2013年11月16日土曜日

David Palomar

ちょっと時間が経ってしまったが、David Palomar カンテ・コンサート(2013/10/26, 18:00, 於スタジオ・カスコーロ、東京フラメンコ倶楽部主催)。ギターはエンリケ坂井。

カディス出身のカンタオール、この土地のカンテを中心に歌ってくれて、楽しく充実したコンサートになった。アレグリアス、タンギージョ、ブレリア・デ・カディスといった「いかにも」なレパートリーでは、コンパスに乗りながらの自由さが印象的。ティリティタンとかトロトトンとか、それだけで、もう面白い。もちろん、地元の歌を面白く歌うだけのカンタオールではない。聞き慣れないところでは、ソレアの中にエル・チョサスのを入れたり(エル・チョサスだということは後から知ったのだが)、ファルーカの途中でミロンガみたいにちょっと長調になる(多分バルデラマ)のをやったり、いろいろな歌を知っている。カディスに戻ると、マラゲーニャ・デル・メジーソでも、その辺ではあまり聞かない歌詞を歌っていたし、プレゴン・デ・マカンデの前にロマンセをつけたりしていた。もちろん、知識だけではなくて、それをカンテとしてちゃんと聞かせるだけの力量を十分に備えたカンタオールだ。ギターがエンリケ坂井さんだったこともあって、久しぶりにストレスなしに聞き通せるリサイタルであった。

今回は東京フラメンコ倶楽部の趣味もあって、David Palomar がいかに伝統的なカンテをよくするカンタオールであるかを確認する内容になったが、彼のCD、特に2枚出しているうちの新しい方は、表面的にはバリバリ今風だったりする。よく聞けば歌い方にブレがなくて伝統に深く根ざしたカンテだということが分かるのだが、サウンド的に受け付けないという人も多いにちがいない。それ以前にジャケットのデザインだけで却下してしまう人も多いだろう。僕はより実験的な2枚目の方が好きだと本人に言ったら、あれはスペインでもなかなか評価してもらえなくて、遠く離れた東京に理解者がいるとはね、と言っていた。

僕は普段ギター以外の楽器が入ったカンテは聞かない。カンテの微妙なニュアンスを活かすには、歌い手ひとり伴奏者ひとりのフォーマットが最も適していると思っている。David のCDについては、いろいろな試みとは独立に聴けるカンテになっているというのが僕の感想で、実験の成果を評価しているわけではない。しかし、アルティスタがいろいろな試みをする(したくなる)のは自然なことだし、どんどんやればいいと思う。それが単なる試みで終わるか、新たな伝統の一部となるか、時間が経てば分かることだ。

もうひとつ David が言っていたのは、歌詞の社会的な内容だ。これも、あまり評価されない原因らしい。僕も社会的なフラメンコに特に興味があるわけではないから、評価しない人の気持ちは、まあ、分かる。政治的な立場を異にしていて歌詞の中身に共感できない人もいるのだろう。しかし、アルティスタが自分の芸術的良心に従って表現したいことを表現するのならば、それを止める理由もない。もちろん、その歌詞がフラメンコの伝統の一部となる可能性はゼロではない。