2015年7月1日水曜日

Leyendo ¿se entiende la gente?

日本語を母語とする学習者 (日本人学習者) が比較表現を上手く扱えないことは前に書いた。そういう学習者は、たとえばこういうテクストに躓く。

Se suelen considerar como pioneras de la cortesía verbal las obras de Lakoff (1973), Brown y Levinson ([1978] 1987) y Leech (1983), provenientes de la tradición anglosajona. Estos trabajos poseen una gran deuda con estudios de carácter antropológico, filosófico y social, en los que fundamentan los deseos y las necesidades de imagen, de respeto, de libertad de acción y de aceptación social de las personas involucradas en la comunicación. En ese sentido, deberíamos retroceder más en la historia de las ideas para reconstruir las bases teóricas que alimentan los estudios pragmáticos de la cortesía verbal (Stuart Mill, Émile Durkheim, Erving Goffman, etc). (Albelda & Barros, 2013, La cortesía en la comunicación, Arco Libros, p. 5)

見て分かる通り、こんな文章を読むということはそれなりのレベルの学習者なわけだが、やっぱり más が表わしていることを上手く言語化できない場合が少なくないのだ。ー応解説しておくと、言語的なポライトネスの先駆的な研究として Lakoff とか Brown & Levinson とか Leech のものが挙げられることが多い (この時点で歴史を30-40年さかのぼっている) が、これらの研究の基礎となる考え方を理解するためには、歴史をさらにさかのぼって (言語学者ではない) Mill や Durkheim や Goffman の仕事をチェックする必要があるということだ。Lakoff までのさかのぼりが、表現されていない que 以下の内容にあたるわけだ。別の言い方をすれば、ここに2つある固有名詞のグループ間の関係を把握できなければ、このテクスト片を理解したことにはならない。

もちろん、うまく説明できないだけで分かっているという可能性はある。しかし、言語化できないということは分からないのと同じくらい、いやもしかしたらより大きな問題だろう。

ついでに言うと、この断片を理解するのに欠かせない文法事項がもう1つある。それは debería の使い方だ。この過去未来形を見たら、「必要がある」と言っているけれども実際にはやらないのだな、と思う必要がある。ためしにこの本の巻末にある参考文献欄を見てみると、さすがに Goffman は出て来るが、Mill と Durkheim は載っていない。やはりやってなさそうだ。

外国語の運用力というと喋ることと思っている人が多いかもしれないが、理解の側面がしっかり身についていなければまともな語学力とは言えない。比較はテクストの内容構成に直接かかわる重要な要素であることも多いはずだし、過去未来は書き手の事実認識を反映する。テクストの最低限の理解に、具体的な文法項目の知識が欠かせないわけだ。そして、このレベルのスペイン語が分からない人は当然このレベルのスペイン語を喋ることはできない。

この記事のテーマが今の学習者がいかに出来ないかということだと思われると困るので先を急ごう。問題はむしろ言語教育の方にあるのではないか。たとえば「フアンはペドロより金持ちだ」みたいなへなちょこな和文西訳を8000000回やっても上のテクストを読めるようにはならない。Debería を「しなければいけないだろう」と結びつけて放置していたら、この形は一生使えるようにならない。ではどうするか。実際の使用に触れるという意味で、テクストを読むことは非常に有益だし、とても効率的な学習方法だと僕は思っているが、読解の授業のやり方について良い案があるわけではない。文法の教科書は大幅に書き直したいと思っているところだが、イメージを形にする時間があるかどうか (もちろん、書き直したものが上手く機能するかどうかは、やってみないと分からない)。