2014年10月15日水曜日

¿Es japonés?

そう、今頃あの中村さんの話だ。ノーベル物理学賞のニュースは、たまたまその時いた飲食店のテレビを通じて知った。家に帰ってからインターネット上のニュースをチェックしていたら «Os xaponeses Isamu Akasaki, Hiroshi Amano e Shuji Nakamura, este último nacionalizado estadounidense, foron distinguidos hoxe co Premio Nobel de Física 2014 por inventar o diodo emisor de luz LED, anunciou a Real Academia das Ciencias de Suecia (Galiciaé)» という記述に出くわして、初めて彼が米国籍だということを知ったのだった。その後、日本では米国籍の事実が報道されていないという話がネットを賑わせていることも分かった。

僕は日本人が何人受賞したとかいう話には興味がないし、何年かぶりの物理学賞受賞なんていう報道にはオリンピックじゃあるまいしと思って笑ってしまったのだが、これはオリンピックみたいなものだと言う人がいて、言われてみればそうかもしれない。僕は日本人がいくつメダルをとったとかいう話に興味がないので、まあ似たようなものだ。もちろん、これは賞やメダルをとった人が立派だと思うことと矛盾しない。

さて、僕は外国のメディアの報道を通じて中村さんの国籍について知ったわけだが、知人がブログで「たいていの国のメディアはアメリカ合衆国の市民権を獲得している中村修二をアメリカ人としている」と書いているのを見て、また「あれっ」と思った。彼の言う「たいていの国」がどこのことなのか分からないが、たとえば前掲のガリシア語メディア (国としてはスペインだ) は見出しで «Tres xaponeses, Nobel de Física por inventar o diodo de luz LED» と言っていて、彼を xaponés と見なしていることは明らかだ。これを「日本人」としているとして良いのだろうか。多分良いのだろう。そして、記事の本体に入って米国に帰化したと書いている。これは「アメリカ人」と書いてある方に数えていいのだろうか。多分いいのだろう。ではスペインは「たいていの国」の中に入るのか入らないのか。

El País は «Tres científicos de Japón obtienen el galardón» と言っておいて、後の方で «Nakamura, 1954, tiene nacionalidad estadounidense» と国籍を明示している。前置詞句 de Japón は形容詞 japoneses と交換可能な場合もあるが、この場合はそうではないと考えることもできる。なので、この記事は中村さんを日本人として報道していないと読むことは可能だ。El País はスペインの新聞だから、スペインは「たいていの国」に入るのだろうか。多分入るのだろう。

ポルトガルの新聞 Público は «A invenção dos LED azuis valeu esta terça-feira o prémio Nobel da Física de 2014 a três cientistas japoneses: Isamu Akasaki e Hiroshi Amano, da Universidade de Nagóia, no Japão, e Shuji Nakamura, da Universidade da Califórnia em Santa Barbara, nos EUA» と言っていて、中村さんがアメリカの大学にいることは書いてあるが、国籍の話は僕が理解できた範囲では出て来ない。

Jornal do Brasil は «Com o trabalho dos três japoneses, foi possível conseguir o LED branco, pois eles desenvolveram a luz azul» と言っておいて、先の方で «Akasaki (85 anos) e Amano (55), ambos da Universidade de Nagoya, e o norte-americano Nakamura (60), que desde 1994 se transferiu da Universidade japonesa de Tokushima para a de Califórnia, são os responsáveis pela descoberta e criação das lâmpadas» としている。徳島大学からカリフォルニアに移ったとしているところには目をつぶることにして、さて、ここでは中村さんは何人 (ナンニンと読まないでね) とされているのか。まず três japoneses の1人であることは確かだが、はっきりと norte-americano と書いてある。日本人でもあり、アメリカ人でもある?

Il Giornale d’Italia は «Si tratta dei tre scienziati giapponesi Akasaki, Amano e Nakamura» とだけ言っていて、アメリカ国籍の話は出て来ない。

ドイツ語は辞書が引ける程度だが、ちょっと見てみると Spiegel が3人を日本生まれと書いている: «Der Nobelpreis für Physik geht in diesem Jahr an die gebürtigen Japaner Isamu Akasaki, Hiroshi Amano und Shuji Nakamura». 後のほうで «Nakamura reagierte sehr überrascht auf die hohe Auszeichnung: "Unglaublich", sagte der Japaner, der heute in den USA lebt und als Professor an der University of California in Santa Barbara arbeitet» と言っていて、アメリカに住んでいることは伝えているが、国籍の話は多分していない。

Spiegel は物理学賞の出身地 (Geburtsort) 別の受賞者数と研究地? (Forschungsstandort) 別の数字を挙げていて、日本はそれぞれ10と9だ。この違いは中村さんの存在に起因するのだろうか。

さて、このごく限られた、そしてヨーロッパに偏ったサンプルからは「たいてい」中村氏をアメリカ人としているという印象は得られない。むしろ思いのほか日本人扱いが多いというのが僕の感想だ。しかし、ここから「たいていの国のメディアが彼を日本人としている」という結論は出てこない。こんな小さなデータからそんな一般化が出来るはずはないし、そもそもこれらのサンプルは国を代表していないのだから、一般化に加えて議論のすり替えをしないと、「たいていの国」なんて言えないのだ。このことは、おそらく僕の知人の断言にも当てはまる。僕の推測では、彼は少数の報道を見ただけで不用意に誤った一般化を行い、うっかり「国」という要素を議論に滑り込ませて「たいていの国のメディア」と書いてしまったのだ。

こういう粗忽な議論をやってしまう可能性は誰にでもある。僕も気をつけたい。皆さんも気をつけて。