2025年2月8日土曜日

Dineros

Joselero de Morón が、ブレリア («Nació de gitano rico», A Diego el del Gastor, en Morón 所収) の締めで dineros と歌っていると教えてもらった。こんな感じだ。

Ay que te quiero,
te quiero te quiero,
sin interés de ningunos dineros.

カンテでは複数形の -s が聞こえないことも多いが、この例では ningunos があるので間違いない。つまり、単数形ならば ningún dinero になるはずで、音としては ninguno dinero としか聞こえないとしても、これは ningunos dineros だと解釈できるわけだ。

え、dinero って複数形になるの?、と思った人も少くないだろうと思うが、現物があることだし、まあ、なるわけだ。問題はそのなり方だが、今回確認してみてちょっと意外なことがあったので少し報告したい。

僕は dineros と聞くと Antonio Muñoz Molina の Plenilunio を思い出す。その中に dineros が出てくるのだが、分厚い本なので探し出すのは容易ではない。大分前に読んだ小説で、内容もほとんど覚えていない。そう、dineros が出てきたこと以外は。

こういう時はとりあえず検索してみるのが常道。で、なんとこの作品の中身を検索できるサイトが存在した。僕の欲しかった例もすぐに見つかった。

Dice wáter siempre, nunca cuarto de baño, los dineros en vez del dinero, y los huesos de la boca en vez de los dientes, y dice hacer de cuerpo y regoldar y paéres en vez de paredes, qué bestia, parece que se hubiera criado en un cortijo, en una cueva de la sierra. (183)
(https://archive.org/details/plenilunio0000muno)

これは、ある登場人物 (A) の視点で別の登場人物 (B) を語っている場面。Bは年配の男性で、僕のおぼろげな記憶ではAの父親か何かなのだが、AはBを嫌悪している。入れ歯をその辺に置くとかガス代をけちるとかの記述に続いて、言葉遣いのダサさをあげつらう場面だ。歯のことを「口の骨」と言うというのはちょっとびっくりだが、hacer de cuerpo は defecar のこと、regoldar は eructar のことで、この2つは DLE に載っている。一方 paeres (アクセントは要らない) はカンテではお馴染みの形だ。

こういう文脈で dineros を見たので、僕は dineros が社会言語学的にそのように価値付けられた形だとずっと思っていた。今回それを確認しようと思って DPD を見たのだが、非推奨に関する記述どころか dinero という見出し自体がなかった。そこでもう少し検索してみると、RAE がこんなことを言っていることが分ったのだ。

Dudas rápidas
¿Es válido usar «dineros» en plural?
Aunque dinero, como sustantivo no contable, se usa normalmente solo en singular, puede usarse en plural con fines expresivos; por ejemplo, en Hizo sus buenos dineros en ese negocio.
(https://www.rae.es/duda-linguistica/es-valido-usar-dineros-en-plural)

表現上の意図 (fines expresivos) があると複数形になり得るということで、どういう表現上の効果があるのかは書いてないのだが、少なくとも非推奨形と言っていないことは確かだ。

この記事は NGLE の §12.2f を引き合いに出しているので、そっちも見てみる。

se emplea dinero en el español general con plural estilístico, como en Otra modalidad es el financiamiento con dineros del Ministerio (Vasco, Estado), pero su uso como nombre contable (dos dineros, tres dineros) es raro fuera de la lengua medieval: […] peche diez sueldos y tres dineros (Sánchez Valladolid, Crónica). (RAE & ASALE 2009: §12.2f)

一般的なスペイン語で文体的複数形が使われるということだが、どんな文体的効果があるのかは分らない。いずれにせよ、まあ普通のスペイン語のうちという話だ。僕の認識は、そういう意味では偏ったものだったということになる。

あと大事なのは、この場合、複数形ではあるけれど複数性はない、つまり数えていないということだ。可算名詞としての dinero は中世を除けば稀と言っているのはそういうことだ。数える名詞につく ninguno が単数形 (ningún libro) なのに対し、我々の例が複数形 (ningunos dineros) になっているのは、むしろこの形の不可算性を表しているとも言える。

もともと dinero の語源であるラテン語の dēnārius は「10」に関わる意味を持つ形容詞で、硬貨の名前でもあった。そこから「お金」の意味でも使われていたようだ。中世スペインでも dinero という名前の硬貨があったようだ。当然硬貨は数えられる。こういう事情と、「お金」という不可算の概念が絡み合って今に至るということなのだろう。

なお、NGLE は ropa/ropas も同じ箇所で説明している。Ninguno との関係では、No tengo ningunas ganas. における複数形も同様に考えることができる。というわけで、数えない複数形、不可算複数形というワクワクの止らない世界にようこそ。

まあ、教える立場からすると面倒が増えるだけだけど。

  • Real Academia Española & Asociación de Academias de la Lengua Española, 2009. Nueva gramática de la lengua española. https://www.rae.es/gramática/

2025年1月8日水曜日

¿Creer de ...?

ある同業者から聞いた話。彼が担当する授業で、学生が『西和中辞典』の以下の記述をベースに和文西訳をしてきたので面喰ったという。

  • ((de + 人 que + 直説法 〈人〉を・・・であると)) みなす。
    (1) Creo de Juan que es muy aplicado. 私はフアンをとても勤勉だと思っています。
    (高垣ほか 2007: s. v. creer)

例によって、辞書にはない例文番号を振っておいたが、うーん、見れば言っていることは分るが、僕には思いつかない言い回しだし、別に学生に書いて欲しいパタンではない。上の語義は5番目 (他動詞として最後) のもので、その学生はちゃんと辞書を読んだわけなので褒めるとして、もっと初歩的な、たとえば Creo que Juan es muy aplicado. がサラッと出てくるように指導したいところだ。

その指導方法は追い追い考えることにして、今関心を引くのは、この (僕にとっては) 見慣れない構文が辞書の語義として採用されていることだ。まず実例が欲しいので RAE のコーパス (CORPES XXI) で、以下の条件で検索してみる。

  • Lema: creer
  • Forma: de (distancia 1, derecha)
  • Forma: que (intervalo 5, derecha)

結果は269例。しかし『中辞典』が説明しているパタンのものは無かった。やはり頻度は低そうだ。

そこでパタンを分解して «de + 人» だけに注目 (que の機能は無視) すると、6例が当てはまった。

  • (2) Si cree de mí lo que dice, no puede quererme.
  • (3) Qué más da lo que crean de ti,
  • (4) ¿Qué te has llegado a creer de mí?
  • (5) ¿qué crees ahora ya / a los veintiocho creo / de la gente que viene ahora de diecisiete / de quince?
  • (6) Es curioso cómo muchas mujeres admiramos a nuestro marido según su comportamiento, creemos de él cosas que no se ajustan a la realidad, idealizamos una imagen que no es verdadera.
  • (7) Nuestro humanismo será una conquista heroica pues deberá partir de menoscero. De lo que Europa hizo y nos llevó a creer de nosotros. Que éramos bárbaros, seres ajenos a la cultura.

なお (5) は creo de la gente と読むのではなくて qué crees ... de la gente で、gente の後の que は関係代名詞。

従って、creer の直接目的語になるのは:

  • lo que ...: (2, 3, 7)
  • qué: (4, 5)
  • cosas que... (6)

だ。(7) については、文法的には Europa の直前にある lo que が直接目的語だが、その内容が次の文 Que éramos... で説明されている。なので、『中辞典』のパタンに一番近いとは言える。

結局、これは『中辞典』が示しているよりも一般的な

  • creer de A B (A について B と思う・信じる)

というパタンで、直接目的語の B の部分がたまたま名詞節なのが (1) の Juan の例だということなのではないか。だとすると、直訳は「私はフアンについて彼はとても勤勉だと思う」になり、別に語義として立てる必要もなくなるのではないか。(4) が再帰の creerse になっているのも、creer の普通の使い方「思う」が再帰の「思い込む」になっただけだと考えれば、特別な説明は要らなくなる。さらに、(6) の訳は「思う」より「信じる」が良さそうで、「思う」と「信じる」を別の語義だとすれば、この de A は creer(se) の特定の語義に限らず、と言うか、creer(se) に限らず見られる「について」であるに過ぎないのではないだろうか。

さて、他の辞書はどうか。

  • [判断] ・・・だと思う:
    ...
    iv) [+ de]
    (8) De ellos ella cree cualquier barbaridad.
    彼女は彼らならどんな無茶でもやりかねないと思っている
    (宮城ほか 1999: s. v. creer)

パッと見、訳としては「彼らについて彼女はどんな出鱈目なこと (を聞いて) も信じる」ぐらいが適切かなと思うが、文脈が分らないので何とも言えない。僕の学習者とてしての勘が正しければ、(8) は (6) と同じパタンだが、辞書の訳が適切なのだとしたら、何を根拠に「やりかねない」を補ったのかは僕の理解を超える。

『中辞典』にせよ『現代』にせよ、僕から見れば不思議な記述をしているわけだが、元ネタは例によって Moliner だ。

  1. Aceptar alguien como verdad una cosa cuyo conocimiento no tiene por propia experiencia, sino que le es comunicado por otros: [...]
  2. («en») *Pensar que cierta cosa es buena o eficaz: [...]
  3. «*Juzgar». Creer de algo o alguien que es cierta cosa que se expresa con un adjetivo o con un nombre: ’No le creo tan inteligente como dicen. Cree virtud lo que es comodidad. Creo deber mío advertírselo’. (Puede expresarse lo mismo con una oración no atributiva, con un complemento con «de»: ’
    (9) Creo de él que es sincero.
    (10) Creo de mi deber advertírselo’.)
    (Moliner 1981: s. v. creer)

Moliner は「信じる」と「思う」を語義としては分けていないが、「判断する (juzgar)」は別立てにしている。これはきっと構文の問題で、直接目的語を補語 (属詞) だと判断するという、いわゆる SVOC のパタンを取るからだろう。

それはそれで良いのだが、カッコの中がぶっ飛んでいる。同じことが非属詞的文と de ... で表現できる、と言うのだ。「非属詞的文 oración no atributiva」は、多分 SVOC の C じゃないということだと思うので、構文的には異るが言ってることは同じということなのだろう。例 (9)、『中辞典』のやつと同型の Creo de él que es sincero は、「彼について正直だと思う」で良いはずだが、Lo creo sincero と同じことだと Moliner は言うわけだ。『中辞典』はこれに乗っかっていることになる。

ここまでは、まあ良い。しかし、次の例 (10) Creo de mi deber advertírselo は、ここに置かれているのだから Lo (= mi deber) creo advertírselo にならなければいけないはずだが、ならないでしょ。これはむしろ逆で、カッコの前にある例と同様の普通の SVOC パタンだ。つまり Lo (= advertírselo) creo de mi deber とか Creo que es de mi deber advertírselo で言い換えられる内容だろう。

なお es de mi deber + inf. は CORPES XXI では出てこないが、CDH では19世紀の例が4つ見つかる。

  • (11) es de mi deber dar cuenta á los Representantes de aquella Nacion (1826)
  • (12) tanto como Juez de Israel, cuanto como hermano caritativo del hombre es de mi deber separar a Romea del terreno de la causa en cuanto a matrimonio (1854)
  • (13) y es de mi deber hablarte de él. (1867)
  • (14) y yo creo que es de mi deber acompañarle. (1869)

Google 検索でも出てくるので、現代でも一応使われていることは分る。

Creo de mi deber + inf. 自体は CORPES で1例、CDH で18例出てきた (やはり19世紀のが多い)。CORPES の例は古いテクストの引用だ。

  • (15) V. E. está muy mal... creo de mi deber decirle que disponga lo que crea conveniente

Lo creo de mi deber は CORPES にも CDH にもなかったが、Googleでは見つかる。とは言え、まず出てくるのが Juan Valera (1824-1905) の文章なので、やはり古い。

  • (16) a pesar del profundísimo respeto que V. E. me inspira, me atrevo a decirle, porque lo creo de mi deber, que el antiguo cocinero lo estaba engañando (uv.mx)

ということは、de mi deber が古い表現なので Moliner が分析を間違えたということなのだろうか。良く分らないが、いずれにせよこの de は (9) の de él の de とは異ることは示せたと思う。

Moliner の批判にスペースを取られたが、話を戻すと、creer de A que ind. という「構文」を措定する意味は無いし、それを一般化した creer de A B も特に取り上げる必要はない。「について」の de がたまたま creer と一緒に現れただけだと思えばよい。そう言えば『スペイン語大辞典』にはそういう語義も例文もない。適切な判断だと思う。

  • 宮城昇ほか (編), 1999. 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社. (iOS version, ロゴヴィスタ)
  • Moliner, María, 1981, Diccionario de uso del español, reimpresión, Gredos (primera edición 1966-67).
  • Real Academia Española: Banco de datos (CORPES XXI) [en línea]. Corpus del Español del Siglo XXI (CORPES). <http://www.rae.es> [2025/01/07]
  • Real Academia Española (2013): Corpus del Diccionario histórico de la lengua española (CDH) [en linea]. <https://apps.rae.es/CNDHE> [2025/01/08]
  • 高垣敏博 (監修), 2007. 『西和中辞典』第2版, 小学館. (iOS version, 物書堂)
  • 山田善郎ほか (監修), 2015. 『スペイン語大辞典』白水社. (iOS version, ロゴヴィスタ)

2025年1月6日月曜日

Se trata de tratarse (2)

前回は「僕が普段使っている日本の辞書」つまり僕のスマホに入っている西和辞典を見たが、範囲を少し広げて検討を続けたい。

まずは『レクシコ 新標準スペイン語辞典』。

  • 問題はある、これは (de: の) ことである; (con: と) 交際する、つきあう
    (上田 2020: s. v. tratar)

最初の「問題はある」は意味不明だが、「問題は [・・・で] ある」のつもりだったのだろうか。であれば相変らずの「問題」だが、「これは (de: の) ことである」は良い。「問題」と「交際」の間に埋もれていて、かつ非人称であるという説明がないのが問題だが、前回見た [葡伊仏]和に近いレベルの記述があることが確認できて少し安心した (問題は『レクシコ』をどれだけの人が使っているかということだが)。

『レクシコ』が非人称の tratarse de とそうではない tratarse de を並べているのは、スペース節約が大事な小型辞典だから仕方ない面がある。しかし、前回見た『中辞典』の定義を思い出そう。

  • 3人称単数で 《de + 名詞 / de + 不定詞 / de que + 直説法・・・について》扱う、取り上げる; 問題は・・・である。
    (高垣ほか 2007: s. v. tratar)

この「扱う、取り上げる」は果して ser 相当の tratarse de に宛てたものなのだろうか。そうだとしたらダメな説明だが、もしかしたら人称的な tratar de が «se + 3人称単数» で現れたものが念頭にあるのかもしれない (後者も非人称であることに変わりはないが、用法としては区別すべきだ)。だとしたら、ここでも異るものがセミコロンで区切られて並んでいるということになる。

もうひとつ見ておこう。例文には前回からの通し番号を振った。

  • 《3人称のみ + de》話題 [問題] は・・・である。
    (22) ¿De qué se trata? 何の話なの?
    (23) En la reunión se trató de muchas cosas. 会議では多くのことが問題になった。
    (24) Se trata de un espinoso asunto. やっかいな問題を取り上げている。
    (25) Se trata de no herir su amor propio. 問題は彼の自尊心を傷つけないことだ。
    (原ほか 2006: s. v. tratar)

文法的な説明として「3人称のみ」というのは3人称複数も有り得ると読めるので良くない。「話題は」は「問題は」や「話は」よりも「このテクストの今の文脈で」という読みを引き出しやすいかもしれないが、まあ、たいした違いはないか。

問題は例文の訳だ。(22) は (1, 4, 10, 11) と同様で、なんでそんなに辞書編纂者に好かれるんだろうと思うが、まあ特に問題はない。(23) は、我々が問題にしている非人称の tratar se de (= ser) ではなくて、tratar de 「扱う」が «se + 3人称単数» で現れたものと解釈すべき、つまりここにあってはいけない例だ。「問題になった」という訳は頑張って入れたのだろうが、「問題は・・・だ」とは意味が異ることにも注意しよう。

(24) は我々の tratarse de で解釈できるが、であれば「(それは) やっかいな問題なのだ (「問題」は asunto の訳)」ぐらいが相応しい。(25) もそうで、「問題は」を削除して『大辞典』のように「要は」とかにするか、「彼の自尊心を傷つけないようにということだ」みたいにした方が良い。

ということで、2つの tratarse de を区別する必要がある。
  1. tratar de B → tratarse de B 「(人が)Bを扱う (se + 3人称単数)」
  2. tratarse de B 「(Aは)Bだ (= ser)」

我々の tratarse de は後者で、これは勿論前者を元に派生した用法だろうが、辞書に載せる意味は充分ある。一方もとの「(人が)Bを扱う」は tratar de 「扱う」から自動的に導き出せるので、他の動詞の «se + 3人称単数» の非人称用法と同様、本来は辞書に登録しなくてもよいはずだ。ただ、2つの tratarse de の違いを学習者に意識してもらう目的で記述するのはありだろう (もちろんちゃんと区別が分るように分けて書く必要はある)。

我々の tratarse de (= ser) に対しては「問題」を使うのは問題だということ、そして『レクシコ』なかなかやるじゃんということで、この話題 [話・問題] は取り敢えず終えることにしたい。


  • 原誠ほか (編), 2005. 『クラウン西和辞典』, 三省堂.
  • 高垣敏博 (監修), 2007. 『西和中辞典』第2版, 小学館. (iOS version, 物書堂)
  • 上田博人 (編), 2020. 『レクシコ 新標準スペイン語辞典』, 研究社.

2025年1月1日水曜日

Se trata de tratarse

学生に tratarse de (se trata de ...) の使い方を解説すべき事態になったのだが、(久し振りに) 記事にした方が良いと思われたので、今これを書いている。

まずは、以下のテクストを日本語に訳してみよう (上記の事態とは無関係な例文を選んだ)。

Determinar de manera axiomática si el fandango de África Vázquez es el que grabó el Mochuelo es andar por a cuerda floja con temor a caerse. Sin embargo, las sospechas fundadas de que así sea nos pueden llevar a dar por válido que aún sin saberlo con rotundidad, sí podamos afirmar que se trata de un cante nacido y criado en Granada aunque registrado por un sevillano (Conde 2018: 123r)

África Vázquez (1864/65-??) は Granada 県 La Peza で生れた歌い手で、彼女が作ったファンダンゴ (本人の録音は無い) について、Sevilla 生れの Mochuelo (1871-1936/37?) が録音した物かそれかどうか、確証はないが、まあそうだと言っていいんじゃないかみたいなことだ。フラメンコ研究ではよくある話で、誰それのファンダンゴとか誰それのソレア (シギリジャ、マラゲニャ、・・・) とか、沢山あるのだが、たとえばそのメロディーを本当にその誰それが作ったのか、誰それ本人の録音が無い場合、断言できない。で、間接証拠 (sospechas fundadas) を元に推測することになるわけだ。

なので、超絶慎重な言い回しを尊重して訳してみると、「アフリカ・バスケスのファンダンゴがモチュエロの録音したものなのかどうか議論の余地なく決定するのは、落ちる心配をしながら綱渡りをするようなものだ。しかし、そうであるという根拠のある疑いが、決定的には分らないとはいえ、以下のように断言できることが妥当だと判断することを可能にする: セビジャ生れの歌い手によって録音されたとはいえ、se trata de グラナダで生れ育ったカンテ」ぐらいになるだろうか。

さて se trata de だが、文脈から判断して「~だ」と訳せると考えることが妥当だと判断した人が多いと予想することが可能だと思うことに無理はないように見えるのではなかろうか。そして、それは DPD の次の記述によって根拠づけることができるだろう。

En forma pronominal y seguido de un complemento con de, se emplea como impersonal ―siempre en tercera persona del singular―, con sentido equivalente a ser, refiriéndose a algo anteriormente mencionado (DPD, s. v. tratar)

つまり tratarse de が ser と同等の意味で使われるという話だ。DPD の記述は、これは非人称なので3人称複数にしたり、明示的な主語を付けたりしないでね、と続くのだが、ser なら「AはBだ」だろうに tratarse de は非人称で無主語だから「Bだ」しか表さない。そこで効いてくるのが「前に言及された何かについて」という部分だ。その「何か」つまり前の文脈にある「それ」が「Aは」に相当するわけだ。我々の例で言えば、モチュエロが録音したアフリカ・バスケスのファンダンゴ (という確証はないが、とにかく「それ」) のことだ。

ところが、僕が普段使っている日本の辞書には ser 相当という説明が載っていないのだ。学習者が上手く訳せないのも無理はない。僕は自力で読めるようになるまで随分年数がかかった。DPD の記述を見つけて「これは学生に対する説明に使える」と思ったのは割と最近のことだ。

では、それらの辞書 (『西和中辞典』『スペイン語大辞典』『現代スペイン語辞典』) の記述を確認してみよう。
  • 3人称単数で 《de + 名詞 / de + 不定詞 / de que + 直説法・・・について》扱う、取り上げる; 問題は・・・である。
    (1) ¿De qué se trata? 何の話ですか。
    (2) Se trata de que las cifras de la investigación son erróneas. 問題はその調査の数値が間違っていることです。
    (3) No se trata de eso. そういう問題じゃない。
    (高垣ほか 2007: s. v. tratar)
  • [3人称のみ。+ de] 話 (問題) は…である:
    (4) ¿De qué se trata? 何の話ですか?
    (5) Se trataba de un viaje. 話はある旅行についてだった。
    (6) Se trata de encontrar una solución. 要は解決法を見い出すことだ。
    (7) Si solo se trata de eso, no hay peligro. それだけのことなら危険はない。
    (8) Desde lejos no pude adivinar que se trataba de Juan. 私は遠くからではそれがフワンかどうか見分けがつかなかった
    (山田ほか 2015: s. v. tratar)
『現代スペイン語辞典』の記述は solo にアクセントがあること以外は『スペイン語大辞典』と同じなので省略 (一応別の辞書なんだけど、良いんだろうか)。また、例文には出典にはない番号を振っておいた。

『中辞典』の「扱う、取り上げる」は、我々の文脈には合わない。問題は「問題は・・・である」である。学習者 (かつての僕) はこれに飛びつくのだが、これはダメだ。「問題は・・・グラナダで生まれ育ったファンダンゴだ」では何の話なのか分らなくなる。『大辞典』の「話は」も、そのままでは使えない。

例文の訳も検討しよう。(1, 4) は一見良さそうだが、「何 (のこと) ですか」の方が適切な場面がありそうだ。(2) の訳を適切だと思う人は多いかもしれないが、この例文は罪深い。ここの「問題は」は、直すべき、解決すべき問題 (problema) のように読めるが、それは que 以下の内容がたまたまそうだからであって、tratare de の責任ではない。Tratarse de が「問題は」で訳せる場合があるとすれば、前の文脈で出てきた、今テクスト上で扱っている・問題にしている、という意味であって、それが困ったことだとか解決しなきゃいけないとか問題点だとかいうことではない。従って (2) の訳としては「その調査の数値が間違っているということです」の方が良い。なお、『中辞典』は de que + 直説法という記述をしていて、これ自体は問題ないのだが、de que + 接続法もあることを追記した方がよい (個人的な印象では接続法の方が馴染がある)。直説法の場合が「ということ」を事実として報告するのに対して、接続法では「ということ」が概念として提示される。場合によっては「べき」とか「ように (したい)」みたいに訳すことも可能だろう。一応例を挙げておく。

Al final de la sesión de lectura individual, se pueden leer fragmentos cortos o algún cuento breve que nos hayan producido una emoción especial. Lo puede hacer el profesor y cualquiera de los alumnos, de forma que se favorezca el diálogo de los libros entre sí. En este mismo sentido, se puede abrir un espacio para comentar o recomendar algún libro que se esté leyendo. Se trata de que los lectores cuenten voluntariamente sus sensaciones e impresiones sobre un libro leído que haya sido de su agrado. A determinadas edades, las recomendaciones que hacen los compañeros suelen ser mejor acogidas que las que hacen los profesores. (RAE: CORPES XXI, Esp. 2001)

例文 (3) は、まあそう訳せる文脈もありそうだが、「そう (いうこと) じゃない」の方が適用範囲が広いだろう。

『大辞典』の例文 (4-8) には「問題」が使われていないので問題が少ない。だが「話」が嵌らない文脈は多いので、説明としては五十歩百歩だ。例文を読まずに最初の訳語だけを見てすます学習者が多いことを考えれば、例文の訳をいくら工夫しても報われない可能性が高い。(5) は「話は・・・についてだった」と訳していて、それが適切な文脈もあるだろうが、我々の関心からすれば「(それは)旅行なのだった」ぐらいの訳が欲しい。(6) は tratarse de + 不定詞の例だが、接続法の場合と同様「ということ」が概念として提示されていると考えてよい。ここで「要は」が提示された概念の「べき」的解釈の結果出てきた訳なのか、前文脈を受けた「要するに」なのか、いずれにせよこの訳は「あり」だ。もちろん tratarse de + inf. が常に「要は」で訳せるとは限らない。

(7) には tratarse de に明示的に対応する訳語がない。これは正に tratarse de の適切な訳だ。この訳を学習者が見ない低くない可能性を考えると、本当にもったいない。最初の「話 (問題) は…である」を「…である」にしてくれれば良かったのに、と思う。(8) では「それが」が補われていて、(5) で要望したことが実現されている。これも有り得る訳だ。ただし、「フワンかどうか見分けがつかなかった」よりは「フアンだということが分らなかった」の方が良いのではないだろうか。

さて、類似の表現を持つ他の言語についても見てみよう。最初はポルトガル語。

  • [非人称的に。+ de] 問題は…である、ここで扱うのは…である、それは…である:
    (9) É um assunto delicado. Trata-se da questão racial. 微妙なテーマだ、つまり人種問題のことである。
    (10) De que se trata? 何のことですか?
    (池上ほか 2005: s. v. tratar)

ここでも「問題は」が出てくるが、注目すべきは「それは…である」だ。例文 (9) も「つまり」で前文脈を承けている。いいじゃないか。

イタリア語。

  • 非人称動 ((si tratta di の形で))
    1. ・・・である、・・・のことである; 大切である
      (11) Di che cosa si tratta? 何のことですか
      (12) Non si tratta di uno scherzo. 冗談ではない
      (13) Non si tratta solo di parlare, ma di agire. 話すだけでなく行動が大事だ。
    2. ・・・にかかわる; 危うくなっている
      (14) Si tratta di vita o di morte. それは生死にかかわる問題だ
      (15) Si trattava del suo onore. 彼の名誉がかかっていた。
    (池田ほか 1999: s. v. trattare)

まず出てくるのが「・・・である」だ。そういうことだ。

フランス語。

  • s’agir ((非人称構文で))
    1. ((il s’agit de qn/qc)) …が問題である、…に関することである; (本や講演などで) …が主題である、取り上げられている
      (16) J’ai des ennuis; il s’agit de mon fils Pierre. 困ってるんだ。息子のピエールのことなのだが
      (17) Lisez cet article: il s’agit de votre dernie livre. この記事をお読みなさい、あなたの新しい本が取り上げられていますよ
    2. ((il s’agit de qc)) (★qc は一般に不定冠詞付きの名詞) ((先行する内容を受けての説明)) それは…である、それは…に相当する […を意味する]
      (18) Le gouvernement a décidé de voter ce projet de loi: il s’agissait d’un choix épineux. 政府はその法案を採択することに決めた、それは難しい選択であった
    3. ((il s’agit de 不定詞; il s’agit que 接続法)) …することが重要 [必要] である、…しなければならない
      (19) Il s’agit de parvenir à un accord. 合意に逹することが肝要なのだ
      (20) Il s’agit que vous soyez prudent sur ce point. あなたはこの点について慎重でなければいけない
      (21) Il ne s’agi plus de discuter. もう議論をしている場合ではない
    (倉方ほか 2010: s. v. agir)

こちらは「問題」が最初に出てくる。例文 (16) はその問題が前文脈に属すことを示唆しているが、学習者がそれに気付く可能性は低い。だが、2番目の語義で「先行する内容を受けての説明」という DPD の記述と同様の説明がされている。これは大いに評価できる。

というわけで、葡伊仏とも、2冊の西和辞典よりも良い記述をしていることが分った。スペイン語も頑張らないとね。

  • Conde González-Carrascosa, Antonio, 2018. De Graná, granaína. Diputación de Granada.
  • 池田廉ほか (編), 1999. 『伊和中辞典』第2版, 小学館. (iOS version, 物書堂)
  • 池上岑夫ほか (編), 2005. 『現代ポルトガル語辞典』改訂版, 白水社. (iOS version, 物書堂)
  • 倉方秀憲ほか (編), 2010. 『プチ・ロワイヤル仏和辞典』第4版, 旺文社. (iOS version, 物書堂)
  • 宮城昇ほか (編), 1999. 『現代スペイン語辞典』改訂版, 白水社. (iOS version, ロゴヴィスタ)
  • Real Academia Española: Banco de datos (CORPES XXI) [en línea]. Corpus del Español del Siglo XXI (CORPES). <http://www.rae.es> [2025/01/01]
  • Real Academia Española y Asociación de Academias de la Lengua Española: Diccionario panhispánico de dudas (DPD) [en línea], https://www.rae.es/dpd/tratar, 2.ª edición (versión provisional). [2024/12/31]
  • 高垣敏博 (監修), 2007. 『西和中辞典』第2版, 小学館. (iOS version, 物書堂)
  • 山田善郎ほか (監修), 2015. 『スペイン語大辞典』白水社. (iOS version, ロゴヴィスタ)