2013年12月27日金曜日

Calcetín


年末締め切りの原稿が全然進まず、こんなものを書いている場合ではないのだが、書かなくても進まないことは同じなので、書く。

ある人から聞いた話。その人が良く知る日本人が、あるとき Quítese los calcetines. と言うべきところで Quítese los calzoncillos. と言ってしまった。もちろん大笑いで話は終わり、心配するような事態にはならなかったそうだが、それを聞いたスペイン語話者は、最初、その場の状況に合わせてなんとか合理的な解釈を見つけようとしたらしい。

Calcetines を calzoncillos と言ってしまう気持ち (というのも変だが)、僕はよく分かる。逆、つまり calzoncillos と言うべきときに calcetines と言ってしまうのより、よく分かる。自分自身、今でもつい calzoncillos と言ってしまいそうな気がする (calcetines と言ってしまいそうな気はあまりしない)。なぜだろうか。音だろうか。そんな気もする。実際 calzo- の方が calce- よりも発音し易いのではなかろうか。もうひとつ、もしかしてより大きな要因は、我々が認知する世界における卓越度ではないか。つまり calzoncillo の方が calcetín よりも目立つ。我々が関心を引かれる度合いが高い。我々の世界においてより重要である。てなことかもしれない。

あるいは、calzoncillos を calcetines と言い間違ってもたいして面白くないので、その逆ほど注意を引かないだけの話なのかもしれない。なので、実際にはどちらの方向の間違いも同じ頻度で起こっているのかもしれない。しかし、だとしたら、誤りの原因として卓越度を考えることはできないが、誤りの卓越度について語ることはできるだろう。

いずれにせよ、学習者としてはあまり気にしない方がよい。Calzoncillos と言わないように注意しなきゃなんて自分に言い聞かせていると、むしろそのように言ってしまったりするからね。