2019年4月11日木曜日

Zapateado

カナ表記で音引きを使わない実験を少し続けてみようかと思う。ただ、カナ表記の話自体は、思ったより回数がかかりそうなので、一旦中断して『情熱でたどるスペイン史』に戻る。そう、終わっていなかったのだ。

僕は歴史が専門ではないので、例えば「カスティーリャ王国による半島全体の統一 (池上 2019: 79)」のような言い方に対してコメントするのはやめて、自分が少し勉強した分野についてちょっとばかり書いておきたい。タイトルから分かる通り、フラメンコについてだ。

スペイン人の情熱が集約されたような芸能に、フラメンコがあります。激しいリズムの舞踏(ぶとう)と高速タップ、民族の悲哀(ひあい)を訴えるメロディーと歌詞、(たましい)の奥底からしぼり出されるようなしゃがれ声、薄暗いホールのなかで演じられる情熱のパフォーマンスに感化され、私たち観客の体内でもしだいに電流のボルトが上昇して、胸がいっぱいになってきます。私はこれまで、二度フラメンコを見る機会に恵まれましたが、いずれも圧倒的な感銘(かんめい)を受けました。(池上 2019: iii)

これが、「はじめに」の最初のページに書いてある。う〜ん・・・

だが、タブラオのショーみたいなものを2回見たのが彼のフラメンコ経験の全てであるのなら、まあ許そう。その程度の経験でこれだけステレオタイプを羅列出来る度胸は別として、広く流布しているフラメンコのイメージはこんなもんだろうから、そこから一歩も出ていないからといって著者を責めてもしょうがない。

それにしても、なんでみんなそんなにサパテアド (!) が好きなんだろうな。フラメンコのバイレは、と言うかフラメンコに限らず踊りというものは、もちろん全身で踊るものだけれど、足さばきに目を奪われて全身の表現を見ないのは初心者にありがちなことだ。だが、スペイン人が撮った映像などでも、だんだん踊りが盛り上がって来て、さあここは全身を写して欲しい、という時に足だけアップになるというようなことは、残念ながら少なくない。僕はバイレにすごく興味があるわけでもないし、詳しくもないのだが、これじゃ表現 (つまりアルテ) が見えないじゃないかと思うわけだ。サパテアド習得用の教材ビデオじゃあるまいし。

歴史を遡ると、16世紀には既に zapateado という踊りがあったようだ。しかしフラメンコ的なバイレとしての zapateado は19世紀半ばに出て来たのだという。

Baile español muy antiguo, conocido ya en el siglo XVI, gracioso y vivo, de pasitos ligeros que a menudo se alternan con taconeo, generalmente realizado por mujeres o por parejas. Tiene poco que ver con el que se baila en la actualidad, del mismo nombre. // 2. Baile palpitante, sobrio de actitudes, de gran entidad flamenca, que surge a mediados del siglo XIX. Consiste en una combinación rítmica de sonidos que se efectúan con la punta, el tacón y la punta (sic; ¿planta?) del pie y es interpretado por hombres o, a veces por mujeres con el atuendo masculino de pantalón y chaquetilla corta. Actualmente el zapateado flamenco se intercala en la mayoría de los estilos, tanto por hombres como por mujeres, a veces quedando la guitarra en silencio, para resurgir junto a los demás elementos de acompañamiento en el momento de su mayor intensidad o remate. (Blas Vega & Ríos Ruiz 1990: s. v. zapateado)

検索するとメキシコでも zapateado が踊られているようだが、これがスペインに於ける16世紀以来のものや19世紀半ばからのものとどう関係するのか、僕は分からない。いずれにせよ、スペインでは19世紀の段階で zapateado は踊りの名前だった。そして男踊りだったわけだ。サラサテやグラナドスやトゥリナが作曲した zapateado は、これに発想の源があるのだろう。

