うけれど、こういう例は学習者だけでなく、教えている人の中にも見られる。そう、自分が r を発音すべきところで l と言っていることに気づいていない先生が存在するのだ。

したがって、これは日本におけるスペイン語教育業界が抱える問題であって、フラメンコを歌いたい人だけが批判される筋合いのものではないのだ。僕も30年以上教壇に立っているが、正直、学習者が l/r の区別を習得することを含めて発音教育全体を諦めているところがある。その責任は免れないと思っているが、やはり学習者が自分の認知の地平を超え出て新たな地平を獲得するのは、発音面でも文法面でも簡単なことではない。

しかし言い訳ばかりしていてもしょうがない。Tilititlán の問題点を少し考えてみよう。さっきも言ったように、学習者は l と r の区別があるということは知っていても、それぞれをどのように発音すれば良いのか分かっていないという事態が存在する。その原因の1つとして考えられるのが、日本語のラ行音が、実は [l] で実現されることが多いということだ。日本語のローマ字表記ではラ行は r で書かれるので、ラリルレロと言えば r になる (そして l を発音するためには何か特別なことをしなければいけない) と思っている学習者は少なくないだろう。ところが、残念ながらそうではなくて、意識して習得しなければいけないのはむしろ r [ɾ] の方だったりするわけだ (注意すべきなのは、これは人によって異なるということ。R の方は苦もなく出せるが l はからっきしという人もいるはずだ)。僕の印象では、-era で終わる単語が -ela になる人が目立つが、もちろん他の環境でも tilititlán は起こり得る。

では、この意識して習得すべきスペイン語の r [ɾ] はどういう音か。寺﨑 (2017: 60) は「調音する際は、舌尖が急速に持ち上がって上の歯茎を1回だけ軽くはじくように当たる」と言っているが、これで分かるだろうか。僕は、この説明は記述的には妥当かもしれないが発音習得にとっては問題があると思う。それは、学習者が舌先を「急速に持ち上」げようと意識してしまうと、むしろ [l] になる危険があると思うからだ。一方、上田 (2011: 24) の「[l] の発音では舌先を上の歯茎にしっかりとつけて、舌の両側から息を通して「ルー」と発音します。[r] は舌先を軽く上の歯茎にぶつけて一瞬の間に「る」と言います。実験音声学の資料によれば、[l] の調音の長さの平均は100分の6秒であり、[r] の調音の長さの平均は100分の2秒です (上田は [ɾ] を [r] と表記している)」は役に立つ情報を多く含むが、「上の歯茎にぶつけ」るという意図的な動作が [l] を招来しないかちょっと心配だ。「一瞬の間に「る」と言う」のも難しいだろう。

それに対して、原 (1979: 32) の「舌先を上の歯茎に接近させておいて呼気の勢いを利用して舌先で歯茎を1回はじく」という説明は、舌を意図的に上に向けて動かす動きを避けている点で優れていると思う。とは言え、これでピンとくる人がどれだけいるかという問題は残る。思うに [ɾ] で大事なのは舌の上への動きではなくて舌が弾かれて歯茎から離れる感覚なのだが、これを言葉で伝えるのは難しい。

別のアプローチをしているのが福嶌&ロメロ (2021: 22) だ。彼らは「舌先で上の前歯の歯茎を軽く弾いて出す。日本語の「からだ」「ころころ」のラ行音は [ɾ] に近い単音で発音されることが多い」と言うのだが、日本語話者が日本語で [ɾ] を発音することがあり、それが多数派である環境があるということを利用した説明だ。確かに、「からだ」や「ころころ」はナチュラルスピードで発音すれば [ɾ] に近い音になる人が多いだろう (ゆっくり発音すると [l] になる確率が高まる)。問題は、自分の「からだ」が [ɾ] なのかどうか、それをどうやって確かめるのかということだ。つまり、これは聞いて区別のつく人に教えてもらうしかない。僕は昔 [ɾ] に対しては「アレッ?」を、[l] に対しては「アッラ、マア」を推奨したことがあるが、これも自分で確かめられない人にとっては役に立たない情報だ。結局、音声学の素養がある人やセンスのある人は別として、独学は限りなく難しいということになる。

なお、López Canales は «Ore, ore» のような tilititlán とは逆の現象も拾っている。日本語話者は [l] や [ɾ] が発音できないわけではない。これらを区別して適切に使い分けるのが難しいのだ。

やれやれ。

  • 福嶌教隆 & フアン・ロメロ・ディアス, 2021, 『詳説スペイン語文法』, 白水社.
  • 原誠, 1979, 『スペイン語入門』, 岩波書店.
  • López Canales, David, 2020, Un tablao en otro mundo. La asombrosa historia de cómo el flamenco conquistó Japón, Alianza Editorial.
  • 寺﨑英樹, 2017, 『発音・文字』, スペイン語文法シリーズ2, 大学書林.
  • 上田博人, 2011, 『スペイン語文法ハンドブック』, 研究社.