はなやかで不思議な高速リズム、緊張感あふれるダンスはどうでしょう。一瞬音楽に先立つように動く手には指先まで感情がこもっていて、手と胴があえて異なったリズム・動きをすることもあるそうです (池上 2019: 186)
やっぱり「高速」なのだが、そんなに速いですかね。ブレリアとかで本当に速いのはあるけど、一部だし、例えば踊りのソレアみたいに、これカンテの人よく歌えるなと思うぐらい遅いのもあったりする。あ、もしかしたら、著者が言っているのはテンポのことではなくて、刻みの細かさのことか。まあ、いずれにせよ、フラメンコがフラメンコであるためには、速い必要はないことに早く気づいてもらえたらと思う。
「不思議な」については、どうコメントしたものか。フラメンコで使われるリズム・パタンに不思議なものはない。馴染みがないものを「不思議」と言うのは、インフォーマルな話し言葉では許容されるかもしれないが、ここでこんなこと言うとフラメンコの神秘化に加担しかねないので、気をつけて欲しかった。
さて、「手」はスペイン語で mano で「腕」は brazo だ。前に書いた通り踊りには詳しくないので、バイレで mano を使うことを何と言うのか知らない。腕を使う方は braceo と言う。足と腕で zapateado と braceo になり、形が揃っていないのが気になる人のために言っておくと、実は zapateo という言い方もある。-eo の形も -eado の形も -ear で終わる動詞からの派生語として考えることが出来る。ついでにギターのラスゲアドにも似たような状況がある。
zapatear | zapateo | zapateado |
bracear | braceo | |
rasguear | rasgueo | rasgueado |
この2種類の形 (-eo と -eado) が区別なく同じように使われているのか、それとも何らかの違いがあるのか、僕は分からない。アカデミアの辞書では、どちらも «Acción y efecto de [xxx]ear» となっているのだが、それで直ちに使用上の区別がないとは断言できない。前回書いたように zapateado には踊りの種類としての使い方もあるので、その部分はもちろん重ならないのだが、rasgueado にはそういうことはなさそうだ。
実際の使い方がどうなのかは、ネイティブのフラメンコたちに聞いてみないことには分からないが、純粋に派生語の形態論の観点から言うと、zapateado が個々の足さばきではなくて踊りの種類を表せることについては説明がつくかも知れない。アカデミアの文法は «Se forman un buen número de sustantivos denominales que designan grupos o conjuntos con los sufijos -ado / -ada (RAE & ASALE 2009: §6.13g)» と言っている。つまり -ado の形は集合的な意味を表し得るのだ。そのページの例の中に zapateado はないので、僕の憶測に過ぎないのだが、まとまりを持った一連のサパテオがひとつの踊りを構成するという成り立ちなのかも知れない。僕の言語学者的先入観によれば、他の場面でも -eo が個別的で -eado が集合的という使い分けの傾向が期待されるが、そんな期待は裏切られることも多い。言語体系が提供する区別の可能性を、ネイティブスピーカーが利用する必要を感じないということなんだろう。
手の話に戻ろう。白状すると、池上が manos の話をしているのか brazos について語っているのか判断がつかない (最初読んだ時には braceo の話だと思い込んでいたのだが、そうとは限らないことに気づいた) し、彼が何を言わんとしているのかよく分からない。「一瞬音楽に先立つように動く手」については何となくイメージが湧くような気もするが、著者の意図が理解できている自信はない。「手と胴があえて異なったリズム・動きをする」と言われると、「不思議な」現代舞踊みたいなものが思い浮かんでしまうが、まさかそういう話ではないはずだ。誰か分かる人、教えてください。
その後「この足拍子はサパテアードとよばれ、一般のタップとちがって (池上 2019: 186)」という説明があり、サパテアドのことを知っていたんだと思ってちょっと安心する。しかし「一般のタップ」って何なんだろう。これに従えば、サパテアドは非一般のタップということになるわけだが、知っている人があったら教えて欲しい。
そして「足拍子のほか、指鳴らしや手拍子で調子を取ります (池上 2019: 187)」とのことだが、「指鳴らし (pitos)」や「手拍子 (palmas)」は踊り手の所作の一部なのだから、「調子を取る」みたいな表現はやめといたほうが良いのではなかろうか。
ところで、
Zapatear, no lo olvidemos, es incompatible con el braceo, de modo que su completo desenvolvimiento ha sido estigmatizado entre las mujeres, que se han visto limitadas a técnicas menores de pies: «marcar», «puntear», «escobillas» en momentos muy concretos del protocolo de los bailes, «pateos» o golpes en el suelo en los tránsitos entre sus partes consecutivas (Cruces Roldán 2003: 176)
という観察は興味深い。サパテアドとブラセオが両立しないというのは、踊ったことのない僕にとっては、言われて初めて気づいたようなものだが、サパテアドが男の踊りを特徴づけ、優雅なブラセオを見せるべき女の踊りには不似合いだとされてきたという点が重要だ。この論考は、タイトルからも分かる通り、ジェンダー論の視点から批判的にバイレにおける「女性らしさ」について考察しているもので、日本ではこの手の研究がほとんど紹介されていないから、ここに挙げておく。僕自身はちゃんと目を通していないので、そのうち読まなきゃとは思っているのだが、さて。
- Cruces Roldán, Cristina, 2003, ««Cintura para arriba». Hipercorporeidad y sexuación en el flamenco», Más allá de la música. Antropología y flamenco (II), Signatura Ediciones, 167-204.
- 池上俊一, 2019, 『情熱でたどるスペイン史』, 岩波ジュニア新書, 岩波書店.
- RAE & ASALE, 2009, Nueva gramática de la lengua española, Espasa Libros.