で、この19世紀的な zapateado がどんな踊りだったのかが想像できる動画がある。zapateado Roberto Ximénez (あるいは Pilar López) で検索すると出てくるので、見てみて欲しい。名前の通りサパテアド中心と言うかそれしかしていないような踊りだが、Roberto Ximénez のこれは実に見事だ。«El Zapateado del perchel, que entra en los cánones más clásicos del flamenco, lo baila Roberto Ximénez con la limpieza y elegancia que transmite Pilar López a todos sus bailarines (Manuel Ríos Ruiz, 2002: II-263)» という評がある。もちろん、Ríos Ruiz が言うように、ピラル・ロペス舞踊団による上品で完成度の高い舞台作品であるということは忘れるわけにはいかない。普通に踊られていた zapateado は、もっと表面的な技見せ芸のようなものだったのではなかろうか。なお、「歌のつかないレパートリー (浜田 1983: 373)」に入るということは zapateado の特色のひとつだ。

さて、今のフラメンコでは、サパテアドは演目としてではなく技法として、踊りの形式や男女を問わず多用されている。しかし、今紹介したような歴史的変遷を見ても分かる通り、池上が「高速タップ」と呼んだような技法はバイレ・フラメンコの弁別的特徴ではない。つまり、それ無しでもバイレ・フラメンコは成立する。極端な例だが、試しにネット上で検索して Enrique el Cojo のバイレを見て欲しい。芸名の Cojo は、子どもの頃の病気がもとで脚が悪かったことからついた (Blas Vega & Ríos Ruiz 1990: s. v. Cojo, Enrique El) のだが、「高速タップ」は仮にやりたくてもできなかっただろう。しかし彼の踊りのなんとフラメンコであることか。僕は生で見ていないが、実際に見た人たちからその感動を聞いたことはある。せっかくだから活字になった賛辞を紹介しよう。実は、日本でグラン・アントニオと呼ばれることの多い Antonio el Bailarín についての文章なのだが。

思いのほか太りぎみで、ズボンもだぶだぶに見えた彼 (= Antonio: 引用者) が、舞台に立って初めの挨拶から絶妙の()をもってスッと横向きになり片手を挙げるポーズをしたとき……背筋を電気が走ったことを忘れない。いつも判で押したように技術で踊るバイラオールたちには出せない味、人間が踊るフラメンコの醍醐味が、この大家にはあった (ちなみに、もう一度、私はそのような醍醐味 —さらに深く、純な……— に思わず酔わされ、涙の出そうな感激をおぼえた。1981年、脚のわるいセビーリャの老匠エンリケ・エル・コホが日本へ来て踊ったときである)。(浜田 1983: 376)

横を向いて片手を挙げるだけで人を感動させるアントニオもすごいが、エンリケ・エル・コホはさらに深いということで、アントニオについて語っているところに入れるのはどうかと思わないでもないが、浜田さんよっぽどこれを言いたかったのだろうな。

もちろん、「高速タップ」に罪はない。足が動いて素晴らしい踊りをする人たちだっているわけだ。なので、床の速叩きしか能がない三流のバイラオレスは無視することにして、サパテアドを技法としてちゃんと評価することは必要だろう。それは、しつこいようだが、足さばきばかりに注目するのをやめることでもある。

なお、フラメンコの踊りを「舞踏」と呼んでいる例を時々見るけれども、「舞踊」が普通だろう。もちろん「踊り」で全然構わない。「舞踏」と聞くと、僕なんかは日本の現代舞踊の一種を思い浮かべてしまう (池上にとってはヨーロッパ中世の「死の舞踏」の方が近しいのかもしれない)。ブトーとフラメンコを掛け合わせたようなことをやってる人はいるかもしれないけどね。

  • Blas Vega, José & Ríos Ruiz, Manuel, 1990, Diccionario enciclopédico ilustrado del flamenco, 2.a, Editorial Cinterco.
  • 浜田滋郎, 1983, 『フラメンコの歴史』, 晶文社.
  • 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
  • Ríos Ruiz, Manuel, 2002, El gran libro del flamenco, Calambur.