2014年12月20日土曜日

Persona

「人称」と訳す。スペイン語は動詞が主語の人称と数に応じて形を変える言語で、この活用を覚えるのが一大事なのだが、僕はずっと、これは面倒だけれども難しくはないと高を括っていた。つまり、形を覚える作業は大変かもしれないが、人称・数に応じた活用という現象を理解すること自体には何ら問題はないと思っていたわけだ。ところが、最近そうでもなさそうだという話を聞いた。

僕にそれを教えてくれた人は高校でスペイン語を教えていて、その経験から言える傾向として、まず勉強を始めて動詞が活用するという事態に遭遇して大きくモティベーションが下がる。その状態では何も頭に入らなくても無理はないかもしれないとは言え、たとえば次のようなことが起こる。活用表には yo, tú などの人称代名詞に対応した動詞の形は載っているが Pedro に対応した形は載っていないので ser であれば es になるということが分からない。そこを何とか乗り越えても Pedro y María が待っていて、この場合 son になることが理解できない。もちろん Pedro y yo に対して somos を思い浮かべるのも難しい。さらには、人と物が同列に扱われて Pedro も la mesa も動詞が同じ形 es になることも納得できない。

こういった例は、ごく少数の学習者に見られる例外的な現象なのかもしれない。しかし問題であることに変わりはない。考えてみれば当然で、日本語には主語の人称・数に応じた動詞の活用が存在しない。だから、人称という概念がうまく理解できないとしても不思議ではない。もしかしたら、それなりに深刻な問題なのかもしれない。「人称」という用語を使うかどうかとは独立に、どこかでこれを押さえておく必要があるという気がしてきた。

それはそれとして、Pedro と la mesa を同列に扱うことへの疑問は、なんとも素晴らしい。日本語話者には有生性の方が人称よりも分かりやすいということか。