2022年11月14日月曜日

Les niñes

Jidequín 氏による記事に les niñes という表現が引用されている:
https://note.com/jidequin/n/n56e962773d48

そこで氏が les niñes を「トランスジェンダーの子供たち」と書いていたので、違うんじゃないかとコメントしたら、早速対応してくれた。今 (2022/11/13:11:26) は「男でも女でもない子供」と「どちらの性でもないこども」になっている。

実は、これを見て最初は「これでも不足」と思ったのだった。僕の理解では les niñes は男も女も、どちらでもない場合もどちらでもある場合も含むからだ。しかし、今のスペイン語の記述的観点から事態はもっと複雑だということが判ったので、以下報告しよう。

スペイン語の名詞は必ず男性か女性か、性 (género) という文法的属性を持つ。本 libro が男性でテーブル mesa が女性という具合で、これは性の一致という文法現象として現れる。定冠詞をつけると、それぞれ el libro, la mesa になるというのがその例だ。これだけなら学習者にとって面倒な暗記事項のひとつでしかないが、自然の性 (sexo) やジェンダーを持つ存在を指す名詞も文法的な性を持つので、この文法現象が例えばLGTBQな人たちにとって問題だという議論が出てきている (もちろん全然問題じゃないという人も多い) わけだ。これは大きく lenguaje inclusivo という観点から論じられている。

たとえば生物学的な sexo は男性だが性自認が女性で、自分を niño と言わなければならないのが辛い、niño と呼ばれるのが苦痛だという場合がある。あるいは男か女か揺れ動いたり決らない場合もある。しかし、今のスペイン語では niño か niña のどちらかにしないと文法的にまともな表現が産出できない。そこで色々な工夫が登場することになるのだが、les niñes はそのひとつで、最近よく目にするようになった。

それより前に多かったのが o と a を合わせたような格好に見える @ を使うもの (l@s niñ@s) や x を使うもの (lxs niñxs) だが、これらの手段の弱点は発音ができないということだ。なので、これらは (インフォーマルな) 書き言葉専用ということになる。それに対して les niñes は発音できるので、インクルーシブな流れに敏感な政治家がスピーチで使ったりすることで世間の注目を浴びることになる。

その筆頭がアルゼンチンの大統領 Alberto Fernández だろう。彼は2019年、大統領候補だった時に «cada chico, cada chica, cada chique» と言って話題になった。今年の9月には、彼がツイッターで «un chique» と書き、それを RAE に「通報」した人がいて、当然 RAE は lenguaje inclusivo として e を使うことに批判的だから、男性形が「包括性」を示すと答えるという事件があった。

Alberto Fernández のツイートは «Que un chique no pueda estudiar porque no cuenta una computadora, la verdad es postergarlo, frustarlo (sic)» となっていて、直前の un から chique が男性名詞として使われていることが分る。そして、文脈からは un chique が男女を問わない (男も女もそれ以外も含めた) 包括的 (総称的) な意味で使われていることも分る。一方、このツイートに対して chique って何?、という反応 (多分大部分は修辞疑問) があるのだが、それに対して次のような「真面目」な回答が見つかる: «Un chique o niñe es un sujeto que no se siente representade por el sexo masculino o el femenino, es decir que no se identifica con los pronombres El ó ELLA»。この回答は「男でも女でもない」という Jidequín 訳に沿ったものだ。また、件のツイートに載っている動画で Fernández は un chico, una chica, un chique を並べて使っていて、「男でも女でもない」読みが可能だ。ということは、 chique には、男性女性の区別に関与しない非性の用法と、男性・女性・非性という対立する3項の1つという用法があるということになる。

スペイン語の文法的性の体系は、男性優位にできている (言語学的には男性が無標だと言うわけだが)。「男」を表わす el hombre が「人間」を意味できたり、男性複数形が男女の混ざった集団を表わせたりする。後者については、たとえば novios = novio + novia (カップル、新郎新婦) とか -o と -a で男女が区別されるペアに限らず padres = padre + madre (両親) のように語基が異なる場合にも適用される。

実際のテクストから1つだけ例を挙げると、«tanto el profesor como el alumno son agentes activos del proceso de enseñanza-aprendizaje (Wikipedia: «Profesor»)» に出てくる el profesor と el alumno は男女を問わない「先生と生徒」を表している。こういう例はけっこう多い。

今のところのスペイン語:
chico
chicochica

さて、このような言語的特徴に対して、スペイン語世界は伝統的に女性を表すという形で対抗してきた。20世紀前半から、職業名詞の女性形を作る動きが盛んで、それは今のアカデミアの姿勢にも受け継がれている。男の大統領が el presidente なのに対して女の大統領は la presidenta で、-e と -a で男女が対応するという比較的少ないパタンではあるが、標準的な形として定着している (この形に文句を言う人もいないわけではない)。また、いつ頃からの現象なのか僕はよく分からないのだが、たとえば los ciudadanos で「市民」全体を表現できるところに los ciudadanos y las ciudadanas と言うことがある。このパタンについてはアカデミアは los ciudadanos だけで十分という立場だが、アカデミアが明示的に「人工的で不必要」と言っているということは、それなりに広まっているということだ。女性を表示することによって男性の無標性という名の優位性を相対化しようというわけだ。

ところが、昨今のLGTBQを巡る動きでは、男にせよ女にせよ性の表示自体が問題視される。性を表示しようとしてきた20世紀からの動きと、それを否定する最近の動き。これらがどう衝突してどう折り合うのか、記述者にとっては大変興味深い。そして、3つ目の項としての非性の表示というのが、その鬩ぎ合いのひとつの結果なのではないだろうか。

chique を含む体系:
chique
chicochicachique

もちろん、ここで非性名詞の誕生を予言したいわけではない。文法的な性の体系は強固だから、les niñes が一時的な現象に終わって跡形も残らず消える可能性もある。男性が無標であるという「純粋に体系的」な話も良く分かる。しかし、言語は人が使うことを通じて変化する。Les niñes がスペイン語の体系にどういう影響を与えるのか、与えないのか、僕が生きているうちに結果を見ることは出来ないだろうけれど、何と言うか、楽しみだ。