2019年5月12日日曜日

Penas

今回はカンテ (フラメンコの歌) の歌詞が「民族の悲哀を訴える (池上 2019: iii)」ものなのかどうかを考える。前回に引き続き、「民族の悲哀」は「〇〇民族の悲哀」と読み替え、「〇〇民族」は「ジプシー」のことと想定して議論を進める。

とりあえずの結論めいたことを先に書くと、カンテ・フラメンコには、ジプシーであることに起因する悲哀と呼んで良いものを表現した歌詞は存在するが、極めて少ない。

テーマとして最も多いのは (やっぱり) 愛だという: «Hemos repasado nuestra experiencia y las principales colecciones de letras y hemos comprobado que no sólo las amorosas son las más abundantes, sino que el resto (incluso las de inspiración religiosa) están en conexión con el amor (Molina & Mairena 1979: 100-101)». そして Molina & Mairena はテーマの分類をしている (idem: 101)。多い順かどうかは不明なのだが、少なくともその中に「民族の悲哀」はない。

  1. Letras amorosas.
  2. Maldiciones, denuestos y amenazas.
  3. Tema de la madre.
  4. Tema del padre.
  5. Dinero y pobreza.
  6. Saber y experiencia inútiles ante el amor y la muerte.
  7. Sentencias morales.
  8. La muerte.
  9. Fatalismo y destino.
  10. Honra y deshonra.
  11. Religiosidad e irreligiosidad.
  12. Burla y humor.
  13. Vanidad de las cosas mundanas.
  14. Astros y fuerzas naturales.
  15. Paisajes y criaturas naturales.

このことは、共著者の1人であるアントニオ・マイレナがジプシーのカンタオルであり、ジプシー的カンテの徹底的な擁護者であったことを考え合わせると、さらに大きな意味を持つ。

一方、飯野 (2002: 2) は「発生以後200年以上が経過した現在では、当然の事ながらコプラの中で歌われているテーマは多種多様となっており、フラメンコの本質を見誤らせかねない」と述べ、「フラメンコの発生にもっとも大きなインパクトを与えたであろうと見られる彼らの迫害の記憶が歌われている歌詞」を考察している。その中には、確かに gitano, caló, calorró といった「ジプシー」を表す語が明示されつつ、彼らが被る迫害や差別を歌った歌詞がある。ひとつだけ、飯野が「弱小民族としての嘆き」(!) と題したところから紹介しよう (idem: 12)。

En el barrio de Triana
se escuchaba en alta voz,
pena de la vida tiene
todo aquel que sea caló.

トリアナ地区で、ジプシーはみんな死刑だという声が響いた、ぐらいの意味で、この内容に対して「悲哀」という言葉は軽すぎるかもしれない。

それはともかく、現在の歌詞の多様性から見れば少数派だから取るに足らない、というわけにはいかない、というのが飯野の立場だ。

取り上げた歌詞の多くは、tonás, martinetes, carceleras などという名前で呼ばれる無伴奏のカンテ、および、嘆き節たる seguiriyas –かつては plañideras > playeras とも呼ばれた– に現れるものである。従ってフラメンコの最古層を成しており、その歌詞のもつテーマや響きが、その後に続くフラメンコの発展に際しても、フラメンコの根幹を特徴づけることになった。 (飯野 2002: 25)

確かにそうだと言えるのだが、ちょっと注釈が必要だ。ジプシーの迫害という歴史的事実があり、現在まで差別はなくなっていない。それがカンテに歌い込まれることがあるのも事実だ。また、飯野が言うように、「カンテの古層」に詠み込まれた歌詞がその後のこのジャンルの発展に一定の方向性を与えたというのもそうだろう。だが、これらの歌詞が、本当に本当のジプシーである迫害の当事者が歌ったものが伝えられてきたのだと思うのはナイーブすぎる。マイレナのカンテ・ヒタノ論が影響力を持っていた頃は、フラメンコというジャンルが確立するまでの何世紀かの間、ジプシーたちは内輪で (非ジプシーに知られない形で) 自分たちの歌を歌い・伝承していたという説が信じられていたこともあった。しかし、近年の研究で明らかになって来ているのは、19世紀半ばに芸能としてのフラメンコの成立に大きな役割を果たしたのは、「ジプシー」のイメージだったということだ。それ以前はモリスコたちが理想化されて文学的想像力の源泉になっていたのが、19世紀にジプシーがそれを受けつぐ。

Como sucedió con la materia morisca, cuando Ginés Pérez de Hita quiso pasar por originalmente musulmanes ciertos romances que eran sencillamente castellanos, también ahora se defendió la existencia de una poesía gitana “auténtica”. De ella habla un George Borrow y la creencia llega hasta Antonio Machado y Álvarez, Demófilo, cuando apunta la idea –que tanta fortuna posterior ha tenido– de que el cante flamenco no es sino una degradación, al andaluzarse y agachonarse, de un supuesto cante gitano primitivo. El hecho cierto, como demostraron ya Hugo Schuchardt y otros, es que ni este cante ni esta poesía “auténticamente” gitana han existido con anterioridad a la acuñación en e siglo XIX, del gitanismo idealizante. (Baltanás 1998: 213)

Baltanás は「ジプシーが密かに連綿と受け継いできたカンテ」は19世紀に創作されたものだと言っているわけだ。つまり飯野が挙げた歌詞は、19世紀以降にジプシーが理想化され神秘化され文学的なテーマとなった、その結果生み出されたものだということになる。

研究者の中には、18世紀の段階でジプシーという民族はすでにフィクションだっと言う人もいる: «la existencia de una raza gitana ya era una ficción en el siglo XVIII: Ser gitano significó menos pertenecer a un grupo étnico entre otros que pertenecer a las clases más bajas y despreciadas de la sociedad andaluza (Steingress 2005: 222)»。演じ手としてフラメンコの成立に寄与したのは、スペインの下層社会の人たちであって、特にジプシーを分けて考えることはできないというわけだ。だが、受け手が期待したのは「ジプシーの」芸能だった。特に外国からの旅行者たちの存在は大きい。そうなると、本物偽物取り混ぜて、演じ手たちは「ジプシーらしい」芸を見せ・聞かせることに精を出すことになるだろう。

フラメンコがジプシーなしには成立しなかったというのは本当だろう。だが、正確には理想化された (創作された) ジプシーのイメージなしには、と言うべきだ。「民族の悲哀」も、その過程でテーマ化され表現されたものなのだろう。もちろん、この「創作」が全然現実との接点を持たないものだと言っている訳ではないし、これでフラメンコの価値が下がる訳でもない。また、このイメージが今に至るまでフラメンコのあり方に大きく影響を与えて来たことも事実だ (僕は、作られた伝統は作られた時点で現実を動かす力を得る、とかなんとかどこかに書いた覚えがある。つまりそういうことだ)。

僕は個人的に、フラメンコの歌詞の多様性がフラメンコの良いところだと思う。ジプシーが出てくる歌詞は少なくないが、彼らが受けた迫害を歌ったカンテを生で聞いた明確な記憶はない。悲哀や苦悩を語る歌詞も少なくないが、それはジプシーかどうかに拘らず誰もが持ちうる感情だ。そして、人だから恋もするし、可笑しければ笑うし、Molina & Mairena が挙げたようないろいろな感情がテーマになる。フラメンコを聞いて、もし「民族の悲哀」しか聞こえてこないようだったら、耳の精度を疑ってみた方が良いだろう。

  • Baltanás, Enrique, 1998, «La gitanofilia como sustituto de la maurofilia: del romancero morisco al Romancero gitano de Federico García Lorca», en Steingress, Gerhard and Baltanás, Enrique (coord. y ed.), Flamenco y nacionalismo. Aportaciones para una sociología política del flamenco, 207-222.
  • 飯野昭夫, 2002, 「フラメンコの歌詞におけるジプシー的要素に関する考察 –迫害の痕跡を求めて」, 『語学研究』99, 拓殖大学言語文化研究所, 1-27.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • Molina, Ricardo & Mairena, Antonio, 1979, Mundo y formas del cante flamenco, 3.ª, Librería Al-Andalus (1.ª edición publicado en 1963, Revista de Occidente).
  • Steingress, Gerhard, 2005, Sociología del cante flamenco, 2.ª, Signatura Ediciones.