2022年12月12日月曜日

Whisky

発音の話の続き。

こないだカンテを歌う人と発音の話をしているとき、母音 i と e について訊かれた。「i って唇を横に張るんですよね」みたいな質問だ。その人は実際に i を発音してくれたのだが、僕は「あ、それは駄目です」と答えたのだった。何故か。

原 (1979: 5) は「e と同じく、やはり両唇を左右に広げかつ充分緊張させて、「イー」と発音する」とか「前方母音 i については、上下の唇を少し左右に引くようにして発音するようにしてほしい (10)」とか述べている。寺﨑 (2017: 25) は「唇の両端は後ろに引かれるように横に広がり」と言う。福嶌&ロメロ (2021: 18) は「日本語の「イ」よりもやや口を横に開いた [i] の音」と書いている。上田 (2011: 8) は「[i] は口を横に開いてはっきりと「イ」と発音します」としている。正直なところ、僕には「口を横に開」くという表現がピンと来ないのだが、まあ記述的には妥当な説明と言えるのだろう、たぶん。

しかし、僕に自分なりの i を発音してみせてくれた人は、頑張りに頑張ってうーんと唇を横に引いたであろう結果、歯を食い縛ったようになり、口角がむしろ下り気味で、への字と言ってよい口の形状を呈していたのだった。しかも、頑張り具合が音に妙な緊張感を与えている。みなさんも、唇を横 (水平) に引いてみてください。きっとそうなるから。

この問題はわりと簡単に解決できると思う。上に引用したような記述を無視すればよいのだ。そのかわり「ニッコリ」する。そう、写真を撮るときの cheese は [iː] が欲しいから言うのであり、スペイン語圏で whisky と言うことがあるのも [i] があるからだ。理由はもちろん、これらの音の音響音声学的特性が撮影の光学的条件に良い影響を与えるからではなく、これを言えば「ニッコリ」の口の形が得られるからだ。であれば、「ニッコリ」が [i] の調音の助けになるというのは理に適った考え方だろう。

なお、e についても似たり寄ったりの記述と誤解があるので、僕はこの人に対して「i と e はニコッと」発音するようにアドバイスした (今考えると「ニコッ」よりも「ニッコリ」の方が良いと思うので、上の記述はそれに合わせた)。

ここから言えることは、音声学的記述を写したような一見妥当な説明が、学習者の役に立つどころか害になる可能性があるということ。学術的な文書であればプロ同士で話が通じればよいのでそれだけのことだが、学習者向けに物を書く人にはこのことを十分意識してもらいたいと思うのだ。

と言うか、口をへの字に歪めながら発音指導とかしないでね。

  • 福嶌教隆 & フアン・ロメロ・ディアス, 2021, 『詳説スペイン語文法』, 白水社.
  • 原誠, 1979, 『スペイン語入門』, 岩波書店.
  • 寺﨑英樹, 2017, 『発音・文字』, スペイン語文法シリーズ2, 大学書林.
  • 上田博人, 2011, 『スペイン語文法ハンドブック』, 研究社.