2014年8月6日水曜日

Carmen + el barbero = el flamenco

ゲルハルト・シュタイングレス著、岡住正秀・山道太郎訳、2014、『そしてカルメンはパリに行った: フラメンコ・ジャンルの芸術的誕生 (1833-1865年)』彩流社(原著: Steingress, Gerhard, 2006, ... y Carmen se fue París: Un estudio sobre la construcción artística del género flamenco (1833-1865), Almuzara)。

訳者の岡住さんにいただいたので、宣伝をかねて紹介する。まだ原著も訳書も読んでいないので中身について触れることはできないが、著者 Gerhard Steingress は「1990年代初頭以来、従来のフラメンコ学は、様々な関連社会諸科学、具体的には民俗音楽学、文化人類学、社会学などの側からの客観的研究にとって代わられた。このパラダイムの変化 (日本語版緒言)」を牽引した研究者のひとりで、僕もフラメンコについて書くときには彼の仕事にずいぶんお世話になっている。

ということは、昔ながらの、そして日本でも広く受け入れられているフラメンコ理解にどっぷり浸かっている人が読むと、もしかしたらかなり違和感を感じるかもしれない。「でも、フラメンコってそういうことじゃないでしょ」と思う人もいるかもしれない。でも、そういうことなのだ。そういうことなのだということが90年代以降ますます明らかになってきているのだ。

まあ、案外みんな素直に受け入れてくれるかもしれない。でも、これは宣伝の文章なので、ちょっとばかり挑発的に書いてみたわけだ。ぜひ読んでみてください、特にバイレやってる人ね。

それからもう1冊、こちらはスペイン語の本: Campo, Alberto del & Cáceres, Rafael, 2013, Historia cultural del flamenco: El barbero y la guitarra, Almuzara.

別に gustar の例文が目当てで読んでいたわけではない。副題にあるとおり、床屋がフラメンコの形成に果たした役割がいかに大きかったかが分かるのだが、いやはや、知らなかったことばかり。もちろん、床屋の話だけではなく、フラメンコの成立を支える文化的背景が詳細に語られている。これからフラメンコのことを真面目に勉強しようと思う人は、これを読まなきゃだめだろうな。

ただし、ここで確認しておかなければいけないことがある。それは、これらの本の著者は研究者だということだ。研究者は、著書の中で特定のテーマについての自説を展開する人たちだ。彼らの説は、それが先端的であればあるほど、一般に共有されていない。そして、研究者の説は反論されるために存在する。だから、我々も批判的な態度でこれらの本に接しなければならない。