2013年6月1日土曜日

Sé absurdo, pero con sentido...


スペイン人同僚たちと一緒にこういう遊びをやった。名詞が一つ与えられたら、それに形容詞をつけて absurda なフレーズを作る。たとえば un desayuno に「合う」形容詞を考える。僕が考えたもので及第点をもらったのは un desayuno perpendicular だが、解釈できるようなものになってはいけないので、かなり難しい。もちろん、大部分の名詞は perpendicular をつければOKになってしまうが、遊びでやっているのだから、それで通すわけにはいかない。できるだけ意外で面白いのを探す必要がある。もうひとつ un clima polisémico というのを考えてOKが出たが、他の人が考えた un clima ergativo の方が面白い。

Absurdo はDRAEによれば «Contrario y opuesto a la razón; que no tiene sentido» だが、理屈に合わない、筋が通らないという意味で「意味なし」なのであって、言語学的に意味 (significado) がないということではない。「不条理な」と訳すと俄然カッコ良くなるが、言っていることは同じだ。たとえば perpendicular は «Dicho de una línea o de un plano: Que forma ángulo recto con otra línea o con otro plano» で、日本語では「直交する」だろうか。定義的に desayuno は直交しない。と言うか直交するしないを語ることができない。したがって desayuno perpendicular は指示対象を持たない。そういう組み合わせを考えるのがこの遊びなわけだ。

とは言え、人は意味なく生きることができない動物なので、desayuno perpendicular が持つ意味 (significado) から何とか意味 (sentido) を引き出そうとする。比喩的な解釈と言われるものはその例だ (理論的には、現実世界に対応物がある字義通りの意味から比喩的意味が派生するというのとは違うモデルを考える人も当然いるが、今はその議論には入らない)。詩的表現と言われているものも、これに当てはまる場合が多いだろう。なので、この遊びではあまり比喩的解釈を許さないような形容詞を探すのが手っ取り早いということになる。Perpendicular, polisémico, ergativo のような専門用語は、この部類に入る。

しかし、意味はよっぽど強固に我々の存在を規定しているらしく、どんなに「意味なし」な状況でも想像し言語化することが出来てしまう。本当は日本語で考えてはいけないのだが、たとえば、ある外食チェーンが朝食のメニューとして「直交セット」を売り出す。中身については質問しないでほしい。とにかく直交するのだ。「期間限定」とかつけられると、やはり頼みたくなるので直交セットを注文する。すると「右90度になさいますか、左90度になさいますか」と聞かれるので、「ええっと、じゃ左」にしたりする。好評を博したこのメニューはレギュラー化し、ライバルチェーンは「鉛直バリューモーニングセット」で対抗する。こちらでは縦90度か横90度のどちらかを選ぶことになる。そのうち「朝得270度セット」を出す店が現れるころから原義に対する意識が薄れてきて、ランチタイムの「Q汁どランチ」とか、「直度調整可能 (10度単位)」をうたう店とかが見られるようになる。さらに居酒屋の直放題が広まるころには、「チョクホウのチョクって何ですか?」というような質問とそれに対する答えがネット上を飛び交い、いくつかの語源説が並存することになる。そして「伝統の味『矗香』を守って90年」とか «Chokk and Antarctic Nouvelle Cuisine» みたいな看板を掲げる店があちこちに出没する (つまり出来ては潰れる) ころから能格料理の隆盛に押されて飲食店のメニューから消えてゆき、結局辞書に掲載されることもなく忘れ去られる。

産出された表現は人に意味を強いる。その意味では意味なしも意味の一種だ。

... del humor.