2018年12月27日木曜日

Sino (2)

前の記事で引用した Pinilla の本は、まだ途中なのだが、また sino で修行不足を思い知らされる例に遭遇した。ちょっと長くなるが、1段落まとめて引用すると:

A su amiga La Argentinita, España la alejó de su tierra: primero, tras la muerte de Ignacio Sánchez Mejías. Tan sólo había vuelto meses antes de la guerra civil, junto con su hermana Pilar López y con la intención de ver a su amigo Federico García Lorca. Tras su asesinato, La Argentinita volvió al destierro y durante la guerra civil perdió todos sus bienes en España. Ya no volvió nunca sino que encontró la muerte mientras transcurría la Segunda Guerra Mundial. (Pinilla 2011: 65)

最初の su は La Argentina (Antonia Mercé) のこと。この段落の主人公 La Argentinita は Encarnación López が本名。ロルカとの親交はよく知られていて、彼が採譜した民謡を彼自身のピアノ伴奏で録音したりしている (踊り手として知られている人だが、多彩な活動をしたらしい)。1945年にニューヨークで亡くなっている (ただし、1945年の9月24日なので、第二次世界大戦は終わっている)。

La Argentinita の生涯についての記述が正確かどうかは措くとして、この sino の使い方がちょっと変に思われた。もちろん意味はすっと分かるのだが、ここは sino que の代わりに y とかで十分なのではないか、などと考えたりしていたのだが、この使い方の記述をいくつか試みた後で、やっと事態が飲み込めた。まず、これは普通の no X sino Y で読めば良い。僕の理解を邪魔していたのは nunca で、これを取れば volvió (= X) が否定されて encontró la muerte ... (= Y) が肯定されている構造として問題なく解釈できる。つまり nunca は否定される内容に含まれないのだが、僕は単純に線状的に読んで X を (no) volvió nunca と取って首をひねっていたわけだ。まあ、nunca には nunca の意味があるので no ... sino の連関を見えにくくするし、わざわざ no ... sino で言うような内容じゃないとは思うけどね。

ちなみに、この著者は que が後に来ると sino を1語で綴れるようになるようだ。もう一息。

  • Pinilla, Juan, 2011, Las voces que no callaron: flamenco y revolución, Atrapasueños.