2019年5月18日土曜日

Voz afillá

歌は一般的に声を使って遂行するものなので、それぞれのジャンルで声についていろいろな議論があることだろう。フラメンコのカンテについては、いわゆる美声でないものを尊ぶ伝統がある。『情熱でたどるスペイン史』の著者も、その点に気づいて「(たましい)の奥底からしぼり出されるようなしゃがれ声 (池上 2019: iii)」と言っているのだが、前半の魂云々は措いといて、「しゃがれ声」がフラメンコ的な声だと見なされているのは事実だ。

Molina & Mairena は、オペラで評価される声はフラメンコではむしろ欠点と見なされると言う。

Tiene el cante su “voz propia”. La del tenor o el barítono, del contralto o la tiple educados en el Conservatorio no sólo no sirve, sino que es incompatible con él. Exige una calidad especial y una manera característica de emitirla, calificada certeramente por Georges Hilaire de voz de arriére (sic) gorge o gutural, pero no basta con eso: la voz debe adquirir una peculiar tensión, hay que saber “estirarla”, como dicen algunos aficionado. Limpidez, transparencia, pureza, calidades tan estimadas en la ópera –y el canto en general– constituyen inadmisibles defectos en el arte flamenco (Molina & Mairena 1979: 82).

喉声、というだけでなく、独特の張りが必要だと言うのだが、僕もイメージとしては分かる。もちろん、Molina & Mairena が長くない引用の中で繰り返し強調しているように、クラシック音楽の声とは美意識がはっきり異なる。だが、これは声の使い方の問題で、「しゃがれ声」みたいな声質の話をしているのではないことに、注意が必要だ。Molina & Mairena は、続けて声の分類をしている。どう訳していいのか分からないので、日本語はつけない。それぞれの声の代表が挙げられているので、参考になるかもしれない (idem: 82-83)。

  1. Voz afillá (Manolo Caracol, María Borrico)
  2. Voz redonda (Tomás Pavón, La Serrana, Merced la Serneta, Pastora Pavón)
  3. Voz natural (Manuel Torre)
  4. Voz fácil (Paquera, Perla de Cádiz)
  5. Voz de falsete (Pepe Marchena, Chacón)

最初の voz afillá がタイトルに挙げたやつで、例えば、浜田 (1983: 364) が「マノロ・カラコールは、生来、またとない“ボス・アフィジャー”、つまりフラメンコ風なしわがれ声の持ち主であった」と述べている。性質としては «ronca, rozada y recia» で、19世紀のカンタオル El Fillo にちなんで、エル・フィジョ風と言ったわけだ。Molina & Mairena によれば19世紀に最も評価された声だという (何を根拠に「最も」だと判断したのか不明だが、とりあえず、時代による好みの変遷があるという点は重要だ)。ただし、カラコルの声は、僕の語彙力ではあまり「しわがれ」という印象でもないのだが。

2番目の voz redonda は «dulce, pastosa y viril» なのだという。名前が挙がっている4人のうち3人が女性だが、これはむしろ「男性的な」という記述に対する注釈的な意味を持つ。そしてこれが «voz flamenca» とも呼ばれるというから、この本が書かれた1960年代には、これがフラメンコの典型的な声というイメージがあったのだろう。録音を聞いてみて、パストラ・パボンつまりニニャ・デ・ロス・ペイネスは、もしかしたら「しゃがれ声」だと思う人がいるかもしれないが、弟のトマス・パボンの声は全然しゃがれていない。

3つ目のは voz de pecho とか voz gitana とか呼ばれたりもするそうで、voz redonda に近いが «rajo» という特徴を持っている点が voz afillá に近いのだという。僕の印象ではマヌエル・トレの声は嗄れていない。

Voz fácil は voz cantaora とも呼ばれ «fresca y flexible» で、フィエスタ向きの軽目の歌に合うらしい。パケラもペルラもしわがれ声ではない。

最後のは直訳するとファルセット、裏声ということになる。細かい装飾的なメリスマに適した声で、チャコンがレバンテ系のカンテに使ったというのだが、チャコンの録音を聞く限り、裏声で歌ってはいない (晩年の最後の録音では、部分的にもしかしたらという所はあるが)。マルチェナも、もし使ったとしても部分的だろう。言いたいことが本当の裏声ではなくてそれっぽい声質のことだったとしても、チャコンについての記述は明らかに声の使い方の話で、分類が一貫していないということが分かる。

まあ、この分類も Molina & Mairena の独断と偏見に基づくものだろうから、本来目くじらを立てるほどのものではないのだが、この本が持った影響力の大きさを考えると、フラメンコ史の一コマとして批判的に見ておくことに意味はある。また、挙げられているカンタオレスの名前が、最後のチャコンとマルチェナを除いてジプシーだというのも気になる。つまり、ここには「裏声が効果的な非ジプシー的な形式」対「ジプシーの声で歌う本格的なカンテ」という図式が透けて見えるわけだ。ちなみに、ジプシー的な声という概念があるが、僕には聞いただけでは歌い手がジプシーかどうか判別できない。

さて、フラメンコの声は、ある美意識で括ることが、もしかしたら出来るかもしれないが、その中では多様だということが分かった。また、時代ごとの流行りもある。1930年代の華やかなファンダンゴで競い合った高音・美声とか80年代90年代のカマロン声とか、いろいろだ。フラメンコを聞き慣れない人が「しゃがれ声」という言い方に頼る気持ちは分かるが、一旦その日本語を忘れて聞いてみることをお勧めする。

  • 浜田滋郎, 1983, 『フラメンコの歴史』, 晶文社.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • Molina, Ricardo & Mairena, Antonio, 1979, Mundo y formas del cante flamenco, 3.ª, Librería Al-Andalus (1.ª edición publicado en 1963, Revista de Occidente